クイック、フラッシュ&ラウド 序章
白球の表面に印字されたMIKASAの文字がハッキリと視認出来た。
掌底に当てて押し出すように繰り出された無回転サーブ。明らかに僕を狙って放たれたそれに、佐山!と注意を促すチームメイトの声や、応援に駆けつけた同級生達の歓声が一瞬消えた。
一流のアスリートだけが感じることのできる、極限迄研ぎ澄まされた世界。僕は手首を返しフラットな面を作り、丁寧なレシーブでセッターの桜井につなごうと試みる。
普段の僕であれば難なく処理できる筈だった。しかし手前で激しくブレたボールは意図した場所には当たらず、明後日の方向へ飛んだ。それを青山が必死に追いかけフライングで飛び込む。ボールは僅かに指先に触れたが、高くは上がらずベンチの方へ転々と転がっていった。
ここまでが無音でスローモーション。
サービスエースを告げる主審の笛を合図にした様に、音声がステレオで鳴り出した。「佐山ドンマイ!」「落ち着いて行け!」などなど周囲の声が再び洪水のように耳に流れ込んで来た。
勿論僕は一流のアスリートでも何でも無く、ただ緊張して我を忘れているだけだった。ボールもスローモーションで見える代わりに、自分の動きはそれをさらに上回る緩慢さだった。そして全身は僅かに震えていた。
あと二点で試合終了。
必死の形相で声をかけ奮起を促すキャプテン桜井。僕を落ち着かせるように優しく肩に手を置いたエースの青山。そんな仲間達に目を合わせられず、二階席に視線を泳がせた。そこには冷やかし半分で引退試合に駆け付けた同級生達がいて、それにもまた合わせる顔が無い。その中には片山有紗も手すりに手をかけて心配そうに試合の行方を見守っていた。
一層泳ぎまくる目線を、仕方なくネット越しの対角線上に立つ相手チームのサーバーに向ける。交代出場した直後にミスをした僕を「穴だ」と見抜き、狡猾そうな笑みを浮かべている。
ハチマキ、坊主、顧問がヤクザ風。強豪高の三拍子揃えている割には大して強くもない学校だった。現に序盤はうちが一セット取った。コートチェンジの際にヤクザ顧問に殴られてから焦り出し、必死こいた先方が一セットを取り返し迎えた第三セット。
そもそもうちに一本取られている時点でお前ら大したチームじゃ無いよ。ここで勝ってもどうせ次で負けるんだろ。などと心の中で悪態をついてみるが、腕は震え膝に力が入らない。
ここは俺の居る場所じゃない。帰りたい。と思った。六対十三の大差でも、諦めるな!頑張れ!と無責任に声援を送る周囲の善意が殊更痛い。この場所で僕一人が冷え切っていた。
いや、もう一人いる。ベンチに目を向けると無表情で座る顧問の山岸先生と目が合った。こちらは先方のヤクザ顧問とは対照的に、丸顔丸眼鏡に長袖ポロシャツのいかにもスポーツに縁の無いおっさんである。
バレー経験も無い。体育館の窓から降り注ぐ陽光を浴びて、あご髭の剃り跡が青々と際立っている。先程このまま何事も無く引退できると高を括り、ベンチで寛いでいた僕を突然呼び出し、コートへ投げ入れた。
―先生、何で俺なんか出したんですか。このままじゃ負けます。
―知ってる。
無言のまま目線だけでそんな会話を交わした気がした。先生は普段から部活動の顧問に休日手当てが出ない事に不満を漏らしていた。つまりこの試合を早いとこ終わらせて帰りたがっている。このコートで一人僕だけが、指揮官の真意を理解した。ような気がした。
その後僕は「引退試合でサービスエース三連発(を食らった方の人)」として後世まで語り継がれるであろう伝説を築き、わが沼澤高校のバレーポール部は一回戦敗退となった。
「まぁそのなんだお前らも良くやったと言うか…あと一歩と言うか…」
驚くべき事に山岸先生は引退する僕ら三年生に向けて、最後の言葉を考えていなかった。終始歯切れの悪いスピーチを続けている。沈痛な面持ちの教え子達を見て、「えっお前らそんなに本気だったの?」と、引いているようにも見えた。
柔らかな初夏の日差しを体育館の窓が切り取り、薄暗い床面にくっきりとコントラストを作っていた。三年生最後の引退試合。まさか弁当も食わずに敗退となるとは。
人目をはばからず号泣するキャプテンの桜井、悔しさを滲ませた表情で腰に手を当てて俯く副キャプテンの青山、目を赤く腫らしたマネージャーの原田は、気丈にも今は涙を堪えている。どこまでも純粋な仲間達を見ていると僕も込み上げて来るものが無いわけでもない。
だが僕らの戦力では地区予選を勝ち抜く事は不可能だっただろう。遅かれ早かれ負けるのだ。仕方ない。
まぁそのなんだほんとうにおまえらもごにょごにょごにょ…とよくわからない演説を続けた山岸先生は、「以上!」と最後だけは力強く宣言した。それを受けてキャプテンの桜井が「解散!」と涙を拭いながら声を張り上げ、「あざっした!」とそれぞれが万感の想いを込めて叫び、僕らの引退試合は幕を閉じた。
さて、帰りにダイエーのフードコートでなんか食って帰るか。
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