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寂しさ再生産2021

>>ネットや携帯によって、コミュニケーションへの飢餓感や繋がりたいという欲求が加速しているというような話を聞くが、これって飢えや渇きに例えるより「小腹がすいた」感覚に例えるのが近いかなということを思った。テーブルの上にあるからついつい食べてしまうみたいな。そして間食に慣れると冷蔵庫が空の状態が我慢ならなくなるという。

寂しさ再生産という単語を初めて聞いたのは、確か大学の講義だったと思う。社会学か心理学か忘れたが、人文系の授業だった筈だ。要は「人はコミュニケーションを取れば取るほど、更にコミュニケーションを求め余計に寂しさを増す」という、割と救いがない現象、概念についてだ。

当時若者はほとんど携帯を持っていて、他者と繋がるのは当たり前だった。アドレス帳には整理しきれないほどの名前がずらりと並び、そのほとんどと今はもう関わりは全くない。生きているのか、死んでいるかすら分からない。

孤独を感じたのは、人の群れの中にいる方が多かった。家庭、友達、学校、都会。確かに人はいる。話す相手もいる。だが、物足りない。本当の自分をわかってもらいたい。本当に理解し合える相手がどこかにいる筈だ。今ならば分かる。そんなものは、頭の中にしかいないと。

当時はmixiが流行していて、私もよく日記を書いたりコメントを付けていた。インターネットには親和性があったが、顔も知らない相手と朝までレスバしても得られるものは疲労と寝不足だけだ。いくらインターネットがにぎやかだろうと、顔を合わせる飲み会でくだらないけとを話すことの心地良さには勝てなかった。

今や、スマホの普及率はおして知るべし。インプットもアウトプットも思いのまま、世界中の人と繋がれる。だが、寂しさは解消されたのか?幸せに、なれたのか?

>>つながれる人間は家族でも先生でもなく、自分と同じ境遇のわずかな仲間に限られ、スマホという情報端末にすがっているが、「情報を読み間違えたらつながりが切れてしまう」と不安を抱えて毎日を過ごしているという。

>>政府は、他人との接点が少なくなって孤独を感じたり、社会的、経済的に孤立したりする人が増えたことが自殺者増の要因の一つになっているとみて対策強化に乗り出している。

私がレスバの結果得た「これは無駄である」という感覚は、確かに正しかったと思う。肉の身体を持っている限り、リアルが与える刺激には勝てない。インターネットは、リアルの代打にはなれない。絶対に。

「企業のネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど、情報化されていない近未来(攻殻)」に生きているのかも知れない。

それでもやはり、さみしさは解消されない。私たちは何と繋がりたいのか。何を満たしたいのか。繋がり、満たされた先には何があるのか。あの世に持っていけるものなど、一つもないというのに。