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八町観音の黄梅に想う

〜八町観音の朝〜
結城家ゆかりの八千代町八町観音
結城朝光は鎌倉から十一面観音を持ち帰り
守り本尊としこの地に寺を建立した。

境内の銀杏の古木には白蛇がすむといわれ、弁天様の使いだと今に伝わる。この木の皮を煎じて飲むとよくお乳が出ると地域の信仰を集めている。

江戸時代、結城家は家康の子、秀康を主君に迎えた。
秀康もまた、豊臣と徳川両家の狭間で激動の生涯を送った。


「二人不二」私の母がよく口にした言葉が浮かんだ。

飯塚の祖母は養女だった母に

「人生は孤独なものよ」と呟いた

母もまた叔母の養女となり、筑波から東京にある文化服装学院へ通わせてもらい、その電車で出会った方と恋に落ち、ついに、駆け落ちしようとまでしたのだ。

しかし、母の兄は、母に向かって

「飯塚家に世話になりながら、恩を仇で返すような駆け落ちをして、無縁仏にするような結婚しても幸せにはなれないぞ」といわれた。

結局は、諦めたものの、父に話さず私に話したくらいだから、相当悔しかったに違いないし、義母の言う孤独感、疎外感を埋めるには長い時間が必要であり、埋められない思いをいつも感じたに違いない。

話を戻す。

秀康や朝光は、共に偉大な人物の名をもらい受けた。それ故にその名のもつ因縁に翻弄された人生ではなかっただろうか。

冬の閑かな境内に咲く黄梅を見つめながらお家のためと忠孝の道を貫いた先人たちの人生

彼らの人生とは如何に?

現代の自分たちのように個性や本性など関係なく、家柄を守る人生の狭間で襲った深い孤独と疎外感、その想いを癒やす花として黄梅は銀杏の葉色とも重なり、色も香りもぴったりだなぁと思う朝でした。
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