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長編小説:クイック、フラッシュ&ラウド 第1章 十代の荒野_2

「一本くれ」とも言わず橋本は傍に置いてあった僕のタバコに手を伸ばすと、自分のライターで火を点けた。

 固まる僕を尻目に暫く無言でタバコをくゆらせていた。橋本はぼくの目の前に移動し、値踏みする様な視線を投げかけてきた。痩せこけた体は逆光で影になり、枯れ枝が立っているみたいだった。二年になって同じクラスになってから、橋本とちゃんと話した事はなかった。意味不明な橋本の行動に僕は困惑しつつ腹が立って来た。せっかくの一人の時間を邪魔された。その上煙草を拝借され挨拶も無い。
 そんな僕を気にする様子も無く、橋本は遂に図々しく隣に座り込んだ。「何聴いてんの」という様な口の動きと耳を指差す動き。僕は仕方なくイヤホンを片方外し、わざと「RC」とだけ答え橋本の反応を待った。「RC」で通じなければこの先こいつと話す事もないだろうと思っていた。
「トランジスタラジオ」
通じるどころか橋本は曲名を当てた。
「何で分かった?」驚く僕に
「いやーこの状況で聴くならそれしか無いでしょ」そう言って橋本は空を見上げた。面長な横顔を切り取るシャープな顎のラインと青い首の静脈が見えた。こいつ音楽好きなのか。しかし普段教室でそんな話をしているところを見た事が無かった。表情に乏しい横顔を窺いながら、僕は橋本の意図を計りかねていた。
「お前オアシスとかストーンローゼズとかも好きなんだろ?」
「そうだけど…何で知ってんの」
しかし橋本は僕の問いには答えず無言のままだ。グラウンドからまた女子の歓声が聴こえ、片耳に残ったままのイヤホンからは、清志郎の歌声が流れ続けていた。

「ザ・フーのババオライリィって曲聴いた事ある?」
唐突に橋本が僕に訊ねて来た。
「…馬場…オマリー?」
「全日の馬場とは関係ないよ。ヤクルトのオマリーとも。」
橋本はもう一度噛み含んで聞かせる様にゆっくりと発声した。
「ザ・フーって言うバンドの、ババオライリィって言う曲」
「…聴いたことない。」
また暫しの沈黙。
「聴いてみる?」
 橋本は痩せた身体に似合わない、やけにデカいメッセンジャーバッグをごそごそと漁り一枚のCDを僕に手渡した。
 まずジャケットの写真が目に入って来た。痩せて髭面の男がギターを持って跳躍している。真っ直ぐに伸びた上半身と開脚した両足。その姿は「人」の字みたいだった。中央のボーカルの腰の高さ、後方に置かれた二段積みアンプの真ん中位迄なので、その跳躍力は相当なものと思われた。「聴いてみたい」とは一言も言っていないのに、橋本はフーズベター・フーズベストと印字されたCDを勝手にセットすると
「一曲目な」と強引にリモコンを奪い再生して、もう満足した様にまた空を見上げて煙草を吹かした。

 物語の始まりには印象的なイントロが必要だ。その時イヤホンから鳴り出したのは、アープ社製のシンセサイザーが奏でる不思議なループだった。これが僕らの物語の始まりだった。そこから力強いピアノのコードが挿入され、騒々しいドカドカとしたドラムが乱打された。
 正直に言ってババオライリィと言う曲はその後、僕の中でベストにはならなかった。初めて聴いた時も腰を抜かす程の衝撃では無かった。ただ、橋本の意味ありげな雰囲気に呑まれ、何となく暫く聴き入ってしまった。

 その時徐々に僕の中で起きた変化を説明するのはとても難しい。あの日の天気、気温、湿度、風速、時刻。そのどれもが奇跡的なタイミングで合わさった末に、マジックが起きたとしか言いようが無かった。
 演奏が徐々に熱を帯びて行くと思われた時、突如展開が変わり野太いヴォーカルとは違う歌声が聴こえた。少年の様なか細い高音で歌われる一節。
「イッツオンリー、ティーンエイジウェストラン!」
殆んど理解できない英語詞の中で何故かこの一節だけは耳にこびりついた。
ティーンエイジウェストラン?
十代が西に走る?
 意味を考えようとした矢先にまた出鱈目かと思うほどにドラムが叩きまくられた。僕はこのドラムに惹かれていた。リズムをキープする為の打楽器では無く、もっと奔放で自由だった。ドラムなのに音階があり歌心があった。
ティィンエイジウェェストラァァァン
ティィンエイジウェェストラァァァン
今度はメインのボーカルが野太い声で同じ言葉叫んでいる。その後奇妙な音階のバイオリンが挿入され、曲は唐突に終わった。CDを停止した後、僕はしばらく考えこんだ。
「…これ、最後何て言ってるんだろう」
誰かに向けて呟いた訳では無かったが、橋本はすぐに返した。
「ティーンエイジウェイストランド。十代の荒野、あとは不毛な十代とか」
「…それ、お前が訳したのか」
「違う。歌詞カードに書いてあった」
僕はまた少し沈黙して、その後何となく笑った。これ程今の自分の気持ちを射抜いた言葉は他には見つからないと思った。全くもって十代は訳も無く不毛だし、それはさながら荒野を歩き続ける様でもある。その通りじゃないか。いい事を言う。その言葉を聴いたあとだと、先程の不思議な曲も急激に僕の中で特別な意味を持ち始めていた。
「焦るだろ」
橋本はウォークマンからCDを取り出しケースに入れて僕に渡した。
「この世にはまだ聴いた事のない音楽が山程あるんだぞ」
それが僕が橋本とちゃんと話した最初だった。

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