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ブラタモリ日記その28 「松島 #244」 (2023.8.19)

松島といえばポコポコと浮かぶ小島に松。旅行でクルーズ船に乗ってカモメにエサをやりながら松島湾を一周したのは、もうかれこれ30年くらい前のはなしだ。新潟にはない独特の風景で、とても印象に残っている。

カキも美味しくて有名らしいが、そんなベタな展開にならないのがブラタモリ。ほとんどの人が見向きもしないけど歴史深い島、雄島を訪ねるのだ。

雄島には多数の石窟がある。どうやらここは霊場のひとつらしいのだ。平安時代には極楽浄土と現生の架け橋となる場所として多くの人が訪れ、遺骨を埋葬したそうだ。そのため地面には普通に人骨が落ちている。そして石窟には供養塔が納められているのだ。おぉ〜、こんな厳かな雰囲気、キライじゃない。

またブラタモリは松島から少し離れた里浜貝塚を訪ねる。そこは日本最大級の貝塚らしい。松島湾は大きな川が流れてないおかげで、縄文時代から地形が変わらないでいるというのだ。

そのおかげで環境も変わらず、海の幸、山の幸に恵まれた縄文人の生活の跡が今でものこっている。あ〜、いい場所じゃないかッ。

つぎに松島に行ったときは、雄島でいにしえの人々のお骨を拾いながら祈りをささげ、里浜貝塚では貝がらを拾いながら縄文人の生活に思いを馳せるのだ。

地味だけど、でもそんな地味なところに旅の本当の良さがあるんだなぁ〜。

……

たぶん。



松島湾

「なぜ人は松島に心ひかれる?」

湾の中には260ほどの島

特別名勝、カキ、瑞源寺

亀島(左) 鯨島(右)
亀島はカメ、鯨島はクジラに似ている
伊勢島
盆栽のように最も収まりの良い島
千貫島
小さな島に一本の松という絶妙なバランス
伊達政宗お気に入り
鎧島
波で削られたとは思えない曲線
自然がつくりだす造形美


仁王島
仁王像のようなかたち
波の侵食がつくりだした奇異な形は松島を代表する島


凝灰岩

凝灰岩 → 火山灰などの火山噴火物が堆積してできた岩石。やわらかくて風化しやすい。

松島の島はだいたい凝灰岩でできている → 波の影響を受けて、そこがもろくなって風化してしまう → 白くなる


慕帰絵(ぼきえ)

慕帰絵(ぼきえ)→ 南北朝時代(鎌倉時代と室町時代の中間で、広義の室町時代)に描かれた松島の風景

松島を訪れたことのない京都の人がイメージで描いた絵 → 松島の独特の風景の魅力が京都にも伝わっていた

松 → 栄養が乏しく、あまり土がないところを好む。潮に強い。

アカマツ(葉がやわらかい)とクロマツ(葉がかたい)

雄島(おしま)
石窟(せっくつ)
磨崖仏(まがいぶつ)


雄島(おしま)→ 磨崖仏(まがいぶつ)→ 崖や岩に掘られた仏像

平安時代後期から火葬した骨を供養のため雄島に納める → 極楽浄土の地

陸がこの世、海があの世、亡くなった人の供養の場


板碑(いたび)

板碑(いたび 鎌倉時代)

梵字 → インドでつくられた文字。日本では主に仏をあらわす。

島のあちこちに無数にたてられる

信仰の地、霊場として広く知られる


多島海のできるまで

氷河期は海水面が今より100〜120mくらい低く、山がポコポコとある陸地 → やがて山の頂上を残して海面が上昇

7000年前に今の松島の風景ができた

松島湾には川が流れていない図

陸松島には鳴瀬川と旧北上川の大きな川から土砂が流れてたまる

松島湾には大きな川がないため、そのまま多島海の姿をたもつ

縄文時代から変わらない多島海

宮戸島
里浜貝塚

里浜貝塚 → 日本最大級の規模をもつ貝塚

松島周辺にはおよそ70ヵ所の貝塚

縄文時代から地形も環境も変わらない

縄文人は松島から離れることなく5000年くらい住み続けた

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