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雑記:好きなことを一生懸命やっていたら、それが他人からはすごい努力に見えている件

おはようございます。☺

今日はなんとなく思ったことを書き綴ろうかなと思います。

努力の成果をあてにしない

イケハヤさんのVoicyを聞いていて思ったことなんですけど、努力したら必ず報われるかっていうとたぶん違うと思うんですね。

まわりまわって必ず報われるということならあるかもしれないけど、例えば10年前に苦労して身につけた技術が、当時は全く役にたたなかったのに、10年後の今、ひょんなところで役にたったとか。

でも、努力=辛いけど頑張ることくらいの認識なら、報われない努力なんてたくさんあると思うんです。辛いと思いながらやることってあまり実になりにくいというか、続かないしすぐやめたくなるから。

だから、好きなことをやるのが一番自分にとっても周りにとっても良いことだと僕は思うんですね。他人から見てどんなに辛そうなことでも、自分が好きでやっていたら続けられるんです。

僕にとってはこのnoteがそれで、実は先日の9月8日でnote初めて180日、半年がたったんです。

実は途中で1日だけミスって毎日更新が途切れちゃったので、noteの認識ではまだ170日目くらいなんですけど、あれはnoteのしくみを理解していなかった、ただのミスなんです。(T_T)

毎日記事書くのすごいって人からはよく言っていただけるんですが、noteは僕にとってはストレス解消だったりするから、お酒好きにとってのお酒とか、ジョギングが趣味な人にとっての朝のジョギングみたいなものなんです。

っていうかこの20年くらいはなんでブログ書かずにいれたんだろうか不思議です。そんな思いにひたりながら、20数年前、ブログという名前はまだ無かった頃に書き綴ったインターネット日記を読み返したりしていました。

働き始めていつの間にか書くことをやめちゃったけど、あの頃も楽しかったな、あの頃楽しかったからきっとそれを20数年越しに思い出して楽しいんだろうな、と考えています。

何が言いたいかというと、このnoteは努力ではなくて趣味で、趣味やるのにお金を払ってももらうことなんてなかなか無いでしょう。でも僕はちょっとだけもらってるんですよね、イヒヒ。

ビットコインの利益はあてにしない

ちょっと性質は違うんですが、僕はこの考え方をビットコインにも当てはめたら心の平穏が保てる気がしています。

つまり、ビットコインに投資はするけど、なんというか、頑張ってほしい期待の人、尊敬する人への投げ銭的な感覚で、このお金が仮にゼロになってもいいや的な。なくてもともと、すごい楽しい遊び場を与えてくれてありがとうという気持ち。

僕の中学生レベルの計算力を披露して、みなさんからたくさん反応をいただける、見ていただける、評価をしていただける。ほんとにこんなに幸せなことはないです。

いつの間に、こんな思いを抱いてた、そう思う今日このごろです。

DeFiの始め方、執筆状況

書籍の執筆、進めています。完成に近づいてきました。明日にほぼできるかな。もうちょっとです! ここまできたら明日だしてしまいたい。無理かな、いけるかな。無理かな…いやいけると思えばいけるんです、えいやで出してしまえばいいだけだから!

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それではまた、DeFi〜(@^^)/~~~


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