気に食わない奴が推しになった話
噂には聞いていたし、そうなったとしても特に何も思わないだろうと割と心の底から思っていた。
そんな自分が甘かった。
推しが泣き崩れた瞬間、私も涙を流していたからだ。
「2021年11月12日
CDデビュー決定!!」
これは、第一印象が"気に食わない"だった私の推しがデビューするまでの、私と推しの話である。
⚠️自己満なので大分長いですが、温かい目で見ていただけると幸いです。
私は現在、関西圏に住む大学4年生だ。
高校までの約18年間は九州ですくすくと育った。
中学に上がる時は勿論、高校に上がる時も進路に迷うことはなかった。普通に高校にいって、勉強も将来の幅を狭めない程度に普通にできればいいと思っていた。
県外に出ることなど頭の隅にも無かった。
しかし、高校生になるとそうもいかない。
将来何がしたいのか、どうなりたいのか、具体的にしていかなければならない。
計画性もなく、成り行き主義な私は、毎度受ける模試の志望大学にタウンページぐらい分厚い大学一覧本から聞いたことのある大学の名前を書いては提出していた。
真剣に考えなさいと言われ始めた高校3年生。
そんなある日、私は決意した。
関西の大学にいく
当時の担任にはなぜその大学なのか、関西に行く必要があるのか、今の県の方がよっぽど良いと後半はよく分からない押し付けをされた記憶が強く残っている。その時はそれらしい理由を付けて誤魔化していた。
そんな担任であったとしても、私が関西にある大学を選んだ裏の理由は口が裂けても言えない。
それは、
大橋くんに死ぬ程たくさん会いたい!
という、大変お馬鹿な理由であるからだ。
勿論、親にもこんなことは言っていないが、当時17歳で考えも甘い私のこの下心は見透かされていただろう。
薄々気づいている方もいるかもしれないが、第一印象が"気に食わない"だった彼の名前は大橋和也だ。
現在は関西ジャニーズJr.のグループ
「なにわ男子」のリーダーを務めている。
愛らしい顔と礼儀正しく、パワフルで人懐っこい性格から皆んなに好かれる人気者だ。
そんな彼と出会ったのは、高校2年生の春。
ジャニーズWESTの1st ツアー「パリピポ」が収録されたライブDVDである。
母は元ジャニオタ、叔母は現ジャニオタというオタク生粋の血を引いた私ももちろんジャニオタの人生を歩むことになった。
姉の影響により、関ジャニ∞そしてジャニーズWESTのオタクになり、ついには関西ジャニーズJr.に手を伸ばし始めていた。
ジャニーズWESTのライブは、メインの彼らだけでなく、Jr.のコーナーも楽しみにしていた。
Jr.コーナーで真面目に画面を見ていたのは最初に披露されるNEXT STAGEだけだった。私は当時室龍太くんを密かに応援していた。いつもはその後画面から目を離し、音だけ聞いていた。
ある日、最後の曲である関西では定番のHappy Happy Lucky You!!(通称ハピラキ)を見ていた時だった。
客席に向かって、終始両手を振り、走りながらずっとペコペコしている女の子のようなJr.がいた。
ペコペコしてへりくだりすぎだろ
なんなんだ?あの態度は
、、、、気に食わない
まだ幼かった15歳の私を許して欲しい。
当時はあんな健気な彼を見て、こんなことしか思わなかった。
しかし、不思議なことにそのDVDを見終わっても、お風呂に入っていても、寝ようと目を閉じても、あの気に食わないJr.の姿が頭から離れないのだ。
呪いだと思った。
それから彼について調べるようになった。
どうやら巷では "西の天使" と呼ばれているらしい。私の感じた第一印象とは程遠い。
そう思っていた高校2年生の5月。
しかし、オタクの血を引いた私が沼らない訳がなかった。
当時、大橋和也、朝田淳弥、林真鳥、古謝那伊留、草間リチャード敬太、末澤誠也、今江大地、藤原丈一郎の8人で"funky8"と呼ばれる仲で活動していた。
2015年に中山優馬のコンサートツアーのバックメンバーに抜擢され、振り付けを担当した先輩・屋良朝幸からもらった愛称だそうだ。
この辺りからまいど!ジャーニー(通称:まいジャニ)と呼ばれる関西Jr.が出演する関西のローカル番組を見始めた。
お笑い芸人やタレントなど、ゲストを招き、30分間トークを繰り広げるバラエティ番組である。
この番組の1番の見どころは、ラストのshowtimeである。前のバラエティとは打って変わって、歌って踊るアイドルの彼らが見られるのである。
当時大橋くんは、レギュラー出演していたわけではなく、後方にいることの方が多かったため、彼が映る瞬間を必死に追っていた。一瞬見える顔の一部から見える表情、手先や足だけでも嬉しかった。
