うっすらとある気持ち


うっすらと
本当にうっすらと、行き場のない孤独さと悲しさと切なさが混ざったような気持ちを毎日、いつでも、どこでも抱えていて、みたいなこと、みんなはないのかなあ、と思う。
言葉には言い表せない、でも確かに胸の中で息をしている、小さくて黒いもの。大きくなると消えてしまいたいと思い、小さくなると容易に無視できるそれは、一日の中で拡縮小を激しく繰り返すこともあれば、好きなドラマを一気に見ている週には全く顔を出さなくなったり、一度飲み込まれるともう二度と出られないんじゃないかと思うくらい長くて暗いトンネルのようになってしまう時もある。
私はそれを「核」と勝手に呼んでいるのだけれど、思うに、思春期からずっと私と共に生きている気がする。
邪魔だな、あっち行ってよ、と思いながらも、誰かに話してしまえば、
「こいつ変なこと言ってる!」と言われてしまいそうで、今日こうしているように、誰かに見られるかも、そうじゃないかもわからないような、こういう場所に書いて、日記のように書いて、気持ちの整理をするだけになってしまうのだけれど、もし今日、これを読む人がいるのならば、何を思うのだろう。
この核は、私を生かすことも、消えてしまいたいと思わすことも、自由自在に、してしまう。そしてこうして文章に、言葉に、どこかに、残しておきたいと強く思わせる時は必ず、後者なのであった。
世間で悲しい出来事や事件が起こって自分が胸を痛めることはあっても、この核の部分に影響することは全くなく、別次元の話で、ひどい、と思われようとも、結びつかないのだから仕方がない。なんなら、それで落ち込みきれない自分に嫌気がさすたび、さらにその核が大きくなって、苦しくて、余計に消えてしまいたくなるもんで、もんなのです。
わかってほしいとか微塵も思わないし、お前私の気持ちわかんないだろ!とも思わない。ただ一定に、ずっと私の心の中に住んでいるもの。たまたま黒くて、痛みを伴うそれは、いい奴なのか悪者なのかもわからない。
好きになんて絶対になれないけれど、なぜか嫌いにはなれない、「私」という、をのもの。自分の中にいるもう一人の自分。
そりゃうっすら、消えてしまいたいとか、思ってしまう日もあるものだ。
それを、それでいいんだよ、大丈夫だよって、外側から包むのもまた私なのである。

結局わからないのでまた本日も日記のようになってしまった。
書いておいてなんだけど、別に具現化したいとは、一ミリも思っていないものなのでした。

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