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2年前の廃案はなぜ今日成立したか

入管法改案が本日(2023年6月9日)参議院本会議にて可決され、成立した。1年以内に順次施行される。

この法案は、2021年に提出され、激しい攻防の末に廃案になった閣法案と大きくは変わらないものである。そもそも霞ヶ関のやりたいことが変わっていないので、いかに表向きには違うと主張していても、入管庁だって微修正しかしていないことは分かっているはずである。一度廃案となってもなお、その道のプロが正しいと信じた法案ということだ。

反対の動きも似通っていた。二度とも数十万のオンライン署名が集まり、連日に渡り数千人規模の街頭デモが行われた。二度とも入管の不祥事がこれでもかというぐらい暴露されて、法務大臣が釈明に追われた。それでもなお、21年には廃案になり、23年には通った。

自然な疑問は、2021年には廃案に追い込まれたこの法案が、なぜ2023年には押し通せたのかということだと思う。最近あまりnoteで時事的なことを書かなかったのだけど、個人的に興味があったので少しこれについて整理する。守秘義務があるため、この記事のソースはすべて公になっている情報であることを強調しておく。


法案の背景

まず、この法案はどのようなものなのか。もともとの入管庁の問題意識は、庁そして法律の名前に端的に現れている。出入国が管理しきれなくなっていることだ。難民認定率が低い日本では、難民申請を複数回行う人が多い。しかし、国際難民条約 に(一応)批准している日本は、何回不認定にしようとも難民申請中の人を強制的に本国に帰らせることは基本的にできない。国際難民法、国際人権法その他(自由権規約、拷問等禁止条約、子どもの権利条約等)には、本国で迫害に遭うかもしれない人を強制的に送り帰すことを禁ずるノン・ルフールマン原則(non-refoulement, refouleは送還の意)という条文があるからである。強制的に送還してはいけないので、入管庁・航空会社などが総力を上げて帰らせようとプレッシャーをかける。それでも自主的に帰国しない場合、不認定であるうちは日本での在留資格もないので、不法滞在で収容され、刑務所よりも悪いとされる環境で難民申請の結果を待つということになる。そして、一回の難民申請の結果が出るまでにはときに数年かかる。

国境でもなんでも、境界をガチガチに管理しようとする限り、境界線上に乗る人々に対応できなくなる。これは当たり前のことであって、境界線を引くことは権力者にしかできないので、ボーダーライン上の人々が悪いのではない。マクロな潮流でみると、入管法はここ数年の間に非常に頻繁に変わる法律の一つとなっている。グローバル化のもとで、国境管理という統治のあり方自体が限界に近づき、アップデートが必要になっているということが根本だ。この点に関して、国益優先!な与党と、人権優先!な野党の考え方が壊滅的に噛み合わないので、毎回多数決での強行採決となるわけである。21年の改正失敗の前には、2018年に激論を経て在留資格「特定技能」を整備するための法案が強行採決された(安倍晋三の迷答弁「これは移民政策ではない」はこのときである)。また、現在並行して技能実習制度の見直しが図られていることは示唆的であろう。

数年間も収容されれば、人は心身ともにボロボロになる。警備官からのハラスメントと暴力、ハンガーストライキ、懲罰用の独房などが蔓延する世界である。当然、入管庁がたまには医療上その他の理由によって仮釈放処分を出し、その間に逃亡する事例も増える。仮釈放中は日本で働いてお金を稼いだりもできないので、逃亡は死活問題である。こうした問題意識から、2019年に収容・送還に関する専門部会という有識者会合が設置され、その提言も「参考にしつつ」入管庁が業務効率化のために立法したのが、21年23年の閣法である。業務効率化とは、例えば以下のような出費を抑えることも含まれる。

「(送還忌避者の)護送官を付した上での送還準備には、関係機関との調整、準備等に相当期間を要するほか、数百万単位の国費を費やす」

5月18日、参議院法務委員会での加田議員(自民)の質問に対する西山次長の答弁より

大事なことは、これが閣法(行政立法)であり、べつに差別的な考え方を持った与党の議員が策定した議員立法ではないことである。内閣、そして与党は法案を容認し、政治ゲームを戦ってあげたに過ぎない。大元では入管庁の官僚たちが通したい法案なのである。投票で選出されたわけでもない、頭のいい人たちが、これを作った。彼ら彼女らの内部ロジックは一概に斬り捨てられない。