そのくらい彼に魅了されていたのだ。
ダンスは素人の私でもわかるほど上手だった。上手というのはおこがましい、適切な言葉は惹き込まれるだ。誰よりもダイナミックなのにしなやかで綺麗だと思った。
歌は、自前のハスキーな声を活かしつつも、よく通る、芯のある甘めの声だった。
私の大好きな声だ。
funky8が主役のshowtimeは隙あらば見ていた。
非公式ではあったが、彼ら8人を応援するファンも多く、私も友人もその1人であった。
この友人は私のオタク人生にとって大切な1人である。彼女とは沢山の現場を巡っては幸せを分かち合ってきた(と思っている)。
高校2年生の冬。
現実では特にキュンキュンする出来事も起こらない平凡な日々を過ごしていた私に突如、大橋くんに会える切符が手に入った。
ジャニーズWESTのツアー「なうぇすと」の福岡公演だ。ジャニーズWESTのファンでもある私は自担と大橋くんのうちわを持って参加した。
公演当日。
なうぇすとのライブツアーでは毎回違うJr.がクローズアップされるようだった。
なんと、私が入った今公演は大橋くんだったのだ。
もう、運命だとしか思えなかった。
その後、自担に目もくれる暇もなく、ただただ大橋くんの姿を追いかけていた。
照明が暗い時もあったが、レコーダーが擦り切れるのではないかと思うほど見たまいジャニのおかげで、シルエットや動き、仕草で見分けることができるまでには彼の虜になっていた。
口を開けば「大橋くん」
3度の飯より「大橋くん」
このコンサートに行くまでに薄々気づいてはいたのだが、私にとって1番は彼になっていたのだ。
その2ヶ月後、再び大橋くんに会える日がやってきた。
春に大阪の松竹座で行われた「春のSHOW合戦」
いわゆる"春松竹"である。
何度かコンサートに行ったことはあるが、家庭内の暗黙の了解で福岡までしか出ることを許されていなかった。
しかしこの時、親をどうやって説得したのかは全く記憶に無いが、過保護な親から離れ、大阪まで会いに行くことに成功したのである。
(ただ、家を出る時に多少揉めたことだけ覚えている。親との関係を悪くしたくないと思っていた私でもこの時だけは大橋くんに会えればなんでも良いやと思っていた。そのくらい愛の力は強いのである。)
このチケットは、先程説明した友人(ここから先はA子とする)が探してくれ、4連中の2連を私とA子で入ることになった。
いざ、会場に入るとなんと、花道の真横だったのだ。
客席はよくある構成だ。
3階建てで、上階は奥まっており、最後列となるとステージからの距離はまあまあ遠い。1階席には下手よりに花道が通っている。
しかし、この花道横のいわゆる"神席"を引くのにはかなりの運が必要であるため、日々の徳積みが大切なのだ。
譲ってくださった方の運を有難く受けとりながら席に着いた。
たしかうちわは禁止であったため、グッズ売り場で販売されていた写真を手に待っていた。
正直、公演内容は覚えていない。
ただひとつだけ、大橋くんが私にファンサをしてくれたことだけが今でもしっかり脳にこびりついている。
私と友人はペンライトを持っていなかったのにも関わらず、「和也くん!(イキって下の名前で呼んだ)」という声に耳を傾け、向こうを向いていた彼がこちらに視線を向け、目を合わせて微笑みながら少しかがんで手を振ってくれた。
事故に遭う瞬間、全てがスローモーションに見えるとよく言うが、本当にそうだと思う。
何か衝撃的な事が起こる直前、人間の目はこれから起きる出来事が全てゆっくりと動いて見える作りになっているに違いない。
それは実際1秒も無かったかもしれない。
しかし、動いた髪や瞬きした瞼、上がる口角、手を振った時に揺れる衣装、全てがゆっくりに見えた。
目があった瞬間、大橋くんに魔法をかけられたかのように、時を止める透明な箱に閉じ込められていた。
彼が私から目を逸らした数秒後、魔法が解けてしまった。
同時に、周りの人が私を羨むのを空気で悟った。
それでようやく実感した。
私にファンサをしてくれたのだと。
帰ってからも大橋くんのことで頭がいっぱいだった。
関西に住んでいたら毎回こんな思いもせず、すぐに会いに行けるのに。本気で思った。
今までも関西のジャニーズが好きだったし、親も関西で暮らしていたことがあったので憧れは昔からあった。でも、それはそうなれば良いなとか、いつか関西に住んでみたいなと思う程度だった。
しかし、この春松竹を経て高校3年生になった私は冒頭の決意をしたのである
(大橋くんにたくさん会うために)
私、関西の大学に行く!
