ミルクコーヒーは悪か?
「そんな甘いもの、体に悪いからお茶にして」
甘党の義父がお気に入りのミルクコーヒーを準備していると、注意されたことがある。
嫁という立場上従うしかなかったが、内心健康を考えるよりも好きなものを食べた方がいいんじゃないかと思っていた。
当時の義父は90歳を超えていたし。
認知症も進み、1日のほとんどをベッドの上で過ごす義父。テレビをつけてもぼんやり眺めているだけで、楽しみもなさそう。
そんな生活に潤いを与える(かもしれない)、一杯の甘いミルクコーヒー。
別にそんな目くじら立てて言わなくてもいいのに。
義父は、血圧・糖尿・去痰薬・胃薬と毎月たくさんの薬を処方されていた。飲み込む力が弱くなっているので、薬を粉と液体にしてもらっても飲みづらそうだった。
本当にこの薬って必要なのかなって考えながら、毎食後に薬を準備していた私。もちろん義父には健康でいてもらいたい。義父に必要だから薬が処方されていることもわかっている。
でも、毎回顔をしかめ、時にはムセながら薬を飲む義父を見るのは、心が痛かった。食欲もないのに、真面目な性格の義父は、一度もイヤがらずに薬を飲み続けてくれた。
薬を飲んでいるから、体調も落ち着いている
頭では分かっているが、傍で見ていると辛かった。亡くなる数週間前は、食欲もほとんど無くなってしまった義父。その頃は私の勝手な判断で、去痰楽(水薬)以外は準備しなくなった。
義兄弟に相談したら、絶対反対されたであろう。
「薬だけでも飲んで」
って義父によく言ってたし…。
その思い理解できるが、薬ってそもそも健康になるために必要なもの。
老衰で亡くなった義父。亡くなる数週間前から体が最期の準備をしているように見えた私は、薬が必要だと思えなくなってしまったのだ。
=これは私の勝手な判断と考えで、決して薬が必要じゃないとは思っていないし、他の人に「薬なんて飲まなくていい」なんて勧める気持ちもない=
一緒に暮らす大変さって、介助そのものの負担もあるけど、日に日に弱っていく姿をずっと見続けなきゃいけないことと、その中でも少しでも快適になってほしいと工夫してるのに、誰からも評価されないことだと思う。
そして正解がわからないこと。ゴールがわからないこと。
一緒に暮らしていない義兄弟からみれば、糖尿病の持病があるのに、そのことを気にせず甘いミルクコーヒーを出す嫁に見えたのだろう。
義兄弟は、うるさく口を出す人達じゃないし、私に労いの言葉もかけてくれた。息子たちのことも可愛がってくれるし、仲は良好な方だと思う。
なにより、私の行動を責めるのではなく、純粋に義父を心配しているのもよく分かる。
でも、健康に気を使って薬をしっかり飲んでほしいのは私たちの気持ちである。じゃあ義父はどうだったのだろう?
月に何度か数時間しか一緒に過ごせないのは仕方ないけど、そのときの義父しか知らないのだから、もうちょっと私のやり方を黙って見守っていてほしかった。
休日、面会があると、義父も嬉しかったのだろう。いつもより食欲もあって表情もしっかりしていた。みんなその姿しか知らない。
週明けの義父は反動からか、疲れた様子で食欲もないし機嫌もよくない。幻視などの症状も週明けに多かった気がする。
いくら私が普段の義父を説明しても、実際目にしている義父の姿を見ると、私の話は大げさに聞こえていたんだろう。なんとなく、そんな気がしていた。
平日の午前中、いつも一杯の甘いミルクコーヒーを飲む習慣は、亡くなる前日まで続いた。
薬はやめたのに毎日飲んでいたのは、私と義父だけの秘密(笑)。
とても穏やかに自分の部屋で息を引き取った義父、その瞬間を看取ることができたのは、私がなかなかいい嫁だったと、義父が無言で伝えてくれる最後のプレゼントだったんじゃないかと、今も密かに思っている。
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