ただ、政治と政治家の責任はやはり切り離せない。とくに、いまの政治環境では、完全に国際基準に則ったような素晴らしい難民認定制度を立法することはできない。それは逆に日本の極右勢力を刺激してしまうため、内閣側が容認しないからである。この状況下で、人権をちょっとは守りつつ、収容を減らして業務を効率化したい、と法務省内はきっと考えているのではないか。ローカルな意思決定とグローバルな意思決定が非常にまずい形で接続してしまった。

法案の内容

以下が本法案のポイントだ。

①難民に準じて保護すべき方々を補完的保護対象者として認定する
②退去強制令が出る前に在留特別許可制度の申請ができるようになる
③送還を忌避する者に罰則を設ける
④難民認定手続き中は一律に送還が停止されるという原則に例外を設ける
⑤収容せずに監理措置のもと放免することを定期的に検討する
など

入管庁 国会提出法案

このうち、①②は保護する幅を一応は広くするものである。この「補完的保護」(Complementary protection)という制度は先進諸国で見られるものの、本法案のそれは到底その保護水準に達していない。まあ、日本の改革は日進月歩だからこれは別にいい。

また、⑤はたびたび国際機関から怒られてきた日本の収容の実態を改善しようとするものである。これもいい。

対して、③④は「不認定ならば送還」という(法務省的には当たり前な)業務の効率化を図るものである。③送還に抵抗する人を犯罪者とし、④3回目以降の難民申請者などを申請中であっても強制送還できるようにした。これは明らかに問題である。

④については、迫害される可能性が高いと入管庁が認定した国が本国である場合のみ、送還を停止するという条項が含まれている。ここらへんが法学の機微というか難しいところで、条文の文言上は国際法違反でなくても、その法案を実際に現場レベルの職員が運用する上で国際法違反(送還)が日常茶飯事になりうる余地が含まれている。さらに、日本で不認定になった人でも国際基準では難民であった場合すらあるため、そもそもの審査がガサツなのだ。だいたい、出身国の情報をまともに調べないとか答弁している自称専門家が決定を多くおこなっていることが今回わかったので、信頼できないと言っていいと思う。これでは、いつ日本のせいで拷問を受ける人が出てもおかしくはない。その他、反対する理由はいくらでもあり、こちらに上手くまとまっている。

「出身国情報を詳細に検討しなければ判断できない案件はあまりなかった」

5月25日、参議院法務委員会における浅川参考人の答弁より。
この人は在日特権批判などのヘイト本に寄稿している人であることが分かっている。

つまり、この改正を難民申請者を保護する観点からみれば、①②⑤の方向では(ちょっと)プラスに進み、③④というベクトルでは(著しく)マイナスに進む。人権侵害の現行法Aから、人権侵害の改正案Bへの移行を提起され、AとBがねじれの位置にあるとき、果たしてBを支持するべきか否か。それがこの法案に筆者が持っているアンビバレントな理解である。ねじれの位置ということは、これは文字通り異次元の入管政策ということになる。廃案(=何もしない)よりはいいか、というのはトロッコ問題的で、意外と難しい。

他方で、法律改正という仕事は多大な労力とコストがかかる。有識者会議に呼ばれる専門家、ブラック霞ヶ関での徹夜、尽きない政治家の議論、対応せざるを得ない国際機関、市民が意見表明のために要するエネルギー。これらはすべて、結局は我々の血と汗と涙(文字通りでも、税金の意味でも)でできている。一番下には振り回される若い職員やら、議事録を取るインターンやら、この件に声を持たない当事者たる難民申請者がいるということも(身を持って)分かっている。改正するならこれより遥かにいいものを作りやがれというのは自然なお願いであると思うし、逆にここまでこの法案を作るために要した労力を無駄にしたくないというのも(少しは)わかる。限界費用と埋没費用、どちらを優先するかという問題にもなるのである。

国会審議の基本的な仕組み

入管庁が作った法律は、与党の閣議決定(内閣が国会に提出していいよ〜って言う)を経て、衆議院か参議院のどちらか一方で審議が始まる。衆参どちらにしろ、議院全体であーだこーだ言うのではなく、議員が割り振られた適当な委員会(この場合は法務省立法なので法務委員会)において審議され、そこで可決されると全員がいる本会議で採決される。そして可決されればもう一方の議院に送付され、同じプロセスが完了すれば成立となる。

