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言いたいこと言ったもん勝ち、本当にそうか?

先日こういうツイートをした。補足をここに書く。

言うまでもないことだけれど、5歳の子どもに対して思っていることは、他の大人に対しても思っている。私は本当は私しかいない部屋でパソコンに向き合い、静かに仕事をしたいタイプだが、医者をやっている以上そうはいかない。毎日家から出て他人と会い、コミュニケーションを取る必要がある。

”あなた、それ、言わない方がいいですよ”と思うようなことを言ってしまう人はたくさんいる。最近ニュースでカスハラ(カスタマーハラスメント)という単語をよく目にするけれども、カスハラすれすれの事象に、働いている以上どうしても遭遇する。

思うに、彼ら彼女らも、嫌われたくてそういう振る舞いをしているわけではないのではないか。グッと堪えるべきところで堪えられず、”言い方がキツイよね、あの人”と陰口を叩かれるようなことをつい口にしてしまう。

私が子どもに”他人が不快に思うようなことをわざわざ言うな”と躾けるのは、他人を傷つけるのは良くないことだからとか、そういう理由ではない。

大人と違って、子どもに悪意はない(と私は思っている)。悪意のように見えるそれは単に、”自分が得をしたい”とか”自分を少しでも良く見せたい”とか、そういう欲望が表出したものだと思う。

ツイートにも書いたが、大きな犬を可愛がっているひとのそばを通った時に”私、大型犬好きじゃない”と子どもが言うのは、単に大型犬を見た時に”あれは好きじゃない”という感情が惹起されて、それを素直に口に出してしまった、ということだろう。大型犬の飼い主に”好きじゃない”をわざわざ聞かせて嫌な思いをさせてやろうとか、そういうテクニカルな意地悪さは、おそらく子どもの中にはまだない。

つまり私が子どもに言いたいのは、”大型犬の飼い主が嫌な気持ちになるからやめとけ”ではなく、”私はあなたがとてもいいやつだと知っている。いいやつなのに、そういう口のききかたをするととても損だよ”ということなのだった。

アサーションという言葉がある。

自己主張や、自分の好きや嫌いを伝えることは本来悪いことではない。ただ、やり方を間違えると大きなマイナスになるというだけのことだ。うまいことやって、自分の希望が通って相手も嫌な思いをしないならそれが一番いい。

ただ、結局私のこういう主張も、私が私の人生の中で”こうするとうまくいく”と思って取得したスキルの一つに過ぎない。子どもには子どもに合ったコミュニケーションの方法があり、それはアサーションのトレーニングをすることではなく、言いたいことを言っていくスタイルなのかもしれない。子どもにとって私が生き方の教師になり得る間は私なりのスキルを伝えていこうと思うが、それを信じて取得するかは子ども次第だな、と思う。

Big Love…