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公認競技会の歴史② 2008年編

こんにちは。低男産業です。

 今回は2008年の公認競技会の様子について書いていきたいと思います。

 まず2008年1月より公認競技会でハイパーダッシュPROモーターが使用可能になりMSシャーシの速度域がぐっと上がりました。

 そして、現代と同じようにダンガンのスキッドホイールを軸に通して上下させるタイプのマスダンパーが使用され始めました。当時は前後のバンパーの上に取り付けており、リアは1軸が多かったと思います。

 更に、2008年中期頃から流行り始めた、「囲い」と呼ばれるインパクト大の改造があります。

 見ての通りフロントバンパーからリヤタイヤまでをFRPで囲っています。このマシンはリヤタイヤまでですが、リヤローラーステーまでつなげているマシンの方が多かったように思います。

 この改造のメリットとして、ジャンプの着地時にフロントバンパーがコース内に入ってしまえば後は囲いに沿って入るという事が挙げられます。また、囲い部分が実質的にサイドバンパーの役割を果たしており、ブレーキやスタビなどを装着する事ができました。
 デメリットとしては、逆にフロントが乗り上げたら復帰が絶望的になる事と、マシン重量が増す事です。

 見た目のインパクトもあり、囲いは2008-9年にかなり流行した改造でしたが2010年からのルール改正によりタイヤサイドに追加部品を取り付ける事ができなくなりました。その為現在は実質的に囲い改造は不可能になっています。JC2019のあたりで流行した壁ブレーキはこのレギュレーションに影響を受けていましたね。

 また2007年には年間チャンピオン戦と同時に行われたワールドGPでしたが、2008年以降はタミヤフェアで行われる大会をワールドGPとし、当日決勝戦に勝ちあがった選手が海外代表選手と戦う、という形式に変わりました。これは2011年まで続きます。

 現代のフレキシブルと呼ばれるシャーシとは考え方が異なりますが、2008年には既にスライドダンパーのバネを使ったサスペンション改造のMSシャーシが登場しており、サスマシンと呼ばれていました。

 当時最先端のサスマシンの画像をご提供いただきましたのでお見せしたいと思います。

 これはスーパーミソジーズのシャシンヤサン選手の作品です。5月のミニ四駆GPタミヤ本社の小径タイヤ限定クラスで優勝を始め入賞多数、年間チャンピオン戦ではオープン部門・小径部門共に3位と素晴らしい成績を残しています。
※フロントのネジの飛び出しは撮影用に保護テープを外していただきました。

 この当時のサスマシンはフロントにワンウェイホイールを使用し、サスペンション稼働時に駆動に無理がかかるのを防いでいました。

 ブレーキは2007年と同じくフロントにパッシングローラー、リアに青スポンジという組み合わせです。駆動部分のみがサスペンションになっており、バンパー類はセンターシャーシから出すようになっています。つまりスロープなどではブレーキを効かせ、着地でサスペンションが効くという仕組みです。これは現代の公認競技会でも通用するセッティングだと思います。
 余談ですが、このマシンのシルバーの旧センターは2006年の浅草大会で一度だけ売られた激レア品です。非売品を除けば断トツで流通数が少なく、恐らく100個も販売されていないと思います。フロントとリアはMSシャーシ EVO.1に封入されているものです。

 当時の年間戦で入賞するとボディだけでなくシャーシまでメッキされた特製キットが貰えました。通電の危険がある為競技会では使用できませんが、こういった特別な品が貰えたのも古き良き時代といった感じがしますね。

 2007年に比べ、一気に現代的なマシンになって来ました。2009年にもミニ四駆が大きく進化する改造が生み出されます。次回の更新をお楽しみに!

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