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公認競技会の歴史⑦ 2013年編

こんにちは、低男産業です。

 前回から少し期間が空いてしまいましたが、第7回目の今回は2013年の公認競技会の様子についてご紹介していきたいと思います。

 まずは2012年まで行われていたシャーシ限定クラスがなくなり、代わりにタッグクラスが開催されました。このタッグクラスでは二人一組のチームとなり一人5周ずつ走行させ、タッチして次の選手が更に5周させ計10周で競うという競技形式でした。LCがあると周回数が数えにくくなる為、左右対称のコース「スーパーコブラサーキット」を用いた上で3レーンを除いた残り4レーンを使い競技が行われました。走行させるレーンによりどうしても多少の有利不利は出てしまいますが、走行レーンはくじ引きで選ぶ方式であった為、ある意味運も必要だったと言えるかもしれませんね。更に一走目の選手がコースアウトしてしまった場合、二走目の選手は走行する事も出来ないまま敗退となってしまう為、安定とバランスの取り方がいつも以上に難しい競技でもありました。

 このタッグクラスは1月から3月までの全国各地の公認競技会で開催され、それぞれの大会で3位までに入賞したチームは3月24日の東京大会にて開催された「ミニ四駆最速タッグ決定戦」に参加出来ました。この当時はジャパンカップや年間チャンピオン戦などのタイトル戦ではモーター、電池共にタミヤから支給され、それに合わせたセッティングが必要とされました。タッグクラスもタイトル戦の一つであった為、同じくモーター電池が支給となりました。

 最速タッグ決定戦の優勝決定戦の様子をYouTubeにアップしていた方がいらっしゃいましたのでリンクを張らせていただきます。この時のルールとして、前走者とタッチしてから箱に入っているマシンを取り出し、スイッチを入れてスタートさせるという手順だったのですが、全国決勝大会ともなるとどのチームもタッチからスタートまで約2秒程度しかなく、作品の性能に加えて選手自身の力も試されました。


 4月以降はオープンクラスとジュニアクラスの2部門が行われ、6月から10月にかけては昨年と同様にジャパンカップも開催されました。更に、2013年のオープンクラス優勝者は翌年から始まるチャンピオンズ制度の初認定者となりました。2014年以降に優勝した選手は、優勝した年はチャンピオンズ0年目として扱われ翌年が1年目という数え方をしますが2013年の優勝者は0年目が無くいきなり1年目からスタートという形になりました。

 ジャパンカップ2013で使われた「スーパークライムサーキット2013」ですが、2012年のウルトラエアロサーキットとは異なり、スピードさえ落とせば完走自体は容易なレイアウトでした。ですが、競技で勝つという事を考えると頭を悩ませるセクションが多く配置されていました。ヘルクライムからナイアガラスロープにかけてはブレーキを効かせる必要がありましたが、デルタバンクの入り口では効かせないようにしたいという矛盾があり、その他セクションは全開走行させつつも芝があるのであまり小さいタイヤ径は使えないという様々なジレンマがあり、セッティングには苦労しました。その分、この2013年のジャパンカップの期間中に作品のセッティングというものは色々と発展したように思います。レーサーを育てるという意味では屈指の名レイアウトだったと思うので、またこのサーキットを走らせて見たいですね。

 2012年に引き続き、ジャパンカップ2013の全国決勝大会は「MEGA WEB」で行われました。ファイナルバージョンのレイアウトはヘルクライムからの着地が2枚になり、更にバンクが追加され、直後に芝が待ち受けるなど相当難易度の高いサーキットとなり、ハイレベルなレースが展開され見ごたえ十分でした。

 チャンピオン決定戦のオープンクラス優勝決定戦の様子がタミヤよりYouTubeにアップされていたのでリンクを張らせていただきます。当日支給のモーターと電池とは思えぬ速度域ですね。動画で見ても分かるヘルクライムからクリヤーブリッジへの大ジャンプからの着地は見事です。


 改造の傾向としては2012年までは提灯を装備したマシンが主流でしたが、2013年の夏頃から提灯をより低重心化した低男が流行し始めました。提灯も低男もマスダンパーとカーボンやFRPプレートなどを用いた制振装備という点は変わりませんが、低男はボディを上にのせる事でより低重心化されました。ボディの上にプレートが通らなくなった事により、作品の見た目も良くなりましたが、同時にクリヤーボディが主流になった事で、勝つためのボディ選びという考え方も出てきたように思います。

 こちらが茶選手のミニ四駆GP2013 東京大会 ミニ四駆最速タッグ決定戦 優勝のアスチュートJr.です。前述の通りこの年に開発された低男が装備されています。2012年の記事で紹介した作品と見比べていただけると分かると思いますが、重心がかなり低くなっています。フロントの自作カーボンスライドは現代に比べて重厚感がありますが、基本的な構造は変わっていませんね。


 という事で2013年の公認競技会の様子についてご紹介させていただきました。チャンピオンズ制定の元となる年という事で、どの大会もハイレベルなレースが展開される思い出深い1年でした。
 現代ではいよいよジャパンカップ2020も始まりましたが、タミヤさんがきちんと感染症対策をしてくださっているお陰で楽しく競技に参加させてもらいました。今後も少しずつ日常が戻ってくるのを期待しています。

 次回の低男産業noteもよろしくお願いします。

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