愛と未熟な人間どうし

数日前の下書きだけれど、これから上げるテキストの前に上げておかなければならない気がした。
未熟で、すぐ落ち込んで、すぐ前を向く。
それの繰り返し。でも停滞じゃない。確実に。
できるだけひとを愛したいから、合わないひととは距離を置きたい。
そう思うのは矛盾じゃない。


親を大切にするのは当たり前から親は捨てていい、に変わってきている。
まだそう口にするには、喉の奥に苦い呪いが巻きついていて、息が詰まる。

捨てる、というより近くにいるふりをしている。

もう会いません。
子供のときから育ててくれた恩だけ感じてました。でもそれだけ。
身内だから心配だから、との免罪符はわたしには理解しがたいものでした。
結局はあなたのためだった。わたしはあなたの通信簿で、出来がいい子(彼らにとって)であればあるほど、わたしの人生は素晴らしいものだったと思うための作品。解答用紙。

なんて言ってしまえば、早々に捨てられるでしょう。
そのほうがいいのかもしれない。
ただそれには逃げる準備が必要だ。
もしくは当てつけを見せられる覚悟。

そこまで特筆して酷い仕打ちはされてないはずなのだけれど、
驚くほどに幼少期の記憶がない。
嫌だったことを少しだけ覚えている。

わたしの名前は、知り合いの年上の女の子のかわいくて性格がいい子と同じだ。
そうなってほしいって。
じゃあ、その子を育てれば?
と、まあ幼少期にそこまで思ってはいなかっただろうが、すでにわたし自身というより、わたしの中の出来のいい子を見ていたような気がする。
手のかからない子だったと誇らしげに言っていたから。
学校であった出来事を一切話さなかった。
なにかきっかけがあったはずだけど、まったく覚えがない。

激しい思い違いで、そんな小さなことがいくつも重なった。
親からしてみれば愛で、紛れもなく愛で、ただの成長途中の人間で、必死に子育てしてきたのだろう。
親がただの人間だとわからなかった。
なんだかとても完璧な、ルールブックのように忠実で、わたしにとって最適な無償の愛をくれる存在だと勘違いしていた。

ボタンをかけ違えただけだと思う。
きれいに直すのも、ぜんぶ引きちぎるのも、今は選択できない。
急に捨てるかもしれないけど、今は。
このまま大きな問題もなく人生をまっとうしてほしいと思う。
つかず離れず。
捨ててもいいのだと知っただけで随分違う。
でもまとまらない。

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