お母さん お母さん
これは昨年の6月、noteを始めたばかりの頃に
書いた記事です。削除していましたが
再現しました。
当時の母への想いを綴ったものです。
私の母は、今この私の投稿をとても
楽しみに読んでくれています。
そのことを知り、この記事を母が読んだら
悲しむかもしれないと思い、消しました。
でも、これが私の原点なのです。
この想いを封じ込めてはいけない。
そう思いました。
お母さん、悲しい想いをさせるかもしれないけど
この記事を書いて一年経って
私の気持ち知ってほしくなりました。
せっかくお母さんの子供で
産まれてきたんだから。
2022年6月23日
私はずっと自分をいじめてきた
物心ついた頃から、自分が嫌いだった
みんなと違う自分
みんなに馴染めない自分
心のどこかで
自分がこうなったのは、母の育て方のせいだと思っていた
両親は共働きで、躾に厳しかった
休日は、弟と家族4人で色々なところに連れて行ってくれたけど
その頃の私は
「家族ごっこの偽善みたいだ」と子供こごろに感じていた
看護師として一年働いたが、22歳で結婚し仕事はやめ家庭に入った
母のような家庭にいない母ではなく、いつも家にいてくれる母になりたかったからだ
23歳で長男、25歳で長女、29歳で次女を産んだ
今は看護師として復職しているが
20代は母に反抗するかのように、ずっと家庭にいた
幸せな主婦を演じていた
子供は可愛かったし、夫も優しい人で幸せなはずが
私はずっと自分をいじめていた
21歳ごろから、ストレスが溜まると過食気味になっていたが
結婚して、日中子供と自分だけの時間が増えると、エスカレートし
それが過食嘔吐になった
そのことを一度だけ、母に打ち明けたら
母は、すごく心配そうな顔と、「心配ね。産後うつみたいなものかしら。」というような言葉をくれた
すごく心を痛めているんだろうなということは伝わってきた
でも
私はその時
本当は抱きしめてほしかった
母の胸の中で、大きな声をあげて泣きたかった
泣いて泣いて頭を撫でてほしかった
ただ抱きしめてほしかったんだ
小さい子供よのうに
私は甘えられない子供らしくない子供だったから
最後にいつ母に抱きしめられたか思い出せない
母にいつ「お母さん、大好きだよ」って言ったか
思い出せない
私の子供たちは私によく甘えてくれる
特に娘二人はもう20歳と17歳なのだがいまだに
「お母さん大好き」って言いながら、抱きついてきてくれる
私の子供たちは、私に舞い降りてきてくれた
天使たちなのではないかと
本当に時々思う
以前その光景を見た母は
「あなたは幸せだね。子供たちにそんなに愛されて。」
と、どこか寂しそうな笑顔で言った
あぁ 母も寂しかったのだ
母も私にもっと甘えてきてほしかったのかもしれないと
その時気づいた
私が自分をいじめる症状は
今も時々現れる
特に、仕事でストレスがかかった日や
自分を押し殺している時間が長い日などに
もう母を許そう
もう自分も許そう
きっと誰も悪くなかったんだ
誰も責められないんだ
今度実家に帰ったら
「お母さん大好き」って抱きしめたいな
年老いて小さくなった体を
恥ずかしくって、できない気もするけど
私もお母さんも
愛の伝え方が下手なだけだったんだね
ごめんね、お母さん
お母さんは、ずっとずっと
私を愛してくれていたんだよね
やっと今ごろ気づけたよ
お母さんが生きていてくれるうちに
気づけてよかった
もう許そう
母も
自分も
それができたら
私は私をいじめることをやめれる気がする
今現在、この症状は
noteに想いを描き始めてから
不思議と自然に消えていきました。
このnoteに想いを絵や言葉でかき出すことが
私にとってとても大切なことなのだと
実感しています。
今は母にこのnoteを読んでもらうことで
自分の想いを話しているような
そんな気持ちにもなっています。
最後までお読みいただき
ありがとうございました🍀
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