①法務省入管庁が立法
②内閣が閣議決定、国会提出
③衆議院本会議で趣旨説明(こんな法案の審議を始めるヨってやつ)
④衆議院法務委員会で審議
⑤衆議院法務委員会で可決
⑥衆議院本会議で可決
⑦参議院本会議で趣旨説明
⑧参議院法務委員会で審議
⑨参議院法務委員会で採決
⑩参議院本会議で可決、成立

入管法の国会審議の流れ

この長いプロセスを経なければ法案は成立しないわけだが、ほとんどの法案は実は全会一致ですんなり通る。こうしたものは、ほとんど成立するまで(成立しても)ニュースにならない。与野党が常に喧嘩しているように見えるのは、そうした対立法案の審議や予算委員会みたいな全体会議しかTVのニュースで放映されないからである。

また、すんなり通った場合でも、提出された原案がそのまま成立していないことも多い。修正協議や附帯決議といって、野党の意見なども取り入れて一部を変えた上で可決するのである。法案自体が変わり、法的拘束力がある法案修正に対し、附帯決議とは「運用上こういうことに注意してね」みたいなやつで、あまり拘束力はない。こうした形で、全会一致と強行採決の間のグレーゾーンが存在する。

対立法案については、数で負けている野党が徹底的に抵抗することがある。ここ数年、議席数で圧倒的不利にある野党がどのように抵抗するか(せざるを得ないか)というと、時間を稼ぐのである。通常国会は1月中旬から6月中旬。この間に終わらなければ次の国会に持ち越すこともできるが、次の国会までにその議会に選挙がある場合は、廃案になってしまう。それを狙って、野党は審議日程を遅らせるために様々な手を使う。以下のうち、最初の5つはそれぞれ審議日程を最低でも2〜3日遅らせる効果がある(例:法務委員会は火・木曜日なので、火曜日に出せばその日の委員会は取りやめになり、水曜日の本会議で否決され、木曜日にまた採決が試みられる)。

野党の議員立法で対案を提出する →審議時間がそっちにも割かれる
もっと委員会での質疑の時間を求める →委員長の職権で採決に進まれる
その前に法務委員長の解任動議を提出 →次の本会議で否決
採決前に法務大臣の問責決議案を提出 →次の本会議で否決、委員会で採決
⑥の前に内閣不信任決議案を提出 →次の本会議で否決
⑥で反対派のスピーチの際、めっちゃ長く喋る(米国議会ではFilibuster)
⑥で記名投票の際、投票箱までめっちゃゆっくり歩く(いわゆる牛歩戦術)
以上を、衆参両院でやる

圧倒的少数派に残された武器。全部やったらただの嫌がらせと見做され、
支持率がさらに下がるので、選択的に使うのがフツーである

2021年の審議

2021年の入管法審議

2021年の審議ではまず特筆すべきこととして、法案がまだ最初の議会(衆議院)の法務委員会で審議されている途中で廃案になったことが挙げられる。野党がやったことは、衆議院法務委員長の解任動議という、さっきの抵抗手段アーセナルにおける下弦の鬼的存在を出したにすぎない。それでも、与党はあっさり諦めた。なぜなのか。

最大の理由は、やはり3月に入管施設に収容されている間に亡くなったウィシュマ・サンダマリさんの事件だろう。これはさすがにマスメディアも集中報道せざるを得ず、世論を大きく動かした。この法案によって苦しめられる当事者への人権侵害が明らかになったのである。さらに、UNHCR(国連で難民保護・解決を司る機関)などが法案に「重大な懸念」を表明したことで世界的な関心も引きつけた。

次に、政治的な情勢がある。こうして世論が反与党に動くなか、2021年夏にはさらなる世論の分断をもたらしそうなオリンピックが予定されていた。さらには秋には自民党総裁選と衆議院選挙があり、支持率を犠牲にはできない。もし審議日程が詰まり、入管法が可決しなかった場合、持ち越しできない可能性があったのだ。

