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お引き立て賜り厚く御礼申し上げます

市原先生

書き出しに困りました。メールであれば時候の挨拶なり、「お世話になっております」なりのテンプレ書き出しで次の文を継げるのですが、なんと書いて始めるのが適当かと悩んでしまいます。ひとまず「お引き立て賜り厚く御礼申し上げます」と返すのが正しいように思うので、そのようにしておきます。

本題に入る前に、この往復書簡を読まれる方の一助になればと思い、プロフィールを置いておきます。こんな奴がこんなこと言ってんのか、くらいで読んでもらえれば、、、。40歳手前、男、東京で医療専門出版社に勤務。最近はがん関連(特にがんの薬物治療を専門とする「腫瘍内科」と「緩和医療」)を中心に仕事をしています。医学は学生時代は全く縁遠い領域でした。入社してすぐは看護師向けの編集をし、その後に営業(書店まわりと学会営業など)を経て、現在に至ります。編集者としてのキャリアは10年弱です。

医療出版業界のキワドイあれこれ、何についてどう話していったもんですかね、、、。例えば「専門取次ガー」とか、「印税ガー」とか、「アマゾンガー」とか、「いい著者(悪い著者)ガー」とか、「医療編集者の生態ガー」とかそんなんでしょうかね。「医療編集者の生態」と書くと医療者の先生方には喜ばれるでしょうか。

とはいえ、そんなものは、すでにとある大御所が本の中で看破されてまして、読んだとき「うわー、これなー」と思わず嘆息してしまったものがあります。

中井久夫先生の『執筆過程の生理学』です(最近みすず書房さんから、選集としてこのタイトルで編まれて読みやすくなりました)。うろ覚えなので、正確な引用ではありませんが、だいたいこんなことが書いてあったと思います。

ーーとある医学専門書の編集会議に呼ばれた出たことがある。編者とされる精神科医が会議室に揃い、会議が始まりそうになると、『それではこれで』と招集した張本人である出版社の編集者はその場からいなくなってしまった。無礼なものだなと思ったが、「あとは先生方でよろしく」ということらしく、以後できる限り専門出版の依頼は引き受けないようにしているーー

入社してしばらくした頃、これに限りなく近いものを目撃しました。その時の言いようの無い寂寞さと虚しさに耐えられなくて、「あ、この会社やめよ」と本当に思いました。中井先生が書かれたこの文章を知るのは、その随分あとですが、読んだ時の妙な得心の感覚は今も忘れられません。業界の根深い病です。この傾向はしっかり残っていますし、そういうスタイルで仕事をされる編集もたくさんいます。

ここで別にそういう編集者を否定したいわけではありません。この中井先生の話を一つの「エピソード」として読めば、それに反駁する編集者も出てくるだろうし、「何が悪いのか分からない」という編集者も出てくると思います。おそらく、その根拠としては、学術専門出版の「専門性」という問題と企画成立までの「効率性」がほとんどを占めると思いますけど。しかし、この文章にはただの「エピソード」に留まらない含意というか……「医療編集者の生態」の象徴的な部分を言い当てているように思えてならないのです。 

市原先生は、ここ数年の間で一般書、専門書含めの多作ぶりから、かなりの数の出版社(編集者)と同時並行的に付き合って来られたと思います。気だるそうに持ち上げたグラスの酒越しに遠くを見据えながら「専門出版の奴らは、全然俺のこと殴ってこねんだ……」という「え、だれ」というか、マゾっ気全開発言を、酒の席でボソッと呟かれた隣にいたこともありますが(どこかに書き残されてもいましたね)、これまで付き合いのあった(現在も続く)編集者の生態をちょっと分類してもらえないでしょうか。

こんな投げっぱで申し訳ありませんが、書簡は放擲するものという言い訳をして、最初の手紙を終えます。

20190806 三橋→市原先生