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考えごと日記その26 「陸奥宗光」を読んで、日本が初めて結んだ対等条約について考える

明治維新後の日本の本当の戦いは不平等条約の改正ではないか、という個人的な推測のもとで、夏前まで陸奥宗光を調べていた。ところがそれから幕末にハマってしまい、すっかり陸奥宗光がおざなりになっていた。

そして今、久しぶりに佐々木雄一著「陸奥宗光」を読み始めたのだが、不可思議な点がでてきた。本書には1888年メキシコと結んだ条約を「日墨修好通商条約は、日本が初めて結んだ対等条約であった」とある。

え??日本が初めて結んだ対等条約は、1871年清国と結んだ日清修好条規ではなかったか??と思い、ネットで調べてみた。するとネットでは、日清修好条規は「日本が初めて結んだ対等条約」で、日墨修好通商条約は「日本が初めて結んだ(アジア以外の)対等条約」とあった。

なんやねんッ、この(アジア以外の)って。わざわざカッコをつけてそんなに日墨修好通商条約を「初めて」にしたいのか?日清修好条規が初めてで、日墨修好通商条約は2番目でいいんじゃね?と思わざるをえない表現。

ところが、本書では(アジア以外の)という表記はなくはっきりと、日墨修好通商条約は日本が初めて結んだ対等条約とあるのだ。え、著書さん入れ忘れたの? いやいや、著者は日本政治外交史を専攻する立派な助教授。こんな大事な表現を入れ忘れるとは考えにくい。

むしろ著者は、日清修好条規は対等条約ではない、日墨修好通商条約こそが日本が初めて結んだ対等条約なのだ、と暗に示唆しているようでならない。そこでネットで調べていくと、これかな?

「日清修好条規は、平等条約ではあったものの、その内容は両国がともに欧米から押し付けられていた不平等条約内容を相互に認め合うという極めて特異な性格をもっていた」

Wikipedia

つまり日清修好条規は両国がそっせんして結んだものではなく、欧米によって強制的に結ばれたものだという。だから歴史研究家のなかでは日清修好条規は条約ではないという認識なのだろうか。

幕末明治維新からの日本の歴史のウラには、必ず英国と米国がからんでいる。これは清国(中国)や朝鮮も同様だ。本来、日本と中国、朝鮮は古来から密接した関係で、文化や人の交流が積極的にあったはずなのだ。ところが欧米の帝国主義によって戦争や侵略の歴史と変わり、現在にいたる。

ともあれ、日清戦争や日露戦争を欧米との関係も合わせて、世界の視点でもう一度勉強したい。このように近代史は表の歴史とウラの歴史があるからなかなか難しいけれど、それだけ勉強のしがいがあるんだな。


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