立憲民主党はじめ野党は、入管法をこの国会における最大の対立法案を位置付けていた。なぜなら、この国会に提出された他の法案が、コロナ対策の特別措置法と感染症法の改正、医療制度の改革などであったからだ。これらは明らかに廃案(=何もしない)が選択肢に上がらない要・急の法案ばかりなので、野党もあまり抵抗しないし、与党はすぐ野党の修正協議に乗っかる。そんな中で、野党が最も差別化を図れるのがこの入管法改正案であった。野党は最大限抵抗する構えを見せ、衆議院の段階から野党対案を提出し、委員長の解任動議も出した。この情勢下では野党は戦いやすく、与党もこだわらずに、ダメージが浅いうちにすんなり手を引いた。一番悔しかったのは、永田町(政治家)ではなく霞ヶ関の入管庁であろう。

廃案から再提出までに何があったか

21年5月に廃案になってから、23年3月に再提出されるまでの間、何があっただろう。オリンピックが終わった。総理が変わった。元総理が撃たれ、国葬された(とともに、森そば加計そば桜の会等がどっかいった)。コロナがなんとなく終わった。世論を大きく分断するような事案がおおかた片付いた。最近では、統一教会問題も鳴りを潜めている。

2022 年の通常国会でも再提出されませんでした。報道では、かなり批判が盛り上がったので、参院選前に世論の反対を招く可能性がある法律をわざわざ再提出しないほうがいいだろう、という判断があったということです。

稲葉奈々子「2021 年入管法廃案と仮放免者―「存在しない人たち」が動かした社会運動―」

一つ挙げられるのは、クーデタの起きたミャンマーからの難民やロヒンギャ難民、タリバンが転覆したアフガニスタンからの避難民、戦争が勃発したウクライナからの避難民などが日本にも来たことによって、入管庁が人道保護における雀の涙ほどの実績を獲得したことである。これにより、入管庁は改正案における目玉商品である「補完的保護」を大きく押し出せるようになった。さらに、21年秋の衆議院選、22年夏の参議院選で自民党が大勝、理論上は数年のあいだ法案通しホーダイの権限を手に入れた。こうした中で、2023年の通常国会、入管法改正案は再提出される。

2023年の審議

2023年の入管法審議

こうしてみると、色々なことが2021年と異なっている。まず、ウィシュマさんの事件はすでに時事性を失っていた(newsでなかった)。大阪入管で泥酔状態で診療を行なったとされる医師の話が審議終盤に降って沸いたが、同じレベルで入管庁を直接追及できるような(つまり、入管庁の責任で人が死ぬような…まあそれに近いが)案件はついに登場しなかった。内閣全体を追及できるものにしても、首相のどら息子のパーティーぐらいしかなく、あっさり更迭された上、あまりに報道時期が遅かった。

一方で、岸田内閣は地元広島でG7を開催し、ビジュアル的にとてもインパクトのある集合写真を撮ってきた。核保有国が集団で原爆資料館を訪れたことは確かに意義が大きい。この外交的な成功は、ときの人であるウクライナのゼレンスキー大統領が急遽来日することによってピークを迎える。同日、渋谷では入管法反対のデモが7000人規模で行われていたが、一切報道されなかったと言ってもいい。コロナが終わったこともあり、対面のデモは21年よりもさらに活発であったのだ。技術的な進歩(?)で、メタバース上にも万単位で人が集まって抗議の声を上げた。

2023年の審議でも、「結果的に」野党はほとんどフルコンボの抵抗を見せた。ただ、それでも最大の対立法案と位置付けたのは入管法改正ではなく、防衛費増額を社会保障などで賄おうと与党が提出した財源確保法案であり、こちらも金融委員長の解任決議→財務省の問責決議、と進んで今も審議中である。さらに、与党が慎重を期して法案をまとめ、通常の2月ではなく3月まで入管法の閣議決定を待ったのに対し、野党は衆議院の段階での対案提出を見送った(衆議院可決、参議院送付の段階でようやく提出された)。少し、21年に比べて対応が甘いことが分かる。

その原因の一つは、衆議院の野党(立憲・共産ほか)の議員は閣法案の修正協議に当初乗り気であり、修正通過させられる段階まで進んだことだ。廃案に動くか修正に動くか、野党や批判的市民社会の間で大きな亀裂があった。今回の野党にとっての、そして国際社会にとっての敗着は、この修正協議を最終的に蹴ったことだったと言ってよい。21年には、修正協議が決裂したことが廃案に繋がった。今回は、取り巻く政治環境があまりに違っていた。結果的に、そう、「結果的に」、野党が修正協議に乗っていれば、参議院で修正法案にさらに附帯決議をつけるぐらいはできたかもしれない。

