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2023→2024 年越しポスト

言葉なんかおぼえるんじゃなかった
日本語とほんのすこしの外国語をおぼえたおかげで
ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる
ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる

(田村隆一,「帰途」『言葉のない世界』より)

1月〜5月(デンマーク)

少し遡って2022年12月27日、研究を発表する機会があって、その後ぱーっとシャンパンを飲んだ。家に帰ってすぐ、デンマークでお世話になるホストファミリーからようこそメールが届いた。ああ、よくできた節目だ、と思う。一つの大きなプロジェクトが終わり、次の生活の前兆が現れる。このアウフタクトに乗って、2023年は始まる。年の瀬の紅白がめっちゃよかった。

1月の最初の2週間は、信じられないぐらいボケーッとしていた。こんなの2020年3月以来だと思った記憶がある。半年ぶりの運転で雪道を走ってスキーに行ったり、家族と犬と過ごしたり、会いたい人に会ったり。そして13日夜、イスタンブール経由でコペンハーゲンに向かう。居住4カ国目に入居した。

これはストックホルム…

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当時の色んな学びをきちんとリアルタイムで記録しておかなかったのが本当に惜しいのだけど、当時はなんだか毎日移動(通学と旅行)に疲れていた。あーあ、、とりあえずその代わりに英語で書き留めて大学の留学ブログに上げた以下の三つの記事をご覧ください… 別に満足いく文章でもないんだけど、感覚は少しばかり残せていると思う()

まずはデンマークという社会の所感について。ホストファミリーにたくさん質問して、街を歩いて、色々勉強して何かを掴んだと思う。現地にいるころのペーパーをもとに、英語で結論未定のまま仕上げたのがこれ↓。きちんと結論を出したいと思っているnote版は文量は多いものの散らかったまま下書き状態で置いてあって、夏以降ずっと優先順位が上がらないまま年末になってしまった。「おとぎの福祉国家」というタイトルです。公開日未定。

疲れる旅行をいっぱいした。途中まで友達と、とか現地で友達を訪ねる、みたいなことはあっても、ほとんどは一人の安旅だった。空港で寝たり、田舎のターミナルで朝3時にバスを乗り継ぎしたりした。友達に泊めてもらったとき以外はすべてホステルに泊まって、しかもそのホステルを前日まで予約しなかったりして、その次の日に必死にその都市まで辿り着く、みたいな旅行スタイル。また少し世界が広がって、綺麗な写真がたくさん撮れて満足だった。たくさんいい街と、食べ物と、博物館・美術館にいけて、頑張って回りすぎて一日5万歩以上歩いた日もあった。旅のオススメについてはこれ↓。

初めてのホームステイは楽しかった。それについてはこれ↓の後半で触れている。旅行で家を空けていることも多かったけどとても良くしてもらったので、またいつか会いたいです。

その他にも、色んな出会いがあった。デンマークに社会の勉強をしにきたのは大正解。ここでとても良い先生から国際難民法の授業をとったのが、夏のインターンのきっかけにもなり。この留学プログラムには色んなアメリカの大学から人が集まっているが、やはりデンマーク社会や公共政策の授業にはリベラルアーツカレッジで政治や社会学の専攻をしている人が多く、ビジネス・法など実学よりの授業になるほど総合大学出身が増えてくるようだった。↓の記事に書いていないこととして、社会起業の授業をとったのだが、ビジネスメジャーの人たちがあまりに解像度が低いのが気になってしまった。アメリカのビジネスメジャーは、起業家を育てる体をして大企業で現状維持にあたる職員をやまほど育てたと、本に書いてあった。

同じ授業をとる人たちとは大概仲良くなれたし、なんだかとてもLike-mindedな人たちが集まっているなと思った(それについてもこれ↓の前半で)。修学旅行ぽいイベントもあり、それとは別に一緒に旅行に行くこともあって、なんだかこのセメスター全体として一夏の部活のような、甘酸っぱさが残る濃い時間だったなと思う。あ、まだ短い飲酒人生で一番多く飲んだのもこの期間。

