世の中が望んでいること

もうずーっと前の事。兄が自叙伝を出版した。他力なのか自力なのかはわからないが、その自叙伝の盛ってあることに驚いた。私は少なくとも妹として兄の人生は知っているつもりだったが、こんなにも派手に盛るとは・・・。出版社に尋ねてみたら、

「8割は盛ってますよ」

「書きたい事と読者が喜ぶ事、すなわち売れる本は違いますから」

売れれば多少の盛りは良いのだ。真実などどこにもない。私は刑務所暮らしを経験しているが、刑務所でおきている問題など世間は知りたくもないネタである。例えば子殺しの母親は刑務所で懺悔しながら涙の日々を送っていますっていうネタはマスコミも喜ぶが、真実は違う。

罪を償っている人・・・家族は肩身の狭い社会生活を送り、我が子や夫、妻の帰りを待ちわびている・・・そんなネタが社会に感動を与え、「絵」になるのだ。私の見てきた女囚など世の中が望んでいる美しい話では毛頭ない。万引き・・ドロボーである。高齢受刑者が多い女子刑務所。それは病気でもなんでもない。最後の福祉施設へ入るための手段なのだ。私は女子刑務所で優秀な受刑者を演じていたので、医務の仕事をしたいた。高齢受刑者は恵まれている。冷暖房付きの一人部屋で過ごし、3食上げ膳据え膳である。衣食住、医療・・・オムツに至ってまで困ることなく、生活保護を超える待遇の在り方である。所詮ドロボーだから社会で生活している身内がいたとしても見放された老人なのである。刑務所内ではそんな寂しい?老人でも充分に生きていけるだけの福祉はある。年金がなくなり、生活保護もギリギリで計算しながら「シャバ」で生きるより楽な生活がそこにある。

子殺しの女たちは毎日ヘラヘラ笑って生活をしている。そんな女達を好むマニアックな男たちが塀の外から様々なラブコールの差し入れや手紙を出し、女達は獄中結婚を繰り返す。結婚をすれば夫となり面会も自由であるし、何年か後に出所しても名前が変わっていれば前犯罪はばれない。そんな事ばかりを考え女達は生活をしているのだ。

ポン中(覚せい剤)は、刑務所に収監されことを「休憩」と呼ぶ。酒飲みが酒を抜く期間くらいの認識である。塀の中では出た時のビジネス話で持ち上がっている。

運動の時間帯は唯一ほかの房の囚人と話せる時間である。同じ場所をぐるぐる回りながら韓国女性が話しかけてきた。

「殺人未遂1件で収監されたけど、実は7人殺してるのよね~。今はまだ調べ中だからここにいるけど立件されたら死刑だわ~」その女は支給されるニベアでお手入れをかかしていないのか、血色も良く、とにかくよく笑う。

日本の刑務所は次の犯罪者養成スクールであることは間違いない。そんな話など世の中は望んではいない。

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