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聖書は何と語っているか。 教祖ムハンマドは偽預言者である根拠

ヨハネの手紙一 第 4 章
愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。
2 あなたがたは、こうして神の霊を知るのである。すなわち、イエス・キリストが肉体をとってこられたことを告白する霊は、すべて神から出ているものであり、
3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

4 子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。
5 彼らは世から出たものである。だから、彼らは世のことを語り、世も彼らの言うことを聞くのである。
6 しかし、わたしたちは神から出たものである。神を知っている者は、わたしたちの言うことを聞き、神から出ない者は、わたしたちの言うことを聞かない。これによって、わたしたちは、真理の霊と迷いの霊との区別を知るのである。

イスラム教の創始者ムハンマドは、イエス・キリストを預言者と認めているがイエスを救い主と告白していません。
聖書には、3 イエスを告白しない霊は、すべて神から出ているものではない。これは、反キリストの霊である。あなたがたは、それが来るとかねて聞いていたが、今やすでに世にきている。

また、聖書にはムハンマドが預言者であるとは、どこにも書かれていません。イスラム教が、ムハンマドが預言者であると主張してる聖書カ所
ヨハネ14:16 
私は父にお願いします。そうすれば、父はもう一人の助け主をあなた方にお与えになります。その助け主がいつまでもあなた方と、共におられるためにです。

イスラム教の主張:聖書におけるムハンマドの予示(3/4):新約聖書におけるムハンマドの予示

議論の余地なし。彼らは、聖書の一部分を引用して、「聖霊」をムハンマドに置き換え解釈している。イエスを救い主と受け入れていないので、聖書を読んでも真理を理解できない。私もかつてそうでした。

もう一人の助け手(聖霊)の約束

「父はもう一人の助け主」とは聖霊のことでです。
偽預言者ムハンマドではない。

ヨハネによる福音書 14:16-17 JA1955
わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。

ヨハネによる福音書 14:16-17 わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。 | Colloquial Japanese (1955) (JA1955) | 聖書アプリを今すぐダウンロード わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真 www.bible.com

どの聖書にも「もう一人の助け主」「別の助け主」が預言者ムハンマドとは書かれていない。「聖霊」「真理の御霊」と書いてある。イエスは荒野で悪魔サタンを聖書の御言葉で退けました。

神の御使い、天使ガブリエルの告知

ルカ1章26~28
26 六か月目に、天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。27 ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。28 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。

主があなたと共におられる。
天使ガブリエルの主はイエス・キリストであって、ムハンマドのことではありません。天使ガブリエルは神に従う御使いです。単独行動でムハンマドに啓示を与え、反キリストの宗教を作るはずがない。

なぜイスラム教イランの支援を受けるテロリストハマスは、ユダヤ人にとって特別な仮庵の祭りの日を狙って、残忍な大量虐殺を行ったのか?
彼らの背後の存在とは?

クルアーン・コーランの真の執筆者は、いったい誰なのか?

なぜキリスト教はコーランを
誤解したのか?
矢 内 義 顕

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矢 内 義 顕ファイルを引用し、一部編集
コーランは,ムハンマドによって神の言葉として捏造された書物である。ムハンマドが旧約聖書と新約聖書から恣意的に選んだ箇所に,彼自身の異端的な教 説を加えた書物である…。

先の言葉を使うならば「コーランは聖書の安っぽい コピーだ」ということになろう。

矢 内 義 顕
・なぜキリスト教はコーランを誤解したのか?
この問題を考えるために,まずキリスト教の歴 史の中から三人の思想家を取り上げ,コーランに関する彼らの発言を見ること にしよう。
1.ダマスコスのヨアンネス,ペトルス・ウェネラビリス, ニコラウス・クザーヌス ⑴ ダマスコスのヨアンネス(Johannes Damascenus 675頃-750年頃)   第一に挙げるのは,イスラームと対決した最初のキリスト教神学者ダマスコ スのヨアンネスである⑶。
彼は,ムハンマド(570年頃-632年)の死後間もなく 成立したウマイヤ朝の治世下(661-750年)で,シリア・ダマスコの名家に生 まれた。 アラブ人出身であり,来の名前はマンスール(Mansur)である。
ギリシア語による高度な教育(自由学芸・文学・神学)を受け,カリフの宮廷 で「主席顧問官」という地位に就く。
しかし,東ローマ皇帝レオン三世の聖像 画破壊運動に関連した出来事から,その職を辞し,パレスチナの聖サバ修道院 に入り,ヨアンネスと名乗ることになる。彼は,この修道院で執筆活動を行ない,神学的主著『知識の泉』など多数の著作を生み出す。
この『知識の泉』は, キリスト教教義を説くための前提としての論理学・哲学的な概念を説明する 『哲学的断章』そして『異端論』と『正統信仰論』 ⑷の三部から成っている。第 二部の『異端論』は,キリスト教の初期から,彼の時代に到るまでの103の異 端を列挙し,論駁するものである。その101番目─つまり,彼とって最近の異 端─に挙げられるのが,「ハガル派・イシュマエル派の異端」つまりイスラー ムである。

