わたしの中の教祖

おはようございます。いつも通り自分のために書いていきます。誰の目にもとまらなくて結構です。でも、もし目を通していただける方がいるのであれば嬉しいです。





自分の中の絶対的存在、それは自分自身ですか?それとも自分以外の他人ですか?

私は自分以外の他人です。


皮が、仮面が、表面が、どんどん剥がれていく度に「あぁ…終わるんだ」と、自覚します


そんな自分の中の教祖的な好きと向き合う時間が来るなんて思ってもみなくて。私の絶対的な存在の好きとは何なのか、なぜ好きなのかって、何に対しても考えたら終わってしまうっていつも思うんです。知らないからこそ、自分に都合よく好きでいられる訳でね。それは別に化けの皮じゃ無いし、相手が虚像をしている訳でもない、ただ自分が自分の都合の良いように、相手の見えない部分を綺麗に頭の中に置いていただけであって。だから不透明で不安定なものが好きなんです。見えなくて良い。見なくていいから不安定で距離がある。けどその距離を詰めてしまうと見えてしまうんですよね、都合よく組みたてた想像との相違が。


自分に都合の良い像って、きっと相手に求めてる部分でね。私の場合は。もちろん相手自身に求めていることもありますが、相手から返ってくる私を求めている場合もあります。相手の好きな部分だけを切り取って自分の中にしまって、見えないところは私が相手に求めている像で埋まっていく。知りたくないのに、好きだから知りたくなる。




私の中の絶対的イエスであり、教祖である人は、


頭が良くて、言葉が綺麗で、博識で、お金を得る手段を知っていて、見た目も綺麗…それも清潔感などではなく、本当に整っていてまるで彫刻のようで、私が知らない答えを何でも知っている。そして何よりもその全てにおいて周りの人と圧倒的な差があること。要するに人とは違う《特別感》があるってことで。多数派の意見に流れる事で生活出来ているのではなく、少数派の自分が正しいと思う意見を芯に持ち、生活が成り立っている人。なんです。



この方との出会いを綴ります。

出会いは私がまだ18、19だった頃。一人暮らしをはじめて少し慣れてきた頃で、上京後初めて彼氏が出来ていて、私の家で半同棲のようにしていた時期です。

何かの拍子にSkypeの掲示板を見つけました。そこに私は書き込み、誰かからの連絡を待つ毎日を送っていました。書き込む度に沢山来る友達申請。その中の一つにその人はいました。きっと申請時に来たメッセージは在り来りなものだったはず。記憶に残っていないので。たまたま私はそのメッセージが目につき、電話をとりました。その第一声は他の人とは全く違う、哲学的質問でした。

そんな質問された事は一度もなく、少し考え質問に答えました。

その人は言います、『正解だよ。けどね多数の人が、この質問に感情的意見で答えるんだ』と。


不思議ですよね。第三者から見たら、え?って思うでしょうけど、私はその時本当の私を少し認められた気がしてしまったんです。

頭が良いと言われると嬉しいと思ってる自分が居て、その自分を褒められた認められたと思ったんですね。承認欲求…


そこから仲良くなるのに時間はあまりかかりませんでした。というのも、私はその人の話を聞くことが楽しくてしょうがなかった。初めて聞く言葉に、新しい知識ばかりがすんなり頭に入ってくる。とても心地の良い時間が私の中で流れていました。本当の自分で人と接している気がしていたんです。これが本当の自分なのかもしれないって思ったんです。


と、こんな感じでその方との出会いがあり、不思議な関係が始まりました。そして、ただの好きでは無くなる分岐点が訪れます。


当時の私はもちろん、恋愛的好意を抱いていました。

相手もそうです。会おうって話に必然的になりました。けどそれは、当時と気持ちの関係性が変わった8年経った今の今まで実現していません。

私は相手の顔を知っていました。写真を送ってくれていたので。私はそれに絶望しました。相手にではありません、自分の顔にです。

言い方は悪くなりますが、その方が“一般的な顔”であればそこまで躊躇いはなかったと思います。ですが違いました。日本人には珍しい切れ長の平行二重の目に、長い睫毛。日本人離れをしたほりの深くからスっと通った高い鼻筋。薄い唇に綺麗なEライン。眉毛はキリッと上がっている。隣に並べないって強く思ってしまったんです。そう感想を抱いてしまった事が、分岐点となってしまいました。


