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45.実は洗濯板を使っているかもしれないという意識を持つ

私が小学校2年生の時に出された衝撃的な宿題は、「自分のパンツと靴下を自分で洗濯する」というものでした。そのことを親に伝えると早速小さな洗濯板を購入してくれ、そこから小学校4年生くらいまでの約3年間、洗濯板を使って自分のパンツと靴下を洗濯していました(もちろん宿題が出ていたのは小学校2年生の時だけなので、3年生と4年生のときは習慣化して自主的に実施していたということです)。ちなみにタイトルの画像は、まさに私が3年間使った洗濯板です。

洗濯板しか知らない可能性があることを知る

そんな、平成生まれなのに3年間も洗濯板を使った実績のある私が仕事をする上で意識するようになったことが、「この業務や仕組、システムは、実は洗濯板なんじゃないのか」ということです。どういうことかと言うと、
「自分は洗濯機というものがあることを知らなくて、洗濯板を使っている。知らないのだから洗濯板が多少不便でも、”仕方がない”という感想しか芽生えない。もし”洗濯機”というものを見たとしても、なにやらボタンが多く操作もしづらそう、ドラムの中に入れたら終了するまで中の様子は不明などの感想を持ってしまう。洗濯板なら、1つ1つ洗っている状況も把握できるし汚れの落ち具合もものに合わせて調整できるし、これで不便していない。」
といった具合です。

この考え方は、いつの誰のものかは失念しましたが以前Twitterでどなたかがツイートしていた内容です。ものすごく腑に落ちる話で、このような極論を言われると笑い話ですが、実際自分の業務、会社の業務に落とし込んで見てみると様々なところが洗濯板なわけで、新システムの導入の話になったときにまず出てくる意見は、初めて洗濯機を見た時と同じような感想なわけです。

何でもかんでも洗濯機にすればいいというわけではないが、、、

ただ同時に、”何でもかんでも洗濯機にしたらいいわけではない”のも明確な事実だと、今の私は感じています。人的問題、資金的課題など総合的に考えて、洗濯機を導入するのと現行の洗濯板のまま行くのとで、短~中期的に考えてもコスパが悪いというものは現に存在します。洗濯機では取れない汚れも、洗濯板でゴシゴシすれば取れるということもあります。ただし、長期的に考えた時には、洗濯板を使う機会自体を減らす努力をし、会社内の洗濯板はどんどん洗濯機に変えるべきだと思います。

まとめると、今日の話で私が重要だと感じているのは2つです。
「自分が使っているのは洗濯板ではないか」と自問すること
「この仕事を簡単にできる洗濯機はないか」と常に考えること

今日の話も何かのお役に立てば幸いです。

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