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アブラハムの奴隷女ハガルと息子イシュマエルの預言の成就

奴隷女ハガルが神に逆らって、女主人から逃亡した。
創世記16:8~12

8「サライの召使ハガルよ。どこから来て、これからどこへ行くつもりですか。」

「女主人のところから逃げ出して来たのです。」

9-12「それはいけない。戻って従順に仕え、務めをきちんと果たしなさい。心配はいりません。あなたには男の子が生まれるから、イシュマエル〔「神は聞いてくださる」の意〕と名づけなさい。あなたの子孫は大きく増え広がります。主があなたの苦しみを聞き届けられたからです。その子は野生のろばのように荒々しく、思うままにふるまう暴れ者となって、すべての人を敵に回し、ほかの人たちも彼に敵意を抱きます。彼はまた、親族の者とも敵対するでしょう。

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【奴隷の子】イシュマエルが追い出された象徴的な意味

ガラテア4-30
しかし、聖書に何と書いてありますか。「女奴隷とその子を追い出せ。女奴隷から生まれた子は、断じて自由な身の女から生まれた子と一緒に相続人になってはならないからである」と書いてあります。 31要するに、兄弟たち、わたしたちは、女奴隷の子ではなく、自由な身の女から生まれた子なのです。女奴隷の子イシュマエル=律法 自由の子イサク=めぐみによる救い

またイシュマエル派の異端もあるが,これは今日まではびこり,人々を誤謬 のうちに捕らえており,アンチ・キリストの先駆者である。彼らは,奴隷女ハガルが アブラハムに生んだイシュマエルの子孫であり,そのため,ハガル派ともイシュマエル派とも呼ばれる。また彼らはサラセン人とも呼ばれる。
これは「サ ラによる窮乏」(Sarras kenoi)に由来する。というのも,ハガルが天使に「サラが私を窮乏へと追いやったからです」(創世記16章8節)と言ったからであ る。
この者たちは,偶像崇拝者で,明けの明星つまりアフロディテを崇拝して いたが,これは彼ら自身の言葉ではカバル(Khabar)─偉大なという意味─ と呼ばれていた。下って皇帝ヘラクレイオス(在位610-41年)の時代になると, 彼らは並外れた偶像崇拝者になった。

この時代から今日に至るまでに,彼らの 間にマメド(Mamed)という名の偽預言者が登場した。この男は,偶然に旧約・ 新約聖書などを知った後,アレイオス派の修道士と親しくなり,彼自身の異端 を捏造した。
そして彼は,敬虔を装って民衆にとりいり,ある書物が彼のもとに天から下ったと言いふらした。彼は,この書物の中に馬鹿げた創作を書き記 し,崇拝の対象として民衆に与えたのである⑹。  

ヨアンネスは,イスラームを,偽預言者マメド(ムハンマド)が捏造したキ リスト教内部の異端の一つと見なす。そして,イスラームが神の言葉と信じる コーランを,旧約・新約聖書およびアレイオス派の異端の知識に,彼自身の「馬鹿げた創作」を加えた書物であると断じる。

⑵ ペトルス・ウェネラビリス(Petrus Venerabilis 1092/94-1156)  東方世界から西方世界に移ろう。ここで取り上げるのは,12世紀に南フラン スで隆盛を極めたクリュニー大修道院の院長ペトルス・ウェネラビリスである

27歳の若さで2000にも及ぶ分院を指導するクリュニー大修道院長となっ た彼は,この時代のキリスト教世界における最も重要な人物の一人であったと 言ってよい。
彼が活躍したのは,グレゴリウス教会改革,そして第一回十字軍 (1096-99年)と第二回十字軍(1147-49年)の間の時代でもある。このペトルス は,西欧世界において最初にコーランのラテン語訳を企画し,実行した人物と しても知られる。  
1142年3月,ペトルスは,アルフォンソ7世の招きに応じてスペインを訪れ る。この旅行中に彼は,イベリア半島におけるイスラーム支配の現状を目の当 たりにし,ムスリムを改宗へと導くためには,イスラームの研究が不可欠であ ることを痛感する。そこで,彼は,ケトンのロベルトゥスをはじめとして,当 時アラビア語の哲学・科学(錬金術・占星術も含む)文献の研究のためにトレ ドに滞在していた研究者たちに,コーランを含むイスラームの文献の翻訳を依 頼する。こうして出来上がったのが『トレド集成』(Corpus toletanum)と呼 ばれるものである。

ペトルスは,この翻訳をもとにして,『サラセン人の異端大要』および『サラセン人の異端論駁』を執筆する⑻。ここでは,『サラセン人の異端大要』の一節を紹介することにしよう。
(異端の修道士)セルギウスは,われわれの救い主が神であることを否定し た彼の師ネストリオスの解釈に従い,あるいは自己流の理解によって,マフ メット(Mahumet)に旧約聖書と新約聖書を説明し,同時に外典の作り話を たっぷりと教え込み,彼をネストリオス派のキリスト教徒に仕立て上げた。…
 