と。
受験に向けて、それなりに勉強した。
毎年恒例で行われる高校の勉強合宿も、メモなどの紙を挟めるようになっている下敷きに大橋くんの写真を挟み、辛い1週間を乗り切った。
模試の点数が下がっても、当時配信されていたジャニーズJr.情報局の動画や録画していた少クラを見ては、勇気とやる気を貰っていた。
高校最後の年は、大橋くんと乗り越えたと言っても過言では無いのである。
時は流れて
無事、関西の大学に合格した。
その喜びを胸に、合格報告をするため、高校卒業式の次の日、大橋くんと丈(藤原丈一郎)が主演を務める舞台「リューン」が開演される福岡へと颯爽と飛んでいった。
そして、大学1年生になった。
少し前からではあったが、funky8での露出が少なくなっていた。
8月に行った少年たちでもその姿は見られなかった。
ここ最近は、室龍太、向井康二、西畑大吾、大西流星を頭とし、その他はバラバラと活動している印象だった。
なんてことない日々を送る中で
突如、この日は訪れたのである。
2018年10月6日
なにわ男子結成
私はこの時、大橋くんがメンバーに選ばれたことよりも、薄々気付いていたfunky8の消滅を違う言葉で決定づけられたことによるショックの方が大きかった。
今思えば良くないオタクである。万事は流れるものでなければならないし、そうなるものである。
不変など、永遠などありえないのである。
そして何より、推しがメンバーに選ばれ、彼の夢であるデビューへと一歩近づけたことを一緒に喜ぶべきだったのである。
しかし、この時の私にはできなかった。
大橋くんは応援したいのだが、
これからのオタク人生、暫くはfunky8の亡霊として生きていくこととなった。
複雑な感情の中、秋コン、クリパ、春松竹に参加した。
これらのコンサートでも、なにわ男子で緑色のメンバーカラーを担当しているのにも関わらず、funky8時代のメンバーカラーだったピンク色にペンライトを照らしたくてしょうがない衝動をずっと抑えていた。
この時点で立派な亡霊である。
しかし、日に日に「なにわ男子の大橋くん」にも慣れてきた。
ただ、この慣れが私の寂しさを生み出すようになった。
大橋くんにたくさん会うという目標もかなり達成していたはずなのになぜだろうか。
私の好きな「関西ジャニーズJr.の大橋くん」について説明する時、高校生の頃は説明が面倒なので通じる人にしか話さなかった。大学に入っても当初は説明が大変だったのだが、「なにわ男子の大橋くん」になってからは『その子知ってる!』と言われる事の方が多くなった。
正直、世間に認知されるようになったという喜びよりも、知られてしまったという感情のほうが断然大きかった。
私は彼のほんの一部しか知らないくせに、
大橋くんにはこんな事もあってこんな事もあったのだと言いたくなってしまう。
私自身、こういう古参気質なオタクは苦手だ。
ここの時点で大橋くんを素直に応援する事ができなくなっている自分に気付いていた。
自分が苦手と分類する人種にもなりかけていた。
しかし、私はまだ大橋くんのオタクをしていた。
大学2年生になった。
7月、舞台「リューン」を観劇しに行った。
前作が好評で再演することになったのだ。
私もこの舞台は好きであったし、ミュージカルであるため、大橋くんの生歌をずっと聴く事ができるのである。
8月、少年たちを観に松竹座へ行った。
大橋くんはその日も私にとってスーパーアイドルだった。
しかし、この日を最後に私は大橋くんと会うことはなくなった。
A子と追っかけをできなくなったのも理由のひとつではあるが全てではない。
これまで凄く楽しかったし、全てが良い思い出で今でも心の中に大事にしまっているし、引き出すたびに、まだキラキラしている。