野党は、21年同様に廃案にできると踏んだのだろうか。支持基盤である市民社会の改正反対派が、廃案一択の強硬姿勢を崩さなかったためにジレンマがあったのだろう。結局、これを与党に利用され、衆議院をほぼ原案のまま通過した。参議院を強行採決される際、国民民主党の川合議員らによって附帯決議が取りまとめられ、これが可決する。「運用面の様々な問題をご理解いただけたと思うので、修正協議を行っていた衆議院の先生方の思いを反映した」と決議時に述べた川合議員の手は、震えていた。もともとは野党側である自身が、この法案に賛成したことに少し負い目を感じていたのか、怒号が飛び交う法務委員会の様相に怒っていたのか、知る由はない。

おわりに:人権侵害の法案Bへの対処

ここまで、本日成立した入管法改正の基礎情報を追うとともに、入管庁の内部ロジックや21年との違いについて色々と述べてきた。

  • 移民政策全体をイデオロギーでしか推し測れない日本の世論・政党という上部構造と、業務を効率化したい入管庁の下部構造が組み合わさってできたのがこの酷い改正案Bであること

  • 廃案とは現行法Aを何もせず存続させることであり、それが好ましいかどうかは両方の立場の意見が理解できること

  • 結果だけみれば、野党が修正協議に乗っていればよかったということ

明文化された法である実定法に関する行為は、一方ではその下部構造である運用上のルールや省令、現場職員の意識たる慣習法などと切り離せない。また他方では、その上部構造であり法の執行にあたる日本・世界の政治制度(主権国家制度とその立法制度)の限界に規定されてしまう。法律の文言は、こうした環境の中で結果として析出するに過ぎない

法律が成立してしまったので、これから運用面の細部を詰める段階に入る。今回の審議の成果は、参与員制度や臨時班など、これまでブラックボックスであった(というか現場の関係者も分かっていなかったであろう)難民認定プロセスの全体像が少し解明されたことだ。これら審議によってはじめて分かった情報は、人権侵害の法案Bが提出されなければ分かり得なかった情報ばかりである。これをポジティブに捉えたいし、それを最大限引き出した野党議員(除く維新)の仕事は必要であったと言える。なんとか附帯決議を取り付けた賛成派の公明党・国民民主党の議員、修正に乗ろうとした立憲の議員らにも果たした役割が少しはあった。また、私は今回の国会をみて齋藤法務大臣がそれなりに人間味と常識のある答弁をするなと思った方である。野党とどこで噛み合っていないか、少なくとも彼は認識をしていた。機械的に、あたかも入管庁が正しいかのように喋る西山入管庁次長の隣にいたから余計にそう思えたのかもしれないが、きちんと意見の分岐点に立った上で、省のトップ、与党の大臣として「現行法Aより改正案Bのほうが良い」という姿勢を貫いた。前述のようにこれは答えが出ない問いなので、法相の立場としてはそうせざるを得ない。責めるならば立法した入管庁と、これを支持する右派に配慮しなければならない自民党、に投票しつづける有権者、そして社会政策以外に弱く永遠に有効なオルタナティブたり得ない野党…と構造全体の問題になってしまう。

下の動画ふくめ、野党議員と入管庁職員が対峙した瞬間が審議中に何度かあった。この動画は、とくに53分ごろから感情が爆発してくる。熱く怒る野党政治家に対し、冷たく機械的な対応しかできない官僚。もはや、官僚が政治に立ち入ることに忖度せずに「本当にいい政策」を行政立法するしかないのではないか、とも思う。それは民主主義に反するのだろうか。

より根本的には、人権侵害の現行法Aに対して、提出できるのが斜め下ぐらいの改正案Bでやっと、という状況を打破したい。入管法というものを作る主体 ーーそれは官僚であり、政治家であり、有権者である ーー は、絶対に入管法の当事者ではない。そのことを強く意識する必要がある。

以上が、2年前の廃案が今日成立するまでの話だ。6月21日に今般通常国会は会期末を迎えるが、皮肉にも、その前日は世界難民の日にあたる。解散風が吹く中、これからの話をしてみてはどうか。

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