漫才師としての活動休止について〜シングルファーザー日記最終回含む〜


2024年3月24日をもちまして東京ダイナマイトの漫才師としての活動は休止となりました。

無料記事にすると関係ない奴がウダウダ言ってくるのですみませんが有料記事にします。ファンの方だけ読んでください。
勿論無断転送は禁止です。切り取りの無断転送もです。発見した場合、然るべき処置を取ります。

活動休止の理由は、じろちゃん好き好き隊(東京ダイナマイト公式YouTubeチャンネル参照)が集まらなかったこと。
ふざけてるように聞こえるかも知れませんがこれが本当の理由です。
もう本当に劇場に行くことすらシンドいんです。かといって総ての稼働をタクシーで行くわけには行きません。
替わり替わりでも運転手さえいればなんとかなったのですが、それも集まりませんでした。

コロナで重症化してしまい、それが第2波の頃だったので、延命治療という名目で全身麻酔で眠っている間に首に穴を開けられ人工透析が始まってしまいました。
透析は1度始めたら死ぬまでやめることが出来ない。人生が終わったも同然と言われる程のシンドさです。
そこからはずっとシンドい思いをしながら漫才をやっていました。
透析が始まった1年後には離婚し、透析をしながらシングルファーザーとして小学4年生(当時)の娘を育てるという生活をしていました。それを見かねた母親は「お母さんの腎臓あんたにやるけぇ。あんたの方が長く生きるんじゃ、〇〇(娘の名前)の為にもあんたが長く生きるんじゃ」とドナーになることを申し出てくれた。
高齢(当時78歳)だし、大丈夫か?と思ったけど母親は「これは母親としての使命じゃ、あんたは私が産んだんじゃ、〇〇(娘の名前)の為にもお母さんが手術するけん」と言った。母の強さを見た。
そしてオレは父として、娘をしっかり育て切ることを改めて誓った。
母親を送り出す方の倉敷(岡山県)の病院の先生からは色々検査した結果、GOサインが出た。ついでにオレのサインも貰ってくれと言われたそうだ。
手術を行う東京の病院にも母親は何度も行き、毎月検査をした。その度に岡山から来るのは大変だったろうけど、孫の為じゃ、と何度も往復してくれた。
孫と会えるのを楽しみに母親は上京。
初日は娘も2階の自分の部屋におばあちゃんを呼んでピアニカを演奏して聴かせたりしていたが、頭ごなしに人を叱るおばあちゃんにすぐに硬直。1日中テレビに向かって大声で話すうるさいおばあちゃんに娘は数日後には心を閉ざしてしまった。
娘は全くおばあちゃんと喋らなくなってしまった。
ウチの母親も口が悪く、離婚してお母さんがいなくなった娘へキツい事を言ったりしていた。そういう癖があり、全孫と必ず揉める。
だから2度目の上京からは母親にはホテルに泊まってもらい、娘は行かない、と言うので初めて2人で高い寿司を食べに行った。
コースで出るぞと言ったら、全部食べれるか心配じゃ、と言っていたが、オレより先に食べ終わっていた。
そのくらい元気だった。

そして行われた腎臓移植手術は失敗した。

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