なぜ分岐点となったか?相手の中の私の像を壊したくなくなってしまったんです。

冒頭でも少し触れましたが、私はあの方に求めているんです。“相手から見た私はこうあって欲しい”と、“逆に私から見た相手もこうであって欲しい”って。

それらを絶対に崩したくなくなってしまった。それを崩すことはすなわち、二人の関係が破綻してしまうから。この関係に終わりができてしまうことが分かっていたから。何よりも私は、この方を失うことが怖くなってしまったんです。この人は私の好きな人であると同時に、欲求を押し付ける、欲を解消する対象の人ではない。ってハッキリ明確に自分の中で思ったんですよね。



では、ですよ。“相手から見た私はこうあって欲しい”と、“逆に私から見た相手もこうであって欲しい”に少し触れます。ここがこの方との関係性に求めているものであるので。



まず、“相手から見た私はこうあって欲しい”ですね。

私は古い考えを持っている女性です。

女の人はお淑やかであり、家事はもちろんのこと、裁縫や着付けなども出来、それでいて尚見た目も綺麗である。思考言動共に上品であるべきだ。所謂、『ステレオタイプ』ですね。語弊をうみそうなので補足を。これは他人には求めません。私の中の私がこうあるべきだという理想です。これらが出来ていない女性を否定している訳ではありません。悪しからず。

その方も異性に対して同じような理想を抱いています。だから相手の目に映る私が、相手が認める女性として映った時“相手から見た私はこうであって欲しい”を満たしているんですよね。それと同時に、私とはこうあるべきだと思い出させてくれる。しかもそれが、私よりも博識で、私が良いとする人物から得られる。

私は私の中でこうありたいから、普段は完璧にできていないかもしれないけれど、この方との電話のなかでは理想の私で在りたい。そして、電話の中の私を私自身だと思っているその人が居ることで、『理想の私としての私が実在していること』になるんです。私は本来こういう人間であると実感出来る。言い換えてしまえば、妄想の中で生きている様な気分ですよ。


ということは、少なからず電話外の自分と電話の自分は乖離している訳で。なので会ってしまうと、この『理想の自分』は生きていない、実在しない事になってしまう。それは私の中で、私を見失う様なものなのです。自分が自分でなくなってしまう、今まで生きてきた自分は本当の自分では無いと。自分を全否定してしまうことになってしまうんです。


では次に、“逆に私から見た相手もこうであって欲しい”

逆も然りで、私も相手の知らない部分を勝手に都合よく作り上げているんですよね。

なんて言うのかな、8年経った今思うんですよ。その人本人が好きではなく、その人の断片的な部分が好きなんです。

頭が良いとこ、言葉遣いが綺麗なところ、哲学的意見が好きなところ、とかね。

その人本人ではなく、限られた“ここ”が好きなんですよ。と、いうよりもそこだけを好きでいられるように、他の情報を得てこなかった、が正しいです。

だからね、8年間交友関係ありますが、連絡をとっていたのはトータルで1年にも満たないと思います。それ以上もそれ以下も情報が欲しくなくて、関係を破綻させたくなくて。

私の指標となる絶対を崩してはいけない、だからこの人に欲をぶつけてはいけないってだから思ったんでしょうね。




と、書きました通り私が相手に求めている事はこの2つです。

合わなければ、その時の私の理想を電話内で造り上げ、それを私が認める人に認めてもらい、本当の私はこっちであり実在すると錯覚すること。

そして、電話内で造り上げた理想の私を認めてくれる人は、私の絶対的なブレがない理想の人であること。なので、相手が私の理想であることを死守するために、それ以上もそれ以下でもなく居るんです。これが分岐点を作り出してしまった心かな。




そして、きっとこの感情こそが本当の私の初恋なんだと思ってます。

この人を失いたくないゆえに、この人に似た人を8年間ずっと探していたんです。オリジナルを失ってしまうと後がない。ならば、似た人を探し、その人を欲をぶつける相手としようと。この初恋は終わらせたくないなって、心のどこかで思っているんですよね。これは今まで書いてきた文章の意味も含まれますが、純粋に恋心として。

全ての気持ちの根源は恋心の好きです。

そこから失いたくない気持ちが大きくなり、派生し、好き故に、自分と相手の好きな自分で居たいと思うようになってしまった。けど、そのなぜ恋心を抱いたかっていうことはきっと私自身の根本の問題になるんでしょうけど。まぁ、それとは別に他人に抱く好意としてね。


