ひいばあちゃんの話



noteやりかたわからん。字の色とか大きさのかえ方とか引用の仕方とかぼちぼち覚えていこー。

ふと、母方のひいばあちゃんのことを思い出したので覚え書き。

ひいばあちゃんの家は、母親の実家の割と近くの熊本の片田舎にあって、小さい商店をやっていた。商店といっても、近所のお客さんが少しくるぐらいで、ほとんどにぎわっていないようだったけど。飲み物や、駄菓子や、ちょっとしたおもちゃを売っていた。

あと、ひいばあちゃんは、土間でゆずごしょう作りもしていた。いついっても土間には大きなポリバケツが何個も並んでいて、ゆずごしょうが入っていた。製法はしらないけど、長く置いておかなきゃいけないんだろうか。

ひいばあちゃんは自分の家で作ったゆずごしょうを瓶詰めして、スーパーとか道の駅で売り出すことにしていたようだ。たまにスーパーでひいばあちゃんの作ったゆずごしょうを見ることがあって嬉しかった覚えがある。


近所の人がやってきたとき以外、ひとりで静かに暮らしていたひいばあちゃんだったけど、昔ひいばあちゃんの家はかなりにぎわっていたようだった。

ひいばあちゃんの家は、田舎にしてはかなり大きい片側二車線の道路に面していて、周りにはなんにもないのだけれど、その道路の先は大きい街につながっていた。

昔は高速もなくて、整備されている道も少なくて、ひいばあちゃんの家の前の道路を通るドライバーはかなり多くいたようだ。コンビニもスーパーもなかったから、ひいばあちゃんの個人商店は今でいうコンビニみたいなポジションで、ドライバーはそこでお弁当や飲み物を買っていったそうだ。

それから高速ができて、長距離ドライバーはひいばあちゃんの家の前を通らなくなり、それから近くにコンビニやスーパーができて、ひいばあちゃんのお店はあまりはやらなくなったみたい。聞いた話だからわからないけど、それはひいばあちゃんがいくつぐらいのときの話だったんだろか。


ひいばあちゃんの家にいくと、必ず売り物のヤクルトがあって、それをわたしに出してくれた。ヤクルトをのみながら学校はどうなのとかいつも聞かれた。ひいばあちゃんはときどきなわとびもくれた。売り物のなわとびだったけど、かなり劣化していて派手に遊ぶとすぐに切れた。何個ももらったけどそれらも同じように切れた。何十年か前の在庫だったんだろうか。実際なわとびを包んであるビニールはかなり埃というか、すすみたいなものをかぶっていた。

帰る前に、ひいばあちゃんはお菓子とかを入れる袋におこづかいを入れて渡してくれた。


高校二年生の修学旅行中、ひいばあちゃんは死んでしまった。ひいばあちゃんの家から遠く離れた北海道にいた私は、旅行が終わって地元に帰ってからその死を知った。とうぜんお葬式に行けず、ひいばあちゃんには会えなかった。
修学旅行はスマホ禁止だったし、まあそういうもんかもしれない。でもゆずごしょうが食卓に上がるたび、ひいばあちゃんのことを思い出す。







この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?