5月〜8月(日本)

仕事。とても面白かったし良い人ばかりで、糧になった。ここまでインターンがいないと回らない組織でインターンするのは初めてで、組織で働くことに久々に本気になった。夏休み中、夏休みが欲しかった。そして、これが自分にとって夏休みなのだし、部活以来ずっとそうだったと気づいた。

仕事後の夜、あまりに頭が働かなくて、フルタイム労働者になると如何に思考が止まるか突きつけられている。6月は卒論の構想が一歩も進まず、また7月には文章自体が書けなくなってしまった。エッセイを読んだり、20人目ぐらいで止まっていた『東京の生活史』を引っ張り出してきて読んだりしたけれど、いまいち上手くいかない。だからせめて単語や三十一文字なら、と短歌を作ってみたりした。(追記:当時かく言う自分を年末にもう一度読んで、無気力だったんだな、、と思っている。留学の疲れ?)

昔、部活が終わったあとの夜は勉強が進まなかった。あの頃のマルチタスクができない人という自己認識は、大学生活が四方八方に発散していくにつれ薄らいでいく。しかし、社会人になったあとどうやって成長する時間を作るのか。今年受験生になる、部活のだいぶ下の後輩から、「合宿のあいだ何の勉強すればいいですか?」と質問された。自分がそうであったように、合宿はなるべく勉強せずに高3同期と思い出作ったほうがいいと答えた。いま自分に必要なのは合宿みたいな心のこもったイベントであり、コンクールや受験のような明確に結果が出る集大成の機会だとつくづく思う。大学最後の一年に入るにあたり、この夏は高3の夏と大して位置付けが変わらない。違うのは、フェーズを終わらせにかかるための燃料になる感情が乏しいことである。いまの自分を全部織り込んだ何かが欲しい。いったん、大学が終わった自分にテイラーメイドの型をはめて、しばらく踏み固めていたい。

かるいざわ、朝の散歩。漂うジブリ

平日はずっと仕事だから、休みが週末しかない。こうした職場のインターンの仲間たちは安定に素晴らしい人たちだし、それとは別にある週末に初対面大勢を含む友達と行った軽井沢は想像の100倍ぐらい良かった。やっぱり人だ。こうやって人を発掘していくのが楽しすぎる。きちんと自分でも組織化しなくちゃな。こうやって戻ってきたい場所が増えては、それでも日本に帰ってくる以外なくなってしまう。

8月、激務の雲間を縫って、本当にちょっとしたことが変わった。ちょっとしたことだけれど、この4年間の中で一つの節目だった。一年後、帰ることへの不安も大きいが、積極的な理由を一つ見つけたことは嬉しかった。

結局、気づいたら帰国した次の朝から、出国する前の晩まで週末と祝日2日を除いて働いていた。夏休みどこ?でも、もう海外大生になって3回目の夏に気づいたことは、自分にとっては日本にいることが夏休みなのだということ。日本にいると、集中していない時間も、ただただ疲れている時間も長い。でも、どうしようもなく幸せな時間を人と過ごすことがときたまあって、その瞬間は、海外でどれだけ効率的に頭を働かせていようと代え難いものなのだと思う。最後の一年は、大学生活にケリをつけにいく。

9月〜12月(アメリカ)

4年生なのに、この大学での過ごし方を忘れてしまった。2022年末ぶり。

前もどこかに書いたように、終わりが分かっているものの最後が得意だ。高校で高3が一番好きだったように、最近ここで勉強させてもらえていることの幸せを噛みしめている。このマジックにかかってしまうのは、やっぱり特技:最終学年ということか。日本に代え難いものがあると夏の自分は上に書いているが、面白いものに出会ったときに感じるわくわく、動き出したさ、何かやらなきゃという気持ちに対して、自分の頭が追いつかなくて焦るこの感覚は、大学にいるときだけだ(この今書いた文のもたもた感がさらにもどかしい)。どうするよ。高校を卒業して以来、人生が変わったのは間違いないとして、その変わり方が良かったのか悪かったのかはこれから自分が決めていくんだという思い。

