思想

先月ぐらいからずっと思ってること

「好き」って言うハードルを下げたい

きっかけは山。車から眺める山の起伏が結構好きで、自分で撮った動画をたまに見返すぐらい夢中になってるんだけど、これ私「山好きです」って言えるのかなと疑問に思った。“山好きな人”って、登山をしないといけないし、山からスピリチュアルな何かを感じて口にしなきゃいけないイメージがあるから、そう誤解されたくなくて口にできない。私は虫が大嫌いだから山に一歩も近づきたくないし、たまたま車を降りてそこが山で「あれ、結構気持ちいいな」って思ってもそれは空気が冷えてるからなんかいい感じに思うだけで、山に来たことはちっとも嬉しくなくてただ冷えた空気がこの時期喜ばしいだけだ。
でも「山嫌いです」は違う。山がまったく見えないところに行くと生きた心地がしないし、指先はパサパサするし、ものもらいできるし、山ないと結構しんどい。
一定の距離を保ち、虫もいない、暑くもない環境で初めて山を選ぶ。山好きだったら虫も気温も我慢しなきゃいけないのかな?何が言いたいかって、我慢する部分を取り除けばこの世界に好きなものはもっと増えるはずってこと。
全部愛してはじめて好きって言える権利を持つみたいなのもう辞めたい。無理なもんは無理、でもここが超好きなんだよね。いいじゃん、好きなもんいっぱいあったほうが絶対いいよ。
これ好きなんだけど、あんまり知らないから好きって言って突っ込まれたくないな〜って好きを諦めるというか、諦めなくてもずーっと勉強したあとにやっと言えて、でも新しくなった人もこの過程を踏んでもらわないと認めないよっていうの無くしたい。いらんと思います。あんまりよく知らないから言える好きって絶対あると思うし。

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