救命救急の現場って「すごいな」って話とか。

こんばんは。母が入院して四日目となります。良くも悪くも状態は相変わらずといったところです。けれども今はとてもリスクの高い状況にあるんだと。目に見えないリスクはタチが悪い。地雷地帯を全裸で歩くような不安ですね。

今考えているのは幸・不幸の相対性と救命救急という現場について、そして自分の将来についてです。

一つ目について。今現在僕は「50代半ばという年齢で母が突然危篤状態となりこれまでの中で最も情緒不安定な状態である」という認識です。しかし現在進行形の熊本の豪雨および土砂崩れなどの自然災害の被害によって突然家族を失ったり、中には遺体すら見つからずに別れを迎える人たちもいます。そういった状況に対して当事者意識を持つことはできず正確な心情はわかりませんが、おそらくその状況の方がもっとショックでしょう(もちろん幸福度というのは多元的評価をするものではありますが、今回はあくまで簡潔なイメージの話です)。自分が一番不幸だということはないと思うし、身近な人の死の恐怖に対して向き合うのは誰もが経験することです。まあこういったことを考えたからどうということはないですが、結局人って自分の経験で価値観を制限されてしまうんだなぁとぼんやり感じているということです。俯瞰して情緒が落ちついてくれたら嬉しいんですけどね、そうもいかないのが辛いところ。

二つ目について。今回初めて救命救急という現場を肌で感じるようになりましたが、救命救急に携わる人々は「すごいな」と感じます。どういうことかというと、僕なら心理的に耐えられないということです。身近な人が一人このような状態になっただけでこんなに辛いのに、当事者意識の差があるにしても毎日何人もの「生と死」に向き合わなければならないのです。そしてそういうことに慣れていない親族の声を聞き続けるんです。語彙力に欠けますが、すごいですよね。

三つ目について。入院から数日たって、ようやくほんの少し他のことについて考える余裕も生まれてきました。父親や兄と話していて、やはり自分の将来のために留学に向けての準備は少しずつ頑張ろうと思います。もちろん前のようにはうまくいかないかもしれないし、大学やTOEFLの成績、留学計画設計などの要件を満たして自分の志望通りの大学への留学権を獲得できるかはわかりません。正直つい数日前まではオンライン授業の課題の山に対応するだけでも結構なストレスだったくらいで、このような状況下で留学の準備からバイトやら陸上の練習など全てを予定通りにこなしていくことは心身ともに限界がある気もします。が、できる限り頑張ります。母も前々からずっと相談に乗ってくれて「自分のやりたいように生きなさい」と言い続けてくれていました。人生そんな甘くないですが、今は希望的に考えます。

きっと、なるようになるでしょう。

あと1週間ぐらいは身の回りの様々なことが一番不安定な時期です。しんどいですが、なんとか乗り切りれるよう頑張ります。

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