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これが現実か。

こんにちは。今日は午前中ではありますが母親の容態が急変してしまったため書かさせていただきます。

つい先ほど病院の方から連絡があり、母親の自発呼吸レベルが急激に低下し人工呼吸器をつけなければ生命維持が困難なレベルに達しました。そのため苦渋の決断ではありますが、人工呼吸器をつけることになりました。

丁度今日、集中治療室から一般病棟に移ろうかという話をしていたところだったため、あまりにも突然のことでした。そんな急に来ないでくれ、心が持たんて。

前回までにも話していたことになりますが、脳の損傷が原因で自発呼吸が保てなくなってしまった状況だった場合、自発呼吸が困難であることは一時的な症状ではありません。しかしおそらく今回は違うようです。想定していなかった痰のつまりが原因出そうで、人工呼吸器を挿管した後に高粘性のでっかい痰が取れて、酸素水準が回復したようです。最悪の事態ではなかったようで一安心です。

しかし、状況が悪化していることは間違いないです。通常喉に痰が詰まったら吐き出そうとするものですが、それが出来ていないのです。今回の事態は自発呼吸の機能レベルが低水準であることの証左となってしまいましたし、この機能がすぐに回復することはありません。

これらを踏まえ、長期間人工呼吸器をつけることになります。今は口から挿管を行っていますが、長期的につけるとなると様々な合併リスクを減らすために気管切開を行うことになります。しかしもちろん、これにも危険が伴うんですよね。

手術中に体の異変・痛みに耐えられず落命する危険がある、声が出せなくなる、口や鼻を使わなくなる、切開部から菌が入るかも

今日軽く聞いた話だとこの辺りがリスクとしてあるみたいです。多分もっとあります。


これまで僕は、釣りの後に魚を捌くのを見るのもキツくて目を背けるくらい死というものに向き合わず、なのに加工されたあとの肉や魚は美味しい美味しいと食べさせてもらっていました。そのツケが回ってきたのか、命に向き合うのがすごくきついです。(今は植物にも命があるだろうと言う話は割愛します、僕もそう思いますが)

他の人も、遅かれ早かれ命と真剣に向き合わなければならない時が来るはずです。急に大きなことと向き合う前に、小さなことからでもいいから命と直接向き合う機会を早いうちに経験しておくことをすすめます。蚊を叩く時、魚を捌く時、精肉所で牛や豚を処分する時、etc.

親が元気なうちに孝行しておくといいと思います。「自分が社会に出て収入が安定してきてから…」と考えていましたが、そう都合よく物事が進むかは分かりません。平均が存在すると、人は自然とそこを基準にしてしまいますし、平均的には親の老後に孝行することができるものでしょう。また、やはり自分がnoteに書き記したところでどこか他人事に感じてしまうのは仕方のないことです。まあ、はずれ値を経験している身からの助言です。

課題とかで忙しくても、一日くらい孝行してあげてみて欲しいです。

今日はこれで。

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