好きだった人への期待

私が期待をしすぎたのでしょうか?


ずっと好きだった人と恋人になれました。



なかなか会えない状態から好きを伝えられて連絡すればすぐ会える関係になれました。
いつか好きになってくれたらいいな、で始まったはずの恋愛なのに今はそれが辛いです。

好きというのも怖くて言えない、そんなの好きなんでしょうか。
返ってきて欲しいと思ってもないけれど、絶対返ってこないとわかっていると、わざわざ言葉にして相手の反応が返ってくるのが怖いなが先行しています。
どんなに表情にでない人だからって、ロボットじゃない限り少しは感じますからね。

昔は、好きだと自分の好意を伝えられるだけで幸せだったのに。
人間はよく深いものですね。

女の勘というものは悪い時によく働くもので、
私はそういうのは疎く気づかないものだと思っていたのですが、ちゃんと私にも女の勘はありました。
男の人ってアホというか分かりやすいというか、本人は隠せてるつもりでも、ちょっとした態度や会話の間、話のずれなんかが出てくるわけです。
それに気づく自分も嫌だなと思いますけれどね。
逆にここまでわかってしまうと、今までの彼氏は私の重さに疲れた人もいるけれど、はっきりしていた分ある意味誠実だったのかもしれません。


多分彼にとって私の存在は面倒なのだろうなと思います。
でも、私が追いかけている時に、というか告白して散々保留されていたわけですが
私のことを好きになれないだとか、他に好きな人がいると言ってくれたらよかったのに、
付き合うのが向いてないからだとか、人を好きになったことがないだとか、告白を保留しておいて曖昧にしてめんどくさくしたのはそっちじゃない。
結局、悪者になりたくないからあたかも大真面目に考えたような態度をとって、曖昧にし続けただけ。
嘘をつかれていただけでございます。



普通はそこで気づけよと思われると思うのですが、私にとって彼の曖昧は希望でした。

そんな態度なら貴方には勿体無いと思えるほどの自己肯定感も持ち合わせてなく、それでも会えるならいいと最低限の希望を持ち合わせてもう執着なのか好きなのか、好きになろうとしているのかよくわからない感情を彼に向けていました。

でも言わせて〜受け取り手の理解が足りなかった彼も悪くないですか?
人からの好意は迷惑だとしても、その好意をぶつけられるシチュエーションまで作ってしまったのは彼なんですからね。
いくら面倒だからといってその面倒な機会を作ったのは彼ですから。
好意を勝手に向けられて、それを断らなきゃいけないのはしんどいなとは思います。
ただ、いつも思うのは、そこまで相手の好意を膨らませて思わせぶりな態度を取ったのは貴方だよなと思いますよ。


恋人という名前が変わったと私が思ってただけで
彼の中では元カノ以上の何者でもないのだな~と改めて感じております。
あるとしたら恋愛ではなく結婚でしょう。
こんな面倒な存在をキープしておくのは、都合がいいからでしょう。
本命がうまくいかなくても自分を肯定してくれて次の本命までの繋ぎになりますから。
誰かを追いかける時自分に好意を持ってくれる人がいるのは精神安定にいいですよね、私もあまり人のことを言えないのですがその気持ちはよく分かります。
あとは結婚ですかね?

(もう今年25になります。友人たちは、好きな人と同棲したり結婚したりする年になりました。
この歳で結婚する人は、ただ好きな感情だけで恋人になり、結婚を考えた時に条件があって大好きな人と結婚するわけです。
もう私は条件なしで人を好きになれないと思います。
私はどこで間違えたんでしょうか?今のところ正解がないから間違えたと思ってしまいます。
いつか結婚してもしなくても、この先恋愛してもしなくても、これで正解だったと言える人生だといいな、、、。)

さぁ彼との結婚ですが、私は彼と結婚したいと思っていました。
彼が好きだし、でもどちらかというと私は子供が欲しくて結婚したいので、彼の子供に興味がありますね(怖)
ただこんな状況で結婚なんて地獄の地獄。
閻魔様もびっくりするほどの地獄の入り口ですよ。
彼に子供が産まれても苦労すると目に見えている人なんて彼以上にいますでしょうか。
彼が私のことを大事にしてくれないと結婚なんてできません。あーあ人生って難。
いやこれを読んでいる人からしたら簡単かもしれませんが、私だって好きになってくれる人を好きになって大切にしたいです。
ただ、結婚となった場合にやっぱりもう条件からでないと好きになれないみたいです。
まだ24歳なのに。悲しいな。


彼に、愛されてみたらいいじゃん!と大口叩いておきながら
でもこんなこと知った上で愛すなんてできなかった。
彼は(もうここまで来ると何が本当か分かりませんが)愛されてみる、とは何かを知ろうとしたんだと思います。
愛は見返りを求めないものだというけれど、私が愛だと信じていたものは愛なんてものじゃ無かった。
愛という本来は素晴らしい言葉を侮辱したようでなんだか悲しくて申し訳ないです。
それでも彼を愛せない、私が弱いですか?
今回実感したのは、愛とは見返りを求めるものではないけれど、その愛を受け入れると決めたのであればそれなりの器は持っておかなければいけませんね。
でないと愛なんてただの重荷ですから。
愛は基本的に見返りを求めないものであるべきだけど、愛を受け取ると決意した場合は少し違うのではないかなと思いました。
アガペーじゃなくてマニアなだけだって?うるさいです。

でも今見返したらフロムが既に教えてくれてました。
「愛することは能動的であり、
自分の愛することの能力への信頼と、それを他人(対象)が受け取ることへの可能性への信頼があることで、初めて人を愛することができる。」
えー!
愛するって受取り手への信頼が必要なんだ〜。
私に足りないのは他者への、というか彼への信頼〜。
そんなの最初からなかったなー。はなから愛するなんて成立しなかったわけですかー。人生難。


あー失恋するとよく文章が書けますね。だってこれ15分で書きましたから。
もうとことん病んで語彙力を高めて小説家になんてなりたかったです。

恋愛にこんなに左右されるのも馬鹿らしいと思いますが、恋愛が手っ取り早く愛する愛されるを感じてしまうからですかね。
でもこういうことがあるたびに親の愛には敵わないなと思います。

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