彼ら(サラセン人)は,私たちと同じことを信じているところもあるが,多 くの点で私たちとは一致しないことから,私はこの者たちを異端者(haeretici) と呼んでいるけれども,むしろもっと強く,不信仰者(pagani),異教徒(ethnici)と呼ぶほうが適切かもしれない。というのも,彼らは,真の神について 幾らかは語るけれども,多くの誤ったことも述べ,また洗礼,聖餐,告解,つ まりキリスト教の秘跡を共有することもなく,こうしたことは,この異端以外 にはなかったことだからである。

 ここでペトルスは,イスラームがキリスト教の異端ではなく,「不信仰者」 「異教徒」,つまり異なる宗教ではないのか,という疑念を表明している。コー ランを熟読した人物ならではの発言である。
この書物の中で彼はキリスト教徒に向かって,「私はあなたがたに切にお願いする。どうか(サラセ ン人には)われわれのうちのある人々がしばしば行なうように,武器に訴える のではなく,言葉によって,武力ではなく理性によって,憎悪からではなく愛 をもって対していただきたい」 と述べる。

上述のように第一回および第二回 十字軍の時代にあっては,銘記してよい言葉であろう。  
彼の企画によって翻訳された最初のラテン語訳コーランは,1698年にイタリ ア人ルドヴィコ・マラッチ(1612-1700年)が新しい翻訳を出版するまで,西 欧世界で読まれることになる⑿。
そうした人々の中には,次に述べるニコラウ ス・クザーヌスもいたし,また16世紀には印刷・出版され,宗教改革者ルター もメランヒトンもこれを活用する⒀。
⑶ ニコラウス・クザーヌス(Nicolaus Cusanus 1401-64年)  最後に取り上げるのは,15世紀ドイツの哲学者・神学者,教会改革者である 枢機卿ニコラウス・クザーヌスの晩年の著作『コーランの精査』である。

⑾ Contra sectam saracenorum, I, 24: Aggredior inquam vos, non, ut nostri saepe faciunt, armis sed verbis, non vi sed ratione, non odio sed amore. ⑿ 中世ヨーロッパにおいては,ペトルス・ウェネラビリス以後,コーランのラテン語訳は二回行な われる。トレドのマルコスによって1120-21年頃に完成された翻訳,そしてもう一つは,セコビア のフアン(1393頃-1458年)による翻訳である。しかし,前者については6写本しか残されておらず, 後者については断片しか残されていない。これらについて,詳しくは,cf. Marie-Thérèse d’Alverny, Deux traduction latines du Coran au Moyen Age, in: Archives d’histoire doctrinale et littéraire du moyen age 22-23 (1947/48) pp. 69-131 (Reprinted in: La connaissance de l’Islam dans l’ Occident medieval, Variorum 1994); T. Burman, Tafsir and Translation: Robert of Ketton, Mark of Toledo, and Traditional Arabic Qur’an Exegesis, in: Speculum 73 (1998), pp. 703-732; J. M. Gázquez, Óscar de la Cruz, C. Ferrero, N. Petrus, Die lateinischen Koran-Übersetzung in Spanien, in: M. LutzBachmann/A. Fidora (Hrsg.), Juden Christen und Muslime: Religions-Dialoge im Mittelalter, Darmstadt, 2004, pp. 27-39; R. F. Glei (Hrsg.), Frühe Koranübersetzungen. Europäische und außereuropäische Fallstudien (BAC 88), Trier, 2012. ⒀ ルターに関しては,L. Hagemann, Cristentum contra Islam. Eine Geschichte gescheiterter Beziehungen, Darmstadt, 1999, pp. 81-95[L・ハーゲマン『キリスト教とイスラーム─対話への歩み』 八巻和彦・矢内義顕訳,知泉書館,2003年,pp. 134-159];メランヒトンに関しては,M・H・ユ ング『メランヒトンとその時代』菱刈晃夫訳,知泉書館,2012年,pp. 201-210.
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1453年,トルコの攻撃によってコンスタンティノープルが陥落する。ビザン ツ帝国が滅亡するのである。この直後,クザーヌスは諸宗教の対話を目指す 『信仰の平和』を執筆し,また友人のセコビアのフアン⒃に宛てた書簡で「私 たちは,彼ら(ムスリム)の間で権威をもっているあの書物(コーラン)を, 私たちにとって意味のあるものとすることに絶えず努めなければならない。なぜならば,私たちは,その中に私たちにとって役立つ箇所を見いだすのであり, また私たちの立場と矛盾する他の箇所は,前者(役立つ箇所)を用いて説明で きるからだ」⒄と述べ,コーランの研究の必要性を提案する。この計画は,彼 の晩年(1460/61年)に実現する。それが『コーランの精査』である⒅。