また、大橋くんのことを嫌いになったわけでもない。
むしろ今も好きである。
ただ、彼を応援していると苦しくなるのだ。
私はそんな自分自身が"気に食わない"のである。
私のいちオタク論として、推し単体だけでなく、推しと一緒に夢を叶えようとしているグループのメンバーごと、まるっと推すことが出来なければ推す意味が無いのである。
そうでなければ、いくら推しても推しの弊害をするだけであるからだ。
魅力に溢れた彼には、これからも沢山のファンができるだろう。
それから大橋くんを追っかけをすることはなくなった。
突然に思えるかもしれないが、物事の終わりはだいたいそんなものである。
ふとテレビを付けたときに出ていた番組は見たりしたが、以前のようにわざわざ録画したり、ダビングしたり、彼のために雑誌を買うことなどはしなくなっていた。
今思うと意図的に目に入らないようにしていたのかもしれない。
あっという間に時間は過ぎ、
2020年7月28日。
関西勢で行われたライブのオンライン配信で、歌う彼を久々に見た。相変わらず大好きな声だった。
それからも、彼らはなにわ男子として多くのメディアに引っ張りだこであったし、運営からの推しも顕著であった。
いつからか、ジャニーズJr.からどのグループが先にデビューするのか囁かれるようになった。
こういうことはよくあるのだが、何かの噂で
2021年の7月28日(728:なにわ の日)に
なにわ男子がデビューするというニュースが耳に入ってきた。
そんな分かりやすいことをするのか?と疑問を持ちつつ、なにわ男子はツアーのMCを配信することになっていたため、軽い気持ちで覗いてみることにした。
すると、今までしていたという企画とは少し趣旨でゲームが始まった。
多分、会場にいる人たちだけでなく、画面で見ている人も全員があの独特な雰囲気を感じ取ったと思う。
明らかにデビュー発表の流れだった。
手が震えつつも、まあデビュー発表するだろうと心構えしていた。
焦ったいまま進行が行われる中、
いきなりメンバーの様子がおかしくなった。
彼らの後ろにある液晶になんらかの映像が流れ始めた数秒後、普段涙は見せるタイプではない大橋くんが仲間と肩を組みながら笑顔で泣き崩れたのだ。
CDデビューが発表されたのだとすぐにわかった。
改めてメンバーの口から、デビューが決まったことを私たちに伝えられると震えも、涙も止まらなかった。
私が見てきた大橋くんはほんの一部でしかないが、彼が歩んできた道を追いかけてきた思い出が走馬灯のように頭の中に流れた。ダンスが上手いのも、歌が上手いのも全部彼の努力してきた賜物であること。最初は引っ込み思案で、マイクを差し出されても、可愛い笑顔でニコニコしながら頷くだけで上手く喋られなかったこと。この職業を辞める決断をした仲間が大勢がいる中、必死にもがいて、自分のキャラを見つけて、デビューに向けて必死に頑張っていたこと。
その努力は計り知れないけれど、
本当に心からからおめでとうと思ったのだ。
そんな日から107日経った今日、
彼は夢の"デビュー"を果たす。
目標であるスーパースターへの第一歩を踏み出すのだ。
あの時、"気に食わない"奴になってくれたおかげでその奴というやらは私の推しになった。
私の推しになってくれてありがとう。
楽しい思い出にはもちろん、落ち込んでいた時、辛い時、凹んだ時、うまくいかない時にも
いつも大橋くんが一緒だった。
これまでの思いを文字にし、消化することで
亡霊は消えることとする。
大橋くん、本当にデビューおめでとう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?