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まずは『場』から。

まず、初めに『尾鷲ヒト大学』とは何か?

を説明すべきだと思うのだけど、それがなかなか、やってる本人からしても、何をしているのか、何を目的としているのか、その結果どうなるのか、ということを言語化しあぐねている。

言語化しあぐねながらも、なんとなく『学びの場』を設定し、あーでもないこーでもないと話しているうちに、「なんか、今のがやりたいことだよね」という瞬間がある。

ただ、それだけのことといえばそれだけのことかもしれない。

重要なのは『場』の設定かもしれない、と思う。
そして言語学の祖、ソシュールに習って『名前ありき』にしてみると、その輪郭がはっきりとしてくるのかもしれない。

元はといえば、もうかなり前、初めて会った友人と、会ったその日から「市民大学みたいなのがあればいいよね」と話していた。

それから数年が経ち、さらに色んな人と出会ううちに『尾鷲ヒト大学』という名称もでき、拠点もできるようになった。

『大学』というと、学士とか修士とか博士とか、教授とか准教授とか、そういう組織図を想像されるだろうし、授業や講義によって単位が付与されるものだと思われるかもしれない。

実際、大学というのはそういう『教育機関』であることは間違い無いのだけど、これが『市民大学』となるとちょっと違ってくる。

そもそも、『大学』で学んだこと、、、、特に人文学や哲学と言われる分野の学部に在籍していた人が、その大学を4年で卒業した後、実際に社会に出て大学で学んだ人文学や哲学が評価される機会がどれだけあるだろうか?

キーワードはいくつかあって、そのキーワードの一つが『学びの場』なのだと思うようになった。

『大学』という『場』に籍を置いている場合、学生の本分はその学籍のあるところで学問をすることである。

しかし『大学』という『場』を離れ、社会人になり、仕事をするようになると、今度は『職場』が『場』となる。

『職場』という『場』では、仕事をするか、もしくは仕事に関する知識を学ぶことになる。

『職場』という『場』では、『大学』という『場』で通用したはずの『学び』をそのままスライドして運用することができない。

『職場』では『職場』という『場』で運用するべき、または習得すべき『学び』がある。

だったら、『市民大学』という『場』を設定してやれば、大学でやっていた『学び』をそのままスライドして使うことができる....のではないか、というのが、友人との『市民大学』のそもそもの発想だったし、それがキーワードの一つだと思う。

キーワードその1、『場』。

とにかく『場』を作る。
『学ぶ』を目的とした『場』を作る。
行き場をなくした社会人の『人文学』や『哲学』の『居場所』を設定する。


『大学』で学んだことが、社会人になっても、その延長で学べる場が『市民大学』なのではないか。


写真は尾鷲の『土井見世邸』。

『尾鷲ヒト大学』はとりあえず「本校」をここ、土井見世邸内に間借りする形で運営することとなる。

尾鷲出身の英文学者・作家である土井治氏の邸宅。



尾鷲で『学び』を構築するにはこれ以上にない環境であることは間違いない。




キーワードの二つ目は....長くなりそうなので、次回に持ち越したい。

文責 : ハマノタカユキ(尾鷲ヒト大学 副学長)



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