本書 の意図は,コーランをいわば篩ふるい にかける(cribrare)ことにより,そこから聖 書の真理(福音)と一致する要素を取り出すことであり⒆,その意味でイスラー ムとの対話の糸口を見いだそうとする試みではある。しかし,クザーヌスの コーラン観は以下の言葉に明確に述べられるとおりである。
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⒁ Cf. Morimichi Watanabe, Nicholas of Cusa. A Companion to His Life and Times, ed., G. Christianson and Th. M. Izbiki, Ashgate, 2012, pp. 40-45. ⒂ 邦訳として,ニコラウス・クザーヌス『信仰の平和』八巻和彦訳(中世思想原典集成17『中世末 期の神秘思想』編訳|監修小山宙丸,平凡社,1992年,pp. 577-644所収)がある。 ⒃ Cf. M. Watanabe, op. cit., pp. 198-203.最近,セコビアのフアンのイスラーム論駁書が出版された。
Johannes von Segovia, De gladio divini spiritus in corda mittendo Sarracenorum Teil I, II, Edition und deutsche Übersetzung mit Einleitung und Erläuterung von Ulli Roth, (Corpus Islamo-Christianum Series Latina 7) Harrassowitz Verlag, 2012. ⒄ Epistula ad Ioannem de Segobia: Unde videtur quod semper ad hoc conandum sit quod liber iste, qui apud eos est in auctoritate, pro nobis allegatur. Nam reperimus in eo talia quae serviunt nobis; et alia quae contrariantur, glosabimus per illa.テクストは,Nicolai de Cusa Opera Omnia, Vol. VII, Leipzig/Humburg, 1970に拠る。本書簡の最新の研究として,W. A. Euler und T. Kerger (Hrsg.), Cusanus und der Islam, Paulinus, 2010がある。 ⒅ 本書について詳しくは,L. Hagemann, Der Kur’an in Verständnis und Kritik bei Nikolaus von Kues. Ein Beitrag zur Erhellung islamisch-christlicher Geschichte (FThSt 21), Frankfurt, 1976参 照。 ⒆ Cribratio Alkorani Prologus 10, 1-2.テクストは,Nicolai de Cusa Opera Omnia, Vol. VIII, Leipzig/ Humburg, 1986に拠る。
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それゆえ,真の神とは異なる者がその(コーランの)著者ということになる。 それは「この世の神」

コリントの信徒への手紙二・4章4節以外ではあり えない。…

この神は,ウェヌスを拝む偶像崇拝者であり,この世のすべてのも のを欲するマフメットゥス(Mahumetus)が自分の目的のために最適である ことを知ると,彼の天使たちの一人で,光の姿(コリントの信徒への手紙二 11-14)をとり,おそらくガブリエルと 名乗った堕天使(悪魔悪霊)によって,まずマフメットゥス,ついで彼の後継者たちを介して 虚偽に満ちたコーランを編集した。

さらに彼は,このために適切な助言者とし て異端キリスト教徒と邪悪なユダヤ人をマフメットゥスに結びつけた。彼ら は,ネストリオス派のセルギウスとヤコブ派のバヘイラ,ユダヤ人フィニエス, そして後にアブダラと呼ばれる,名をサロンというアブディアだった。これら はアラブ人たちの下で信頼されている歴史が語ることである。

さらに,コーラ ンには,律法と福音書,預言者アブラハム,モーセ,特に処女マリアの子イエ ス・キリストを賞賛する多くの証言が含まれているように見えるにもかかわら ず,真のまた救いの目的に矛盾することもすべて伴っているので,…むしろ欺 くために,これらの賞賛が挿入されたと思われる。  
クザーヌスも,コーランを,旧約・新約聖書の内容も含みながら,異端的な 思想を盛り込んだ書物であるとし,しかも,その真の作者は,ムハンマドでも, それを編纂した彼の後継者でもなく,「この世の神」つまり悪魔であると断じ ている。  

本書が執筆された直接の動機は,1460年1月にマントヴァの会議で教皇ピウ ス二世(1405-64年)がトルコへの十字軍を提唱したことにある。もちろん, ヨーロッパの諸侯はこれに反対であったし,クザーヌスをはじめとする枢機卿 たちも乗り気ではなかった。そうした中で,クザーヌスは,コーランを誠実にここまで取り上げた三人の思想家は,その時代においては,イスラームを理 解しようと試み,コーランを読んだ人々である。にもかかわらず,彼らは,イスラームを,アレイオス派,ネストリオス派そしてユダヤ人の影響を受けた異 端と見なす。
それゆえ,コーランは,そうした異端思想に汚染されたムハンマ ドが,旧約聖書と新約聖書の内容をゆがめ,神の言葉として捏造した書物だと 考えたのである。彼らがこのように考えたのも,ある意味では,無理からぬこ とだったかもしれない。というのも,確かに,コーランの中には旧約聖書およ び新約聖書と一致する物語が見いだされ,さらに,そうした物語の中には,聖書の伝承と異なる内容が見いだされるからである。

次にこの問題に移ることに する。
2.コーランと聖書  コーランは,ムハンマドが神アッラーから受けた啓示を,彼の死後,編集し, 書物にまとめたものとされている。全体は,114章(スーラ)に分けられ,そ の各々には,表題がつけられている。その中には「ユーヌス」「ユースフ」「マ ルヤム」と題される章がある。ユーヌスとはヨナ,つまり旧約聖書の預言者でありユースフとは創世記に登場するヨセフ,マルヤムとはイエスの母マリア である。こうした聖書の登場人物は,スーラの表題だけではなく,その本文に も登場する。アダム,ノア,アブラハム,イサク,イシュマエル,ヤコブ,モー セ,洗礼者ヨハネ,そしてイエスなどである。当然,内容的にも聖書の物語と 一致する物語が含まれている。

