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「 しゃれにならない斜里の宿」

 若い頃、職場の先輩Mさんと北海道に行った時のことです。

 大雪山と利尻岳に登るのが主な目的でした。

 初めに大雪山に登りました。

 利尻岳は途中から雨になり、避難小屋で天気回復を待ったりしたので、予定よりだいぶ時間がかかってしまいました。

 下山すると、稚内への最終フェリーは出てしまっていたので、その日も利尻に泊まることになり、次の日からの行程が少しきつくなりました。

 次の日は、稚内から観光しながら知床方面に向かいました。

 泊まる所は決めていません。
 日が暮れてきて、そろそろ泊まる所を見つけないと、ということになりました。

 斜里という所(初めて聞く地名でした)まで来ていたのですが、とりあえず駅に行けば、誰かに聞くこともできるし、案内もあるかもしれない、ということになり、駅に行ってみました。

 薄暗い中に一人、中学生くらいの女の子が立っています。

 「どこか泊まれる所はないですか。」と尋ねると、なんと「私の家、民宿です。」と言い、「私が案内します。」と、車に乗り込んできました。客引きでした。

 程なく民宿到着。

 泊まる所が見つかった安心感が一瞬で消えました。
 古くてボロボロ。
 玄関には、靴が乱雑に脱ぎ散らかり、下駄箱は砂と埃。

 女主人らしき人と、先客何人かが、座敷のテーブルを囲んで酒を飲んでいました。女主人が、「いらっしゃい。あんたたちも、一緒に飲もう。」と言います。

 誘ってくれたのに断るのも悪いな、とは思いましたが「疲れているので、夕飯を食べて休みたい。」と答えました。すると「じゃあ、すぐ用意するね。和風がいい?洋風がいい?」と聞きます。

 さっぱりした物が食べたかったので、「和風で。」と答えると、先程の女の子が、今まで皆でつついていた皿を台所に持っていき、そこにナスの炒め物を載せてきました。冷奴も持ってきました。

 「和風かあ。確かに洋風ではないなあ。洋風と言ったら、何が出てきたのかな。」などと思いながら、少しつつきましたが、それ以上食べる気になりません。早々に食事を切り上げました。

 食事の前にトイレに行った時、目に沁みるようなアンモニア臭がしたのも、食べる気になれなかった原因かもしれません。

 「風呂に入りたい。」とおかみさんに言うと、驚きの答えが。
 「うちはね、お風呂はないの。近くに、いい温泉があるのよ。いつも皆でそこに行ってるの。一緒に行こう。」
 風呂のない民宿!!

 私とMさんで温泉に行きました。

 風呂から帰っても、まだ酒を飲んでいて「あんたたちも、一緒に飲もうよ。」と、また誘ってきます。 
 「明日、早く出るので。」と断って、自分たちの部屋に入りました。

 壁にノートがぶら下がっていたので、めくってみると、宿泊客の感想のようなものが書いてあります。
 「おかあさんの話に感動した」とか「おかあさんの話がためになった」とか、感激の嵐です。何のことやら、意味がわかりませんでした。

 翌朝、私たちは「急ぐので朝食は要らない」と言って出ようとしました。
 すると、「牛乳だけでも飲んでいってよ。」と言って、持ってきました。「近くの牧場の牛乳だよ。搾ったばかりで、美味しいから飲んで。」と、盛んに勧めてきます。
 Mさんは、一気に飲み干しましたが、私は、なんとなく不安で、遠慮しました。

 車で走り出し、しばらくするとMさんが、「いやー、夕べはうるさかったなあ。」と言います。

 「え、何がですか?」私は熟睡していたのでわかりません。

 「いやあ、あの後もずっと酒飲んでて、そのうち、かみさんが泣き出して、大騒ぎしてたんだよ。旦那で苦労したらしい。」

 ノートに書いてあった「感動」とか「ためになった」というのは、そういうことだったのです。

 一緒に酒を飲んで、泣きながら苦労話を聞かせるのが、宿のセールスポイントだったようです。

 四十年くらい前のことですが、あの民宿は今もあるのか、ネットで調べてみても、よくわかりませんでした。ただ、同じことを尋ねている人がいました。あの強烈な民宿を忘れられない人が、他にもいることが面白かったです。

 (写真はネットよりお借りしました)

「#わたしの旅行記」

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