この学期の初め、1000%自分のせいで日本の大学の休学を切らしてしまい、10月の間だけ登録上は東大生に(も)なってしまった。アホすぎてむちゃくちゃ反省して落ち込んだので、もう笑い話にするしかないのだけれど、ひと月分の学費が意味なく消えた。

寮長3年目の管轄は、超多数派が体育会系の全男子フロアだった。3年目だから任されたのか知らんが、明らかにデザインミスである。しかし私としても寮長の仕事の仕方がかなり管理人風になってきたところがあり、多少合意形成のやり方が乱雑でも許されるところとか、ただただ危機対応係として落ちたボールを拾うだけでいいところとかは、非常に楽。余計なイベント企画とかは煙たがられるだけで求められない。改めて、この寮が小社会として私に教えてくれることの多面性に唸っている。

例えば、2年前に色々と学んだ共用トイレの件。チャットグループで匿名の投票を実施しただけで、入寮後2日にはフロアのバスルームを男子用とジェンダーフリーにすることにした。目指すラインがただの「共存」である限り、こっちは要求を高めに打っておいて反対意見にちょっと譲歩し、それでも従わない人に粛々と対処すれば済む。こっちからサクッと指示しようが、向こうにダラダラと合意形成してもらおうが、どうせ従わない人は従わないし、雰囲気がダレるだけなので指示して期待値調整した方が早い。というわけで、どこにしまってあったかも分からない、少年野球時代に吸収したスポーツコーチのペルソナを取り出すことになった4年生の始まりであった。

もし、もっとデザインするならば、彼らをいかにこの大学の特殊な社会に統合するかを考えるだろう。アスリートは内輪だけで群れるので、大学の他の集団から互いに疎外されている。寮のイベントとかをやってもどうせ来ないのは、彼らが各チームの内輪で遊んでいる方が心地いいからであり、キャンパスではかなり保守的な(ある意味で「社会適合的な」とも言う)軍団なのだ。ちゃんとやるなら、ワークショップとか学んで強制開催するか、銭湯でも作ればいいと思う。ちゃんとやるなら。

しかしちゃんとやらないのは自分の4年生が忙しいからで、この夏に完全に実務家マインドを植え付けてしまった自分は、久しぶりに回帰分析の式を書き連ねるのに非常な体力を使う。働いてから大学院も、大変だろうなぁ。

ごちゃごちゃ

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この期間ほとんど頭になかったくせに寮長のことに字数をかなり割いてしまった。勉強のほうは無理せず4つの授業をとり、そのうち1つは興味本位の人文なので捨て(Pass/Failで宗教学。面白かった)、残りの経済学は卒論と、卒論の指導教授2人の授業を受けた。実証IOと、開発経済学の特に教育分野。だから実質4分の3が卒論関連である。アメリカについた日から、経済学部棟の一室を占拠してガリガリやった。いつの間にか将来設計どころではなくなった。これがこの大学にいることの魅力でもあり、落とし穴でもある。割とこの冬休みにかかっているので、本当は将来設計なんかせず卒論ばっかやっていたい。

この経済学部棟の一室が、高校時代でいう「進路資料室」になった。まじで毎日そこにいるものだから、友達から自分のオフィスだとかホームだとかいう名前がついた。場所というものは不思議だ。自由席の教室や飲食スペースでなんとなくいつも座る席があるように、定位置というものができるとそれが心地よくて仕方なくなる。自分は非常に場所に対してStickyな人だ。それも今やよく分かってきた。

4人ぐらいでお酒入れて卒論書いたらなんか面白いものが生まれるんじゃないかの会(生まれず)