「ユースフ章」は,その全体が,創世記37章 -50章のヨセフ物語のコーラン版と言ってよかろう。「マルヤム章」には,洗礼 者ヨハネの誕生,マリアへの受胎告知そしてイエスの誕生,つまり新約聖書の 「ルカによる福音書」で記されたクリスマス物語のコーラン版が語られる。

ここでは,この物語を取り上げることにする。  
また啓典の中で,マルヤム(の物語)を述べよ。かの女が家族から離れて東 の場に引き籠った時,かの女はかれらから(身をさえぎる)幕を垂れた。その 時われ(アッラー)はわが聖霊(ジブリール=ガブリエル)を遣わした。

かれ は1人の立派な人間の姿でかの女の前に現われた。かの女は言った。「あなた (ジブリール)に対して慈悲深き御方の御加護を祈ります。もしあなたが,主を畏れておられるならば(わたしに近寄らないでください)。」かれは言った。 「わたしは,あなたの主から遣わされた使徒に過ぎない。清純な息子をあなた に授ける(知らせの)ために。」かの女は言った。「未だ且つて,誰もわたしに 触れません。またわたしは不貞でもありません。どうしてわたしに息子があり ましょう。」かれ(天使)は言った。「そうであろう。(だが)あなたの主は仰 せられる。『それはわれにとっては容易なことである。それでかれ(息子)を人びとへの印となし,またわれからの慈悲とするためである。(これは既に) アッラーの御命令があったことである。』」こうして,かの女はかれ(息子)を 妊娠したので,遠い所に引き籠った。(19マルヤム16-22)

⚫ 聖書を読んだことのある人ならば,ただちにこれが「ルカによる福音書」の あの有名な個所(2章26-36節)と類似していることに気づくだろう。
また聖 書を読んだことのない人でも,これが絵画や音楽で有名なあの受胎告知の場面 であることに気づくだろう。夫ヨセフはこの箇所にも,これに続く箇所にも登 場しないことから,イエスの処女降誕は当然のこととされている。しかし,こ れに続く話は,ルカの物語には見当たらない。  

だが分娩の苦痛のために,ナツメヤシの幹に赴き,かの女は言った。「ああ, こんなことになる前に,わたしは亡きものになり,忘却の中うち に消えたかった。」 その時(声があって)かの女を下の方から呼んだ。「悲しんではならない。主 はあなたの足もとに小川を創られた。またナツメヤシの幹を,あなたの方に揺 り動かせ。新鮮な熟したナツメヤシの実が落ちてこよう。食べ且つ飲んで,あ なたの目を冷やしなさい(=慰め喜びなさい)。
そしてもし誰かを見たならば, 『わたしは慈悲深き主に,斎戒の約束をしました。それで今日は,誰とも御話 いたしません』と言ってやるがいい。」(同上23-26)  

この話は「ルカによる福音書」はおろか,新約聖書の他の福音書にも見いだ すことはできない。(聖書捏造)
8-9世紀頃に成立した「偽マタイによる福音書」20章に 類似の物語が語られるが,それは,イエスが誕生した後,親子三人でエジプト に赴くときの物語(cf. マタイによる福音書2章13-15節)となっている。 ─────────────────
⚫以下コーランの翻訳は,『日亜対訳 註解 聖クルアーン』日本ムスリム協会,1983年に拠る。 360 早稲田商学第 438 号 ,ムハンマドが知っていたのは,この文書のもとになった伝承であろう。いずれにせよ,コーランにおいて,イエスは,ガリラヤのナザレでもユダヤのベ ツレヘムにある宿屋の馬小屋(ルカ4章4-7節)でもなく,どこかナツメヤ シの木が茂る所で生まれたことになっている。(聖書捏造)

話はさらに聖書の物語から逸れ ていく。  
それからかの女は,かれ(息子)を抱いて自分の人びとの許に帰って来た。 かれらは言った。「マルヤムよ,あなたは,何と大変なことをしてくれたのか。 ハールーン(アロン)の姉妹よ,あなたの父は悪い人ではなかった。母親も不 貞の女ではなかったが。」そこでかの女は,彼(息子)を指さした。かれらは言っ た。「どうしたわたしたちは,揺籠の中の赤ん坊に話すことが出来ようか。」(そ の時)かれ(息子)は言った。「わたしは,本当にアッラーのしもべです。

かれは啓典(福音書)をわたしに与え,またわたしを預言者になされました。ま たかれは,わたしが何処にいようとも祝福を与えます。また生命のある限り礼 拝を捧げ,喜捨するよう,わたしに御命じになりました。またわたしの母に孝養を尽くさせ,高慢な恵まれない者になされませんでした。

