自分が作りたいのは「世界観」なのか「プロダクト」なのか

画像生成AIの登場は、自分に大きな興奮をもたらした。

技術革新の波に乗り、自分のアイデアを瞬時に視覚化できる可能性に心躍らせた。
テクノロジーに対する興奮で食欲も薄くなり、睡眠時間も削れた。

この新しいツールを使って、自分の想像力を掘り下げ、様々な世界観を形にしようと試みた。
しかし、その過程で意外な発見があった

「自分がどうしても作り上げたい世界観」が存在しないことに気づいたの
だ。


この気づきは少し絶望的でもあった。

生成AIの登場を期に作成したTwitterアカウントでは、「何かを作ること」に対するハードルが下がり、皆が熱心に作った「自分が作り上げたい世界観」が毎日のように流れてくる。

かたや自分は、熱心さを失い始め、作り上げたいイメージを考えるのも大変な作業になっていた。


しかし少ししてから、それは安堵に変わった

何かを作ることのハードルが下がったからといって、熱心にアートを作ろうとしなくてよいのだと。

画像生成AIの登場によって、世界観を作り上げるハードルが大きく下がった。
皮肉にも、それによって「自分は世界観を作り上げたい人間ではない」という事実を確認することができた。


しかし、話はここでは終わらない。
ChatGPTなどの他の生成AIツールを使ってプログラミングに取り組むうちに、別の気付きを得た。

コードを書くという行為も効率化された結果、コーディング自体ではなく、プログラミングによって機能やプロダクトを生み出すことに強い関心を持つようになった。

この発見は、自分の本当の情熱がどこにあるかを示唆していた。

今までも「こんな機能やプロダクト作りてえな」という欲求は間違いなくあった。しかし、その意欲をコーディングというハードルが低下させていた。

「自分が作りたい世界観」がなくて、アート的なものづくりは向いていないかもしれない。しかし、「自分が作りたいプロダクト」を追求することで、工学的側面からものづくりの世界に参加できると気づいた。

生成AIによってプログラミングを進めている傍らで「自分の作り出したい機能やプロダクト」がどんどんと湧いてくる。
もはやコーディングは「自分の作り出したい機能やプロダクト」を実現する意欲を低下させなくなった

なるほど、こういうことか。
別に「自分が作り上げたい世界観」がなくてもいいんだな。

技術の進歩と自己理解が交差するこの瞬間は、自分が「何者になれそうか」を見極める、またとないチャンスだと感じている。

技術革新は単に世界を変えるだけでなく、私たち一人一人が自己を再発見し、新たな可能性に挑戦する機会を提供してくれるのだと実感した。


果たして君が実現したいのは「世界観」なのか「プロダクト」なのか。

あるいは…。

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