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107.運が悪くてよかったこと

先日亡くなった祖父が生前に残した動画があり、現在弊社内で一定期間流すこととしています。

動画の内容は祖父の一生についてであり、生まれから学生時代、弊社の立ち上げから今に至るまでを語ったものとなっています。

その中で祖父が繰り返し話していたのが、「自分は天運に恵まれた人生だった」ということです。

これはいまだ健在の私の父方の祖父もよく言っていた言葉です。

私はまだまだ29年しか生きていませんから、正直本当の意味での”運”が何を指しているのかはわかりませんが、今までの私は自分のことを”運がいい”と思ったことはあまりない人生を過ごしてきました。

自分は運を持っていないと長年思っていた

いつも役得ということはなく、誰とでも仲良くなれるということもなく、勝負にいつも勝てるわけでもなく、自分が好きになった人と百発百中で付き合えたわけでもなく、という経験の積み重ねが要因です。

特にゲームをやる中で強く感じるようになりました。

私が熱中した”運”が絡むゲームと言えば「遊戯王」と「麻雀」ですが、これも引きは弱い方の部類です。

ただ、この運の悪さを自覚することが今となっては糧になっています。

私は怠け者(少しいい言い方をすると効率信者)ですから、最小の労力で最大の効果を得ようとします。

もし私が運がいい方だと自覚していたら、それも経験上運で何とかなると思ってしまっていたら怠けてしまっていたと思います。

自分はそのような都合のいい運は持ち合わせていないし巡り合ってこないと思っているので、継続して勉強したり準備をしたり常に思考したりします

遊戯王でのデッキの組み方や麻雀での立ち回りも全く今と違うものになっていたでしょう。

例えば遊戯王の世界大会優勝者のデッキを見て全く同じように組むこともできるのですが、私の引きではこれでは勝てないというのがいつもありました。

なので自分の”運”の悪さに合わせた組み方をしていつも戦っていました。

麻雀においても、多くの人は”手広く高く”を目指して打つと思いますが、私は”手狭く堅く”打つようになっています。

もちろんこれについては課題でもあり、守りに徹しすぎてしまって振り込まないけど勝てないということにあるので、自分で流れを作る剛腕のような立ち回りもできるようになっていかねばならないと思っています。

振り返れば運がいいほうではないか?

と、今までの経験を振り返りましたが、最近大局的に今までの人生を見返すと、かなり運がいい方だと、特に人に恵まれる運がいい方だと思うようになりました。

そもそも戦争のない日本で、生活に困らない所得の世帯に生まれただけでもかなり天運に恵まれています

そこから小学校でも友達に恵まれ、ぼちぼちのレベルの私立中高に入ることができ、あえて1年浪人して徳島大学に進学できたのも、その後様々な人に出会えたのも非常に幸運だったと思います。

特に新卒の就活の時は、第一志望の中の第一志望部署に行けたのでこれ以上ないほど運がよかったなと思っています。

今もわからないなりにがむしゃらにやっていると、そのことに詳しい人であったり、助けてくれる人がいつも現れてくれます。

私は1人では本当に弱い人間ですが、このような人の助けには本当に恵まれていると思いますし、これこそ”運”なのかもしれません。

運がいいとは、それだけ動いているということ

人事を尽くして天命を待つ、とは本当にこの通りですが、天命を待つのは人事を尽くしてからなのもまた然りです。

運がいい人、またそれを自分で言える人とは、その人ができることを可能な限りやっている人を指すのだと気づきました。

今日の話も何かのお役に立てば幸いです。

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