またわたしの出生の日,死去の日,復活の日に,わたしの上に平安がありますように。」そのこ と(イーサー=イエスがマルヤムの子であること)に就いて,かれら(ユダヤ 教徒,キリスト教徒)は疑っているが本当に真実そのものである。アッラーに 子供が出来るなどということはありえない。

かれに讃えあれ。かれが一事を決 定され,唯「有れ。」と仰せになれば,即ち有るのである。(同上27-35)  
話の筋は,全体からすると,イエスの誕生,つまりクリスマスの物語という よりは,イエスの誕生に際して,母マリアに対する不貞の嫌疑をはらすことが 中心となっているように思われる。この筋立ては,福音書の物語よりも,む しろ,2世紀の後半に成立した外典「ヤコブ原福音書」に近い。
生まれたばかりのイエスが,揺籠の中から発言したという物語は,もちろん,どの福音書 にも見当たらない。それどころか,このイエスの発言は,キリスト教徒の側か らすると,とても受け入れられるものではない。

イエスは,自分自身を「神 のしもべ」「神の預言者」と呼び,さらにイエスの発言に続く言葉では,イエスが「神の子」ではなく,「マルヤム(マリア)の子」であることが強調され ているからである。  

新約聖書は,イエスを「神のしもべ」と呼ぶことについては,控えめな姿勢 をくずさない。預言者という呼び方については,イエスが故郷の会堂で教えた際,それを聞いた人々が驚き,大工で「マリアの息子」にすぎない者がどうし てこのような知恵をもっているのかと言ったときに,イエス自身が「預言者は 故郷では敬われない…」と述べた個所が想起されるだろう(マルコによる福音 書6章1-4節)。

しかし,イエスが神の子であることを否定することについて は,キリスト教は全く受け入れることはできない。
「マタイによる福音書」の中で, 弟子たちに,「あなたがたはわたしを何者だと言うか」と問うイエスに,弟子 のペトロは,「あなたはメシア(キリスト),生ける神の子です」(16章16節) と答え,「ヨハネによる福音書」の中で,女弟子マルタは,「主よ,あなたが世 に来られるはずの神の子,メシアであるとわたしは信じております」(11章 25-27節)と答えるからである。
コーランの中で,イエスが神の子であること を否定する箇所は,ここだけではない。  
啓典の民よ,宗教のことに就いて法のり を越えてはならない。
またアッラーについて真実以外を語ってはならない。マルヤムの子マスィーフ(メシア/キリス ト)・イーサーは,只アッラーの使徒である。マルヤムに授けられたかれの御言葉であり,かれからの霊である。
だからアッラーとその使徒たちを信じなさい。
「三(位)」などと言ってはならない。止や めなさい。

それがあなたがたのた めになる。誠にアッラーは唯一の神であられる。
かれに讃えあれ。かれに,何で子があろう。(4婦人171)  
ここでは,イエスが神の子であることが否定されるだけでなく,キリスト教 の重要な教義である三位一体論も否定される。

このことについては,さらに次 の箇所も引用すべきだろう。 「アッラーは三(位)の一つである。」と言う者は,本当に不信心者である。 唯一の神の外ほか に神はないのである。もしかれらがその言葉を止めないならば, かれら不信心者には必ず懲罰が下るであろう。(5食卓73)  

またアッラーがこのように仰せられた時を思え。「マルヤムの子イーサーよ, あなたは『アッラーの外に,わたしとわたしの母とを2柱の神とせよ。』と人 びとに告げたか。」彼は申し上げた。「あなたに讃えあれ。わたしに権能のない ことを,わたしは言うべきではありません。もしわたしがそれを言ったならば, 必ずあなたは知っておられます。あなたは,わたしの心の中を知っておられま す。…(同上116)  

ここで否定された三位格は,父と子と聖霊ではなく父(アッラー)と母(マ ルヤム)と子(イーサー)であり,しかも,三位一体論というよりは三神論で ある。このように見てくると,先に述べた三人の思想家のコーランに対する批判も,まったく根拠がなかったわけではないことは,明らかであろう。そして, 彼らがコーランにおいて特に注目したのが,いま挙げたような箇所であることも当然であろう。

ムハンマドは,聖書あるいはキリスト教の教義を不当に歪曲 したのだろうか。この問いに答えるためには,彼が聖書あるいはキリスト教の 教義をどのように知ったのかを,考えてみなければならない。

ムハンマドはどのように聖書およびキリスト教の教義を 知ったのか。
最初に述べておかなければならないことは,ムハンマドが聖書を読んでいなかった,ということである。なぜならば,ムハンマド以前にアラビア語訳の聖書は存在せず,その断片的な翻訳も9世紀のものが確認されるだけだからであ る。
仮にあったとしても,ムハンマドが聖書やキリスト教関係の書物を手に 入れることは,それほど容易ではなかっただろう。さらに,彼が読むことができたとしても,それはアラビア語で書かれたものに限られ,シリア語まして ギリシア語で書かれたものは,読むことができなかっただろう。
彼の得た聖 書・キリスト教の知識は,口伝えの伝承によるものである。  

