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親孝行とは 〜母〜


22歳で就職。
香川県高松市に転勤。
初めての一人暮らし。
親には毎月仕送りをしていた。
それが親孝行だと思っていたから。
いつも親は「ありがとう」
と言ってくれていたから。
「俺ちゃんと親孝行してるんすよ」
って偉そうに周りに言ってた。

2年目にさしかかるとき元々カフェやコーヒーに興味があった僕は思い立つように仕事を辞めてしまった。もちろん親に相談することはなく。
ある程度カフェをオープンする目処がついたら報告したらいいかなって軽い気持ちだった。

久々に実家に帰った時、母が部屋に入ってきて「何か隠してる事はないか」と急に僕に問いかけた。そんな事聞かれる予定もなかった僕は咄嗟に会社を辞めた事を告げた。


母はおんおん泣いた
初めて本気で泣く母を見た


親を泣かせてしまったろくでもない親不孝な子供がそこにいた。
心が抜けてしまって部屋の片隅から
親不孝な子供と「何故相談してくれなかったのか」と泣く母を他人事のように見ている自分がいた。

気付いたら母と一緒に泣いていた。
無機質な部屋で泣き声だけが響いた。
外を走る車の音も、いつもうるさい蝉の声も何も聞こえなかった。このまま心臓が止まって死んでしまってもいいかなと本能的によぎったのを覚えている。人生で「死にたい」と思ったのは後にも先にもこの時だけだろう

「会社を辞めてしまったこと」ではなく「何故辞める前に相談してくれなかったのか」という母の涙。そこで僕は初めて自分がしてしまった事の重大さに気づいた。
母は泣きながら声にならない声で

「こんな…こんな親で本当にごめんね」



その言葉が僕の胸を一撃で貫いた。
心にヒビが入る音を今でも覚えている。
「違う。僕の方こそごめんなさい。」
この一言は今でも伝えられていない。
ただ涙が止まらなかった。
自分自身を責めた。
この時の涙は映画を見て感動したりする涙と違い
とても冷たく氷のような感覚だった

「孝行したい時に親はなし」


と言う言葉がある。親が亡くなった後にいくら遺影の前で手を合わせても想いは届かない。
いや、届いてるのかも知れないが反応は分からない。親が元気なうちに一緒に過ごす時間を増やす。これが僕なりに考えた親孝行だった。

僕はそれから仕送りをやめた
お金を送っとけばいいと言う考えは捨てた
親と過ごす時間、近況の報告など親とたくさん
コミュニケーションを取るようにした
ランチに行ったり、飲みに行ったり。

僕が仕送りしている時の「ありがとう」と
一緒に笑い合う時の親の「ありがとう」は
こんなにも違うのかって気づいた

親孝行はしてもし足りない

親が居て今の自分がいる

「いつもありがとう」

久しぶりにその一言を親に伝えてみてほしい

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