『見えない勇気を想像し抱擁することが優しさ 』 #20 Yukisato Azai
『プロフィール』
名前:浅井千慧
大学:同志社大学 3年
お気に入りのカフェ: ヴェローチェ京都駅前店
最近のマイブーム:セカストでジーンズを試着。体重の増加を再確認。
今欲しいもの:寝心地のいいパジャマ
2022年の抱負:好きな時に好きなものを食べないようにする。
お気に入りの絵文字:🥺
現在鋭意模索中
僕は地方出身ということもあって、都心と地方の情報格差を大学入学後に初めて実感し愕然としました。別の学生団体に入っていた際に初めて海外の大学に進学した日本人と話しました。ハーバードやスタンフォードに入学し学問を研鑽する彼らに強い羨望と嫉妬を覚え、自分が高校生の頃にその選択肢を知っておきたかったと落胆しました。そして、この時に獲得した悔しさが僕をボードに応募させました。
ところが確かにその時は自分のような経験を未来の高校生に出来るだけして欲しくないと切に願っていたのですが、最近は少し考えも変わってきました。というのも僕には実存主義的と呼ぶのか若気の至りと呼ぶのかはわかりませんが社会が個人に寄与する影響を無性に考えてしまう傾向があります。自分がこの体一つで触れて確かめて一つひとつ飲み込んでいった経験を、社会が声高に標榜する「留学」「学生インターン」「TOEIC」とやらの単語で判断・評価されたくない。そんな心底つまらない勝負の勝ち負けはどうでもいいから棄権して、本当に好きな人とものに囲まれて密かにわいわい暮らしたいと思うわけです。そうすると僕が以前胸に抱いた海外大生への嫉妬や憧れも、本来抱く必要のないもののように覚えてきました。
こういう話をすると、「人と比べないで」とか「ありのままの自分」などの言葉を嬉々として横からぶん投げてくる人がどこにでもいます。こういう正しいだけの言葉が一番残酷だと思っています。人と比較しないとか、自分らしくいるってとても大変難しいことです。一部の人にとってはとりわけ。それでも彼らは自分らしさを模索し、さらに獲得するために毎秒毎秒勇気を振り絞っている訳で、その見えない勇気を想像し抱擁することが優しさであり知性であると僕は感じます。
話が右に左に外れてしまいました。字稼ぎのため滔々と語ってしまいました。僕がここで言いたいのは、自分は未だにボードとしてHLABに関わる意義を鋭意模索中だということだけです。この答えはサマースクールまでに自分と正対しながら見つけていこうと思います。
意味のない会話で溢れたチーム
HLABは学生が大きな裁量権を持ちながら企画、運営、実行していく点において他の学生団体と大きく異なっています。学生自らが決定することがほとんどなので、効率的で密度の濃いミーティングが必然的に求められます。HLABに入ってまず面白いと感じたのはこの毎週のミーティングです。どのような議題をどの流れで組めば議論がスムーズに流れ結論まで時間内にたどり着けるのか。これを考えながら挑戦と失敗を繰り返すうちに、最近やっと少しずつコツを掴み始めてきました。僕のイベント局ミーティングでも高い質を求めながら毎週開催していきたいです。
ところが、逆に言えば毎回のミーティングで意味のない会話はほぼ生まれません。これはこれで寂しいなと僕は感じます。せっかく何かの縁で集まる運営委員の一人ひとりについて知らずにただ仕事をこなすだけの関係性を結びたくない。やっぱり学生らしく荒削りで無意味な話もいっぱいしたい。だって学生なんだもん!!
きっと大人になると意味あることばかりが僕たちに押し寄せてくると思うけど、その波を乗りこなせるような何かを学生の間に培いたい。そしてその何かはきっと仲間との些細な会話から湧き上がるものだ。だからこそ僕は自分の局を意味のない会話で溢れたチームにしたい。みんなの好きなこと、嫌いなこと、オススメのお店、暇な時間の過ごし方、一人で簡単に作れる料理とか沢山知りたい!!!オンとオフをかっちり分けながら、イベント局の運営委員が自分の局を好きでいてくれることだけを目標に最後まで走り抜けます!
-HLAB 2022 ビジョン-
『高校生が自分と向き合い、一歩を踏み出し、進み続ける「場」をつくる』
情報でなく体験を伝える
僕の管轄しているイベント局は座談会や説明会などの開催を通してHLABの価値を高校生に届けます。つまりこのVISIONを出来るだけダイレクトに、また広範囲に広めることこそが僕たちの役目です。VISION達成に貢献するため、従来の説明会や座談会を大幅に改善し、また全く新たな企画もどんどん練っていく予定です!
本年度の大幅な変革のポイントは「情報でなく体験を届ける」説明会や座談会を開催することです。高校生が自分と向き合う機会になるような説明会や座談会を開催することで、HLABの価値を肌で体験して欲しい。これが今年のイベント局の目標です!
想像と経験の間
映画を見たり小説を読んだりする中で、今まで隠れてて気づかなかった感覚がたまに呼び覚まされるので、その感覚を反芻しながらよくぼーっと考えてます。すると、自分が何を大切にしたいか気のせいかもしれませんが、なんとなく分かってくる気がします。で、こんな具合で普段から適度に考え事をしているので、特筆するような自分と向き合った経験は思い浮かびません。そこで、ここでは最近見た中でかなり感動した映画「CODA あいのうた」と合わせて他者との関わり方について感じたことを少し話したいと思います。CODAはChildren of Deaf Adultsの略で、ろう者を親にもつ聴者の子供を表します。本作品は、聴者として家族の通訳に翻弄されながらも音楽大学に入学する夢を追い続ける少女の精神的葛藤や彼女の家族の愛を描いています。この映画の中で僕ももちろん3回ほどは泣いてマスクが浸水してしまったのですが、中でもとりわけ気に入ったシーンがありました。ネタバレになるので詳しい描写は割愛しますが(間違いなく映画館で見たほうがいいです)、このシーンで自分の想像力をどこまで拡張しても他人の経験に重ねることはできないと身に染みて感じました。
自分の想像と他人の経験の間の大きすぎる空隙は決して埋めることができない。当たり前だけれど、これが理解できたことでまた自分と他者との関わり方に小さな変化が生まれそうです。HLABの文脈で語るならば、誰かの忙しさや精神状態に関する僕の想像と相手の実際の状態には大きな乖離があることを認識できれば、仕事量を調整したり、仕事の頼み方を工夫したりすることで双方とも気持ちよく仕事をこなせます。仕事に忙殺されるとついつい一方的にタスクを頼んでしまいがちですが、そんな時こそ、この教訓を思い出したいです。
挑戦できる場所
HLABでは積極的な挑戦が歓迎されています。これが一番HLABの好きなところです。新しいアイデアをそれぞれが持ち寄り、具現化することでVISION達成に一歩ずつ近づいていく。これほど挑戦しやすい環境を僕は周りで見たことがありません。このカルチャーがさらに根付くように自分ももっと新しいことにこのHLABで挑戦していきます。
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