ではどこで,そして誰から,彼はそれを聞くことができたのだろうか。考古 学的な発掘から知られるかぎり,ムハンマドの時代,アラビア半島に,ユダヤ 教・キリスト教が普及していたことが分かっている。それゆえ,ユダヤ人の 会堂(シナゴーグ),キリスト教の教会という特定の宗教的な施設を想定する こともできる。そこでは,礼拝において旧約聖書・新約聖書が朗読され,説教される。また礼拝において朗読されるさまざまな典礼文・式文,歌われる讃美 歌には,聖書や教義的な内容も盛り込まれている。

さらに,イスラームの伝承によると彼自身が特定のキリスト教徒と交際があったことも知られている。 もちろん,彼らは,キリスト教に関して専門的な知識をもった神学者ではな かった。要するに,ムハンマドが生きた社会は,口頭伝承の社会であって,読書の社会ではなかった可能性がある。  
そうした環境にあって,ムハンマドのみならず,他の人々も多かれ少なかれ, 旧約聖書や新約聖書の物語を知っていたと思われる。先に引用したコーラン の冒頭に戻ってみよう。「また啓典の中で,マルヤム(の物語)を述べよ。かの女が家族から離れて東の場に引き籠った時,かの女はかれらから(身をさえ ぎる)幕を垂れた。…」とあった。

キリスト教徒であれば,誰でも,ここから 受胎告知の物語を思い起こすだろうと述べたが,この言葉を耳にした当時の マッカ(メッカ)あるいはマディーナ(メディナ)の人々も,「あの話か」と 思い当たったに違いない。
9世紀のイスラームの伝承によると,イスラーム以 前のマッカのカアバ神殿の柱には,イエスそしてマリアのイコンが飾られてい たと言われる。
イエス,マリアは,民衆の間でも知られていたのである。  

ムハンマドが,40歳頃にマッカのヒラーの洞窟で聖なるものと出会い,その 体験を語り出し,またそれに耳を傾ける人々(ムスリム)に彼が体験した神 (アッラー)を語っていく中で,彼と彼の言葉を聞く人々が共通に知っている 聖書の物語を取り入れ,そこに新しい息吹を吹き込んだことは,十分にあり得る。

いかなる宗教であれ,無から生じるのではない。その宗教が発生する歴史 的・文化的な環境によって条件づけられることを忘れるべきではない。

それにしても,彼らが知っていたキリスト教がいかなるキリスト教であり, それを担っていたのがいかなる人々だったかという問いは残る。コーランの 語っていた物語が,聖書の物語あるいはキリスト教の教義と異なるものだからである。
4.ムハンマドの出合ったキリスト教  少し歴史をさかのぼる。キリスト教は,4世紀にニカイア公会議(325年), 5世紀にカルケドン公会議(451年)という大きな教会会議を開催し,三位一 体論とキリストの二性一位格という,いわゆる正統派の教義を確立する。
そし てこの正統が確立する中で,それに異を唱える人々は,異端として排除される。 アレイオス派,ネストリオス派と呼ばれる人々がそれである。
先に述べた三人 の思想家もこの人々に言及していた。
彼らは,コーランがアレイオス派やネス トリオス派の異端に汚染されている,と非難した。  
しかし,ムハンマドが出合ったキリスト教徒が,こうしたアレイオス派やネ ストリオス派のキリスト教徒ではなかったことを,今日の研究が明らかにす る。それは,ダマスコスのヨハンネスも,ペトルス・ウェネラビリス,クザー ヌスも知らなかったキリスト教徒,ユダヤ人キリスト教徒と呼ばれる人々であ る。もちろん,これは研究者が与えた名称で,ムハンマドの時代あるはそれ 以前にも,ナサーラー(nasara=ナザレ人)と呼ばれていた。
実際,コーラン の中でもこの名称が用いられる。  
彼らの起源は,キリスト教の最初期,つまりエルサレム教会(原始教会)にさかのぼる。
イエスの死後,イエスの弟子たちは,イエスの宗教運動をさまざ まな形で受け継ぎ,それを発展させる。例えば,パウロのような人は,当時の 地中海世界,ヘレニズム・ローマの世界へと伝道を展開する。これがキリスト教の一般的なイメージかもしれない。これに対してイエスが生まれ,育ち,活動したパレスチナのユダヤ人たちにイエスの教えを広めていこうとする人々も いた。彼らは,ユダヤ教のさまざまな宗教的戒律=律法(食物規定や割礼も含 む)を忠実に守りながら,同時に,イエスに従う信仰をもった人々である。キリスト教は,その初期から多様性をもっていたのである。

しかし,歴史のかなたに消え去ったはずの彼らの足跡を,限られた文書資料 から丹念に掘り起こしていくと,この人々がイエスをマリアの子,預言者と見 なしていたこと,さらには,われわれが今日手にする新約聖書に含まれる文書 とは別の文書(外典・偽典),伝承を担っていたことも明らかになる。

