「おやすみなさい」を考え直す
「おやすみなさい」について考えたことがあるだろうか。
毎日のように口にする人もいるだろう、この言葉。
個人的にあるシチュエーションで違和感を感じたので、
分解していこうと思う。
「おやすみなさい」という言葉は、就寝時または就寝前の別れの挨拶として、かなり広く使用されているという認識だ。
「おやすみ」と略してカジュアルに交わし合うことも多いだろう。
個人的には就寝前の別れの挨拶として「おやすみなさい」を使われると、別れた後の生活習慣を労ってもらっているようで、ただのバイバイより、少し嬉しくなるので、自分からも積極的に使うようにしている。
ただ、どうしようもなく違和感を感じたのは、目上の人に対する「おやすみなさい」だ。
「おやすみなさい」を厳密に解釈したとき、命令形としての言葉になる。
目上の人に「おやすみなさい」と別れの挨拶をしながら、脳裏では
「あっ、実は”おやすみなさい”って、社会的には”寝る前の挨拶”として広まっているけど、言葉の原型としては"休みを取りなさい"って意味だから不適当なのでは?」なんて考えていた。
同じように、目上の人の「おかえり」に対する「ただいま」にも違和感を感じて、色々悩んだ結果、「ただいま帰りました」を使うようになったという個人的なエピソードもある。
正直、ここまで先回りしてくるやつなんて、マナー講師くらいだろう。
「おやすみなさい」は別れの挨拶として、とっくに「休みを取りなさい」っていう意味からは切り離されて、既に「おやすみ」の丁寧な形としての地位を獲得している。
完全に気にし過ぎではあるが、自分で気になってしまったんだから仕方がない。
候補としてはパッと思いつくだけで、「おやすみなさいませ」や「おやすみください」があると思う。
「おやすみなさいませ」は正直気に食わない。
なぜかと言うと、メイド喫茶文化や執事文化などに染め上げられている気がするからだ。
おそらく、スッと浮かぶのは「~ませ、ご主人様❤」のようなアキバ系メイド喫茶文化や「~ませ、お嬢様」のような激渋じいや系執事文化だろう。
多少の服従のニュアンスを感じさせる表現である。
それだけ畏まった表現であると言えなくもないが、前時代的萌え萌えキュンなメイドでも厳格なじいやでもないので、この表現は無しにしたい。
次に「おやすみください」だ。
「おやすみください」についても、「おやすみなさい」が長い時間をかけて獲得してきた「おやすみなさい=安らかに睡眠なさってください」のニュアンスを「お休みを、取ってください」に分解してしまってる気がする。
昼間に会った疲れが溜まっている人間に「おやすみください」と声をかけるのは適当だが、「おやすみなさい」と声をかけるのは不適当だろう。
「おやすみください」の方が抱え込む意味の範囲が少しだけ広い。
ただ「睡眠自体が休息」と言うのは、「おやすみなさい=就寝前の別れの挨拶」というくらいの共通認識として充分であるので「おやすみください」はかなり有力かもしれない。
決めた。
これから目上の人に就寝前の別れの挨拶をするときは「おやすみください」と言おう。
喋るときは前後のリズムに合わせて「ゆっくりおやすみください」なんかも使い分けながらいこうかね。
文章として書くときは、さらに畏まって「おやすみくださいますよう」なんかもいいかもしれない。
それでは皆さん、おやすみください。
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