高校の進路・職員室と同様に、社交的な時間を削っているように見えても、実際は勉強しながらぺちゃくちゃ色んなことを話しているので、案外社交的だ。自分がこの部屋からあまりに動かないので、自分に話しかけたい人はこの部屋に訪ねに来てくれる(学生も、教授までも。メール打つのめんどいもんね)。それで自分もソーシャルタイムが確保できる。いつしか他学部も含めた卒論ライターの友達が週末もたくさん集まるようになり、みんなでスマホを牢屋にぶち込んで勉強した。ふとしたことから黒板上で共創も始まる。いい大学だ。

スマホの牢屋

卒論の進捗については、学期末にFacebookに報告を書いたので読んでいただければ幸いです。渾身のテーマです。2024年前半、答えを出せるか。4月末提出なので、意外と時間はないんです。

今後

この道が続くのは続けと願ったから
また出会う夢を見る いつまでも
(…)
小さな自分の正しい願いから始まるもの
ひとつ寂しさを抱え僕は道を曲がる

米津玄師「地球儀」- 年末の宮崎駿のプロフェッショナル、めっちゃ見応えがあった

やりたいことを探すことを最大限手伝ってくれ、見つけたあかつきにはそれをやらせてくれる、そんな大学にいる。

そんな大学で、やりたいことを見つけ、そのための道のりも何となく分かった。だいぶ長い道のりなので、途中で他に見つかったり人生の紆余曲折で違う方向に向かうことになってもまあいい。めっちゃポジティブに考えるなら、自分ができる仕事は沢山あると思った。だから、進路の悩みはすべて贅沢な悩みだ。そう考えると楽になる。

この部分を書くにあたり、めっちゃ就活について文句の多いネガティブな文章が自然と出来上がっていた。うん、と思ってそれを全部どっかに放り投げ、これを新しく書いた。進みたい道は決まっているが、その道に進めるかどうかは決まっていない。また例によって卒業後まで動きようのない進路なので今内定があったとて仕方ないのだから、焦ってはいけない。高校の卒業式の時点で、入る大学が一つもなかった人だもの。プランBをきちんと考えておきさえすればいい。しかしそのプランBに困っている。

きっと進路選択には戦略が必要なんだと思う。どうやら、学部卒という年齢は、やりたいことがあってもなくてもとりあえず王道を進めばまだ間違いではない、というライフステージらしい。それは自分のやりたいことを見つけたまま一旦抑圧するという痛みを伴う。そのしたたかさを持った、信頼できる人が今年メンターになってくれた意味は大きい。強かと書いて、したたかと読む。強さである。あらゆる「内から変える」型の人には必要な性格だ。自分にはここのところ欠けている。アメリカでちょっとでも引かれる仕事の公募を見るたびに心が不穏になるのは、卒業後日本に帰ることの代償が小さくないことを頭では分かっているからだと思う。もちろんここに残る代償も大きいのだけど。

このざっと4年間、学生団体から寮から国際機関まで、全員がキャパオーバーでも存在することに意味がある場所を多く知った。何を保守し、そこから何を新しく積み上げて組織化するか。自分をこの先5年ぐらいのフェーズ感で紐づける場所を、決めなければいけない時期がすぐそこまで近づいてきていることを思う。プランAは決まっているので、気になる人は個人的に聞いてくださいな。

2024年へ!

卒業する。きっと卒論が終わったときや、最後の試験が終わったときはみんなで崩れ落ちるんだろうな。卒業式に合わせて両親が初めてキャンパスに来るのも、その後に帰国するのも、とても楽しみだ。この大学や教授たち、友達をアメリカに残すのは悲しい。もったいない。そして、卒業の後がある。来年このポストを書くころには、職業が決まっているはずだ。他にも嬉しいことがあるといいな。

今年新しく出会った人たち、仲良くなった人たち、そしてずっと側にいてくれる人たちに感謝。皆さんのおかげで、今の自分があります。よいお年を!

年越しそば…ではなく、夏に高田馬場で食べたシャン麺を。@ノングインレイ


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