in Perl.

2016 / 3 / 27 日曜日、私は家から 400 km 程離れた街にいた。これは、昼に全ての用事を終わらせて、夕方までゆっくりと駅や空港にある、見通しの良い喫茶店で、コーヒーを飲んでいた時の話。私はそんな場所に 1 人で座り、街を歩く人を見るのが好きだ。

しかし、そういった場所には監視カメラがあり、自分自身も監視されている場合がほとんどである。現代のインターネットでは、常に誰かが誰かを監視して、それを誰かが監視するという状況。今に始まった事ではないけれど、そんな状況。

インターネットでしか出会った事のない誰かが、私を直接見ている可能性は 0 ではない。私は、インフルエンザ予防のマスクを目の下まで広げ、髪を下ろした。私を知る人がそれを見れば、すぐに誰だか分かる状態だけど、表情は分からない状態だ。

なんとなく世界から隔離されて、多くの人がいる中で、1 人になりたい気分になる。インターネット常駐を、自分の意思で落とす瞬間。インターネット上のインターフェイスを全て切り離した状態で、外部の雑音を消し、依存を断ち切る。

耳と iPhone を繋ぐイヤホンからは Glassy Skyが聴こえ、何度も繰り返されている。その iPhone は、足元の鞄に入れらたまま MBA に接続され、充電していて使えない。私は、空間の一部となり、全ての情報を処理しているだけの存在。

インターネットに接続されていない私の思考は、私の中だけで処理される。自分の考えを整理して出力する為に、意識と無意識の間で、何かのやりとりがあるだけ。私は、外部から干渉されない、ひとつのプロセスでしかない。

その日、私に集められた、全ての情報エネルギーが入った @meme を for で回し given で受けて when で処理する。情報量の多い $_ を後回しにして。全ての処理が終われば 0 を返して終わる。そんな関数の中にいた。

人は何かから情報を得て、記憶し、それを再構築する。その情報を記憶する場所は、外部記憶装置でも問題ない。後はそれを考える為に、なんらかの言葉が必要になる。多くの人と話をした後は Perl が良い。

for で回して given で受け when で処理する。人の思考なんてその程度。3時間程そこに座っていただろうか。多くの情報が整理され、私は 0 を返した。しかし、この返された 0 は何処へ行くのだろうか。その答えは、この世界の全てであり、私の思考。

on Lisp.

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