考えごと日記その22 「ロシアについて」を読んで、北前船を考える
司馬リョウ先生「ロシアについて」を読んでいたら、思いもかけないところで、日本の江戸期に発達した北前船について語られていた。ロシアがシベリア開発で、もっとも苦労したのが陸路による輸送だったというくだりのところでだ。
本書では、その点で日本は北前船という精密な海運によって、ロシアとは比較にならないほど熟した文明社会をきずいたというのだ。おおッ、北前船。このまえのブラタモリセレクション山形酒田であったあの北前船かぁ。
その北前船。北は蝦夷地から南は種子島まで、あらゆる商品をのせた商船がすきまなく往復していたという。ま、すきまなくというのは大げさだが、それだけたくさんの船があったということであろう。
たとえば赤穂の塩。当時は日本一の品質をほこった塩だそう。それを北前船が運ぶことによって、全国各地の人たちが最高品質の塩をつかうことができたという(それだけのおカネを払えばだけどね…)。それによって日本各地の食文化がさらに発達することになるのだ。
ほかにも酒、菜種油、しょう油、古着、ろう、もめんなど、それはそれは多岐にわたる。そして本書にはブラタモリ山形で紹介されていた最上紅花にも触れている。山形最上川流域の畑で栽培された紅花が、北前船によって京都まで運ばれ、京都で加工されて着物や紅化粧となるのだ。
このように、ロシアがシベリア開発での輸送に難儀を強いられているとき、日本では北前船が日本中をひとつの経済圏に仕立てていたのだ。そして日本の商品経済は熟成期となり、北前船は日本江戸期の経済と文化の発展に大きく貢献したという。
スゴいじゃないかッ、北前船。これはボクとしてはもっと研究する余地があるのではないか? うん。とりわけ新潟は北前船寄港地としておおいに賑わい、日本海最大の湊町として繁栄したという。
おぉ〜〜ッ、ヤバっ……知りたい知りたい病が発病するではないかッ。歴史好きと言っときながら、地元新潟の歴史、なんも知らんからな……滝汗。
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