当然, 彼らの信仰は,三位一体論やキリストの二性一位格といった教義をもつ正統派 のキリスト教とは異なるものであり,そうした正統派から排斥された信仰で あった。そして,ムハンマドが出合ったのは,何よりもこのユダヤ人キリスト教(律法による救い)であり,彼にとってキリスト教とは,このユダヤ人キリスト教であった。これに民間信仰が加わる。上で触れたカアバ神殿のイエスとマリアのイコンはそ うした信仰の一つの表れであり,それに対して,ムハンマドはコーランの中で非難の言葉を述べた。そして、偶像を破壊し、360の神々の最高神はアッラーフを創造主なる神として捏造した。
 
もちろん,ムハンマドもキリスト教の中でさまざまな論争・争いがあったこ とは聞き知っていただろう。しかし,彼が教義の細かな論争について熟知していたとは思われない。彼は神学者ではない。彼は,自分が見聞きしたキリスト教をキリスト教と見なし,それをコーランで語ったのであって,意図的に歪曲したのではない。ユダヤ教、キリスト教を真似た新しい宗教を創作したのだ。聖書の神の御名をヤハウェをアッラーにし、イエスをキリストではなく、ただの預言者にした。

もしビザンツの神学者あるいは西欧世界の神学者が,ムハンマドに,「あなたの語るキリスト教はおかしい」と言ったとしても,彼は,「いや私が日常的に接するキリスト教がこうなのだ」と言ったに違いない。

彼らは,コーランそしてイスラームを,彼らにとって既知の異端,つまりアレイオス派やネストリオス派と結びつけ,コーランが語るキリスト教,ユダヤ人キリスト教の存在に思い至ることはなかった。

そしてイスラームをそれ らの異端の影響を受けた新たなキリスト教の異端と見なしたため,新しい別の反キリストの宗教と見なすことができなかったのである。
正統か異端かという二分法的な視 点が彼らの目を曇らせたのである。
それは同時に,彼らがキリスト教の中の多様性を認めることができなかったということでもある。むろん,そこに彼らが 生きた時代という制約があったと言えばそれまでである。  

上述のようにニコラウス・クザーヌスは,15世紀の教会改革者としても活躍 した。彼の死後50年,西欧の教会には新たな異端の運動が登場する。
ルターによる宗教改革である。これによって中世の異端史は幕を閉じる。
宗教改革の側 は,ローマ・カトリック教会を異端とし,自らを正統と見なしたからである。

「コーランは聖書の安っぽい コピーだ」なんかではない。
コーランは聖書の内容を一部パクったイエスをキリストと絶対に認めさせない偽り本。悪魔サタンの武器は嘘。コーランの真の執筆者は、悪魔サタンで間違いないと思います。

イエスの本当の誕生日は仮庵際説

「ガザは捨てられる」

詩篇83篇4節~8節/ピーター砂川牧師
イスラム教ハマスの背後には地上の神、悪魔サタン悪霊が存在する。仮庵の祭り。イエス・キリストの本当の誕生日を狙ったハマスの背後の悪魔、悪霊の仕業であり、きっと悪魔サタンは、我々より聖書を知っている。
そして、最後に滅ぼされることも・・

神様の願い
神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。
それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、御子によって世が救われるためである。
御子を信じる者はさばかれない。信じない者は神のひとり子の御名を信じなかったので、すでにさばかれている。(ヨハネ3:16〜18)

アッラーは天地創造主なる神の一神教ではない。「御神体」は天然ガラスの黒曜石で偶像崇拝の宗教

カアバ神殿
サウジアラビアのメッカにあるイスラーム教のモスク「マスジド・ハラーム」の中心部にある立方体の建造物でその一隅に聖なる黒石がはめこまれている、イスラームにおける最高の聖地とみなされている聖殿。
イスラーム前の時代からアラブの宗教の一中心で、多くの神々が祀られていた。 630年預言者ムハンマドは一神教であるイスラーム教を唱え、神殿内のすべての偶像を破壊してここをイスラーム教の聖殿に定めた。

カアバの歴史は非常に古く、イスラーム以前の時代にはアラビア人の信仰していた多神教の神々の神殿として使われ、アニミズム時代(ジャーヒリーヤ、無明時代)には、360もの神々の聖像が置かれていた。
当時のカアバ神殿に祭祀されていた360の神々の最高神はアッラーフであり、救済を司る神として崇められていた。また、アッラート、マナート、アル・ウッザーという三女神の父とされていた。
アッラーフを除いた神々の中での最高神が月の女神であるアッラート(アッラーフの女性名詞形。アリラト、アルラトとも)であり、月経を司る五穀豊穣の老婆の女神であった。なお、イスラーム教は純粋太陰暦であるヒジュラ暦を採用している。アッラートの「御神体」は、天然ガラスである黒曜石(もしくは隕石由来のテクタイト)でできていると言われており、アニミズム時代は「月からの隕石」と信じられていた。現在この黒石は、カアバ神殿の東南角に丁重にはめ込まれており、イスラームの巡礼であるハッジにおいてこの石に触れることができれば大変な幸運がもたらされる(ご利益信仰は邪教)と、イスラーム世界では信じられている。ハッジはイスラーム成立期のアラビア半島での伝承を色濃く残しており、考古学的にも大変興味深いものである。

主がこられる時に至るまで、主の死を告げ知らせるのである。


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