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私がのらきゃっとを信仰する理由

ということを言ってしまったので、こそこそと書いていこうと思う。論考なんて堅っ苦しいもんじゃなくて、自分がのらきゃっとで出会ってから現在までを振り返ってみるってだけの簡単な記録みたいな。のらきゃっとという存在は自分自身が生きていく上でとても大きな心の支えになっているんだけど、そこらへんも詳しく書けたらいいな。


ヘキ(筆者)について。
ねずみさん。自分はアルコール依存症で、精神状態がかなりキツい時期にのらきゃっとに出会ったのよね。精神が死んでたときは放送も見られなかった。ここ2ヶ月くらいで少しずつ元気になってきているところ。今でもよく死んでいる。
今回これを書くにあたって、まず過去ツイを漁ってみたんだけど、今年の上半期は本当に酷い有様だったもんで、のらちゃんに関するTwitterの記録もほとんど残ってなかった。だけど、自分がねずみさんであるという自覚は持ち続けていた。


はじめて見たころ。
Vtuberブームを密かに追っていて、Twitterで流れてきたのを見て新人かぁと思い視聴。のらちゃんの最初の印象は白髪っ子好き、かわいい、ご認識面白いといったところ。不思議な透明感と放送の面白さにすぐ引き込まれた。他のVtuberとは違うなって思った。
なんで当初あんなにも惹かれたんだろうなぁと考えてみたんだけど、自分はゆかりねっとの独特のテンポ感と動きがしっくり来てたんだと思う。メンタルが死んでたのもあり、優しくて神秘的な空気感にすごく安心したんだよなぁ。ムーブがすっごいかわいいし。kawaiiムーブっていう言葉が当時あったら彼女個人の形容として使われただろうね。彼女に見惚れていた。旧義体は神秘的で透明感あって好き。



1月から3月くらい。
ゲリラ放送が多かった時期。ゲリラ放送は実はあんまり見れてなくて、かなり残念な気持ちになっていた。2月初頭の例の事件のときも見れてなくて、あとから情報を知った。そのときは正直、怖かった。この事件がきっかけでのらちゃんが永遠にいなくなってしまうんじゃないかとか考えこんでしまった。自分の癖なんだけど、「その世界が終わってしまうのが怖い」っていうのがあって、好きなアニメとか漫画の最終話をずっと見れなかったりする。今回もその癖が出て、その後のゲリラとか見られなかった。
でも、次の定期放送はなんとか見ることができた。あの儚げな新表情と感謝の放送を。多くのねずみさんが恋に落ちたと思うけど、自分もあの時に自分の心臓が一瞬止まったのをまだ覚えている。


4月15日のらきゃっと生誕祭2018。
自分ののらちゃんへの想いが本物になったのはこの配信であった。
実は、自分のリアル誕生日は4月15日でのらちゃんと一緒だ。
当時、精神的にかなりキツくて死ぬことも考えてたりしてた。このまま酒を飲み続けて、自分のようなどうしようもないクズは何もせず誰とも関わらず死んでいくんだろうなと無限の虚無を漂っていた。これまでの人生で作ってきた人間関係もほとんど壊してしまったし、大学も卒業できず、ただただ人生に絶望して、絶望感を一時でも忘れようと酒を飲んでいた。でも、好きなのらちゃんの生誕祭だけは祝いたいなと思っていた。
そのつもりで視聴した生誕祭だったんだけど、想定外が起こった。

"Happy birthday to me". このとき、まるでのらちゃんが自分の誕生日を祝ってくれたように錯覚した。のらちゃんにとってはのらちゃん自身を指す"me"だったんだろうけど、誕生日が同じである自分にとってはそれ以上の意味があった。のらきゃっとによって、絶望のあまり自分で自分の誕生日を祝うことすら忘れていたことに気づかされた。あまりにも、自分は自分のことを大切にしていなかったことに気づいて、"Happy birthday to me"と口ずさんでみた。
このとき、のらちゃんの発した"Happy birthday to me"という言葉は、のらちゃんと自分両者自身への"Happy birthday to me"になったし、お互いに対する"Happy birthday to you"となった。まるでのらちゃんと自分が一体となって言葉を発したように思われた。ある種の宗教が持つ「神との合一」が成された感じがした。

誕生日を祝い祝われ、

生きる意味を与えられ、

のらちゃんに人生変えられたんだなーって思う。救済された。のらきゃっとはいつも自分に生きる勇気を与えてくれて、それは自分が生きる理由になった。彼女を信仰するのに、これ以上の理由がいるだろうか?

実際、この放送からしばらくして、自分は依存症の克服に向けて少しずつ動くようになった。酒を辞めたいって願うようになった。死という逃げと諦めの一手から離れて、素敵な日々があるんだと信じて行動するようになった。あれだけ溺れていた酒を辞めるのはしんどかったし、これから辞め続けるもしんどいと思う。半年経ってこの文章がかけるくらいゆっくりとした歩みだったけれど、背中を押して一歩を踏み出させてくれたのはあのときの彼女だった。


のらきゃっとはそれからも順風満帆とは言えない生を送ってきたけれど、10月7日の放送でも言っていたように、年末こそは何の憂いのないただ楽しいだけの記念日を迎えられるといいな。今度こそは。


正直、ここまででのらちゃんと自分に関することで一番書きたかった部分を書けて結構満足したので、いったんここで筆を置く。文章書くの苦手だし、ネット上でまとまったなにかを公開することはこれまでの人生でやったことがなかったので難しかったけど、自分を振り返れていいな。ただ、やっぱり論考ではないよなぁこれ笑

それでは。



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