そして時間が流れるにつれ、相手に幻滅するどころか理想と思う気持ちがどんどん強くなっていってしまった。

私は私で、欲を素直にぶつけられる関係性である恋人を心地が良いものであり、生活し易いことだと思うようになってしまった。でもそれは本当に好きな私を押し殺していることになっている事に、今の自分の状況になってから気づいてしまった。気づくのが遅かった。

そしてその状況を造り上げた今、周りにできた人間関係に、私が理想とする像の人は誰一人として居なかった。それにさえ、もうなかなか引き戻せない現状の今で気づいてしまった。遅すぎてしまった。

でも皮肉なことに、今の現状だからこそ本当に在りたい、現実の“今私が生きている場所”に理想の自分でいたいと強く思い、それが本来の私の考えなのだと気づかされてしまった。




で、なんでこのnoteを書こうと思ったか。

私の中で気づきが生まれたとき、私から歩み寄りの連絡をとってしまった。そしてその連絡が、私たちの関係をグッと引き寄せ、距離を縮めてしまった。


まだ会っている訳では無い、付き合っている訳でもない、はじまりを作ってしまった訳でもない。

けど、あの時からずっとぼかしていた気持ちを、お互いに言語化するようになってしまった。お互いがお互いの好きなところを自分で認め、相手に伝えるようになってしまった。

どんどん理想の人である故にとっていた距離が無くなっていく、私が組みたてた像が、なぜ理想であり好きなのかという過程が薄れていく。

そして薄れた先に何があるのか。

本来抑えていた恋心の好きが、濃く出てきてしまった


考えたくなかった。そんなの辛いだけだから。

唯一無二である存在が、そうでなくなってしまうかもしれない。

何よりも私の大事な、大事な指標が無くなってしまうかもしれない。そうなったら誰が私を、“本当の私”を認めて、現実世界に感じてくれるのか?

こんなにも不安定な関係と気持ちが、長く続くなんて思わない。それはその方も言っていた。

きっと僕のロジックを君は1ヶ月で理解し、飽きてしまうよ、と。


それは私も思う。それを恐れて今までずっと距離を保っていたから。

なんて面倒くさいんだろうか。欲を抑えていたはずなのに。だから、私の中の教祖と一度きちんと向き合い、気持ちを持ち直そうとnoteを書き出しました。


けどここまで書いてきてわかった答えは、私の中で『私が抱く、相手への理想』と、『好きであれば、今まで避けてきていた、素の相手がどうであれ厭わない』がもう混ざりあってきてるということ。

そこだけは一線を引いていたんです。恋愛の好きから派生した理想像の気持ちだけど、でもそれはあくまでも“私が認めた相手”が居る前提の話なので、

理想が崩れれば、私が認める相手も必然的にいなくなってしまう。それを恐れていたゆえに引いていた線なのに。


でもなんなんだろうか。性欲を満たしたい訳でもない、一緒に食事を共にしたい訳でもければ、家庭を築きたいと強く願う訳でもない。

この人の思想を、考えを私だけのものにしたい。相手は私に認められることで、欲を満たして欲しい。と思ってる。私がこの方を理想としているように、貴方も私と同じように“私が貴方にとっての絶対的な存在”だと思って欲しい、と思っている。

ただ、恋心だから嫉妬はする。

けどその嫉妬は、この方が他の女性を認めてしまうことへの嫉妬であり、恐れだ。



ああそうか単純に変わってしまったんですね、この8年で。

ただ私を認めて欲しいという欲から、『貴方が、貴方自身を認める絶対的な存在は私であって欲しい。』と。


そしてそれが実現した時に、私の理想は実現したと実感する。これがずっと私が探していた、自分を認めるための行為なのかな。


ああ…結局私は、私の欲を満たすために動いていたんだな。それを相手に押し付けないだけで、自分の中には沢山欲ができていた。

それが出てきてしまったのかな。


自分の1番好きな人に、自分を受け入れてもらい、認めてもらいたい。そしてその受け入れてもらいたい自分は、素の自分ではなく、私の中の理想の私なのだ。


今は恋愛的な好きと、自分の欲が混ざってきているんですね。けどこれは混ぜちゃいけない、焦ってはいけない。距離があって保てていた関係ということを、私は忘れてはいけない。


好きな気持ちは増えていくけれど、相手本意で私の気持ちを決めたくない。私はまず、私で私を受け入れ認めていきたい。そして理想の自分になった時、

この教祖様との関係にはじまりとおわりを作れるのかな。







まとまりはいつも通りないです。

私が私の好きと向き合う時間なので。けど目を通していただいている方がおりましたらありがとうございました。


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