【ミニ小説】弓道
またやってしまった。
弓道をはじめてから4ヶ月が過ぎ、2度目の大会である夏季大会で僕は予選で4射0中。つまり一本も的に中てることができなかった。理由はわかっている。自分で嫌という程自覚しているのだが、メンタルが絶望的に弱いのだ。練習の時はそこそこ中っているのに、試合になるとまるで別人のようにあがってしまい、手が震えてしまう。
昔から、ここぞという時の場面で失敗を繰り返してきた。
小学生の時にやっていた野球では大きな大会で緊張して簡単なフライを落とした為に負けてしまったり、中学生の時のピアノの発表会では椅子に座った瞬間に頭が真っ白になり、とりあえず弾いてみたもののワンフレーズしか弾けず、3秒間の曲を披露して会場を立ち去ったこともあった。
高校生になって、そんな自分を変えたくて、精神を鍛えることができる弓道という競技を選んだのだがいつも同じことを繰り返している。
いつしか自分はメンタルが弱いが為にどんなスポーツをやっても勝つことができないというネガティブなイメージに支配されていくようになった。
その出会いは突然であった。
放課後、いつも通りに練習をしていると道場にブゥゥオォオンという音が響き渡ったのだ。
僕たちが通っている高校は市内から離れた静かな場所に建っており、街の治安も悪くない。そんな中での爆音であった為、部員たちは手を止めて音がする方向に目を向けた。すぐに過ぎ去るものだと思っていたのだが、爆音を発しながら黒塗りの高級車は弓道場の駐車場に向かってきたのだ。
ものすごいスピードで向かってきた車はキキー!という音と共に静止した。
車の中から現れたのは40歳ぐらいで、ギラギラとしたフレームのいかついサングラスを掛け、そしてそのサングラスの奥からはさらにギラギラした眼光を覗かせている
ヤクザみたいな風貌のスキンヘッドの男性だった。
ヤクザのような男は
「邪魔するでぇ」と言いながら道場の玄関を力強く開けた。
部員たちが怯えた目でその男性に注目した。
私は内心怯えながら尋ねた。
「あ、あのどちら様でしょうか?」
「聞いてないか?寺田っておるやろ?」
寺田というのは弓道部の顧問の先生である。
がっしりとした体格でギョロギョロとした目をしており、頭はスキンヘッド
同級生の間では実はヤクザではないかと噂されている。
寺田先生を呼び捨てにするなんて何者だ?どうみてもこの人は先生といった風貌ではない。むしろ反社会勢力に属している方々といった見た目をしている。そんな男が堂々と学校の弓道場に入ってきた。もしかしてうちの顧問は本当にヤクザで、その兄貴分だったりするのだろうか。
「寺田先生は今職員室に戻っていますが、すぐに戻ってくると思います。」
「そうか、じゃあここで待っとくわ。」
そう言ってヤクザ風の男は外のベンチに腰掛けてタバコに火をつけた。
しばらくして寺田先生が戻ってきた。
話を聞くと寺田先生の大学の先輩で、弓道をしていたらしい。この見た目で弓道をしているところは全く想像できなかったが大きな大会にも出場して良い成績を修めているらしい。まったく、人は見た目で判断できないものである。
Sさんは普段は普通の会社員であるらしいが寺田先生からのお願いでしばらく弓道を教えに来てくれるそうだ。
その日僕が普段通り的前で弓を引いていると、
「おう〇〇!かっこいい矢使ってるやん!」
「あ、ありがとうございます、、、」
僕は少し怯みながらお礼を言った。
「でもちょっと派手過ぎやな!」
ピンク色でドラゴンとドクロがプリントされたアロハシャツを羽織ったSさんが道場に響き渡るほど大きな声でそう言い放った。
(あなたの方が100倍派手だが?)
僕はそう言いかけた言葉を飲み込んだ。
Sさんは気に入らない言葉を聞くと拳で語るタイプの人間だろうから。
「俺が使ってた矢をやるわ!」
そう言いながらSさんは黒塗りの高級車から白い矢筒を持ってきた。
取り出した矢を見て僕は驚いた。
Sさんのその見た目とは裏腹に、矢は非常にシンプルなものだった。
銀色のシャフトに黒の矢羽。
矢は注文する際に色を選ぶことができるのだが、それは考えうる組み合わせの中でも最も地味。と言って良いほどシンプルな組み合わせであった。
「ええか、ハル。出来るやつはシンプルな道具を使ってんねん。なんでかって言うとな。自信があるからや。技術で目立つことが出来るから派手な道具を使う必要がないねん。」
その言葉に僕は心当たりがあった。
まさにSさんの言う通り僕には技術もなければ自信もない。その代わりに少しでも派手な道具を使って目立とうとしていたのかもしれない。
そしてカッコ悪い射型を晒し、自己嫌悪に陥っている。
「さらに言うとな、道具が視界に入ったら気になるやろ。この矢を使ってる自分カッコいい!って
酔ってる状態やな自分に。きもいで。」
何もそこまで言わなくてもいいとは思ったが、あながち間違ってはいない指摘に言い返す言葉がなかった。
そしてSさんから矢を受け取った。
※
Sさんから貰った矢は所々傷が付いてはいたが状態は良かった事からSさんが大事に保管していたのであろうと想像できた。
早速矢を引いてみることにした。
弓に番えて打ち起こし、会で離す。
「ズサッ」
離した矢は的から外れ、右に20センチ程ズレた安土に刺さった。
「ガハハハ!まだまだやな!」
とSさんは笑った。
矢は外れてしまったが、構わなかった。
派手な色が自分の視界に入らないことで、いつもより自分の射型に集中できている気がしたからだ。
今日からこの相棒と弓道の道を歩んでいこうと思った。
1
「自分では気付いてないけど、上手い選手の共通点知ってるか?」
「わかりません。なんですか?」
「それはな、誰よりも早く練習をはじめてんねん。いっつもおんなじ時間に練習が始まってるけど、的前に立つのが早いやつと遅いやつがおるやろ?」
「確かにそんな気がしますね。」
僕はすぐに二人の顔が思い浮かんだ、一人は先輩の佐伯さん。短髪でメガネを掛けた先輩で、部内で一番的中率が高い人物だ。佐伯さんは弽を付けるのが異常に早い。ギリ粉、筆粉は秒で付ける。準備する姿はまるでF1のピットさながらだ。動きが早いので私たちは影でシューマッハと呼んでいる。
もう一人は鈴木という後輩で、おしゃべりが好きで練習が始まるとまず女子に声を掛けに行きだらだらと話をしながら準備をする。そして一番最後に的場へ向かい、列の最後に並んでいる。ちなみに僕も準備が遅い。鈴木の前に並んでいるのは大抵僕だ。
「な、上手い人ほど早く的前に立ってるやろ?比例してんねん。上手さが。これはどのスポーツでも共通の法則やで。やからお前も上手くなりたかったら必ず1番に的前に立ちや!」
本当にそんなことで上手くなるのだろうか。と僕はあまり納得できなかったが取り敢えずやってみることにした。
*
次の日は練習がはじまってすぐに弽を付けて的前に行ってみた。
いつもは今日の夕飯の事を考えながら的前に向かっているが、その日は一目散に的前に行ったため、そんなことは考えずに弓道の事だけを考えて練習することができた。
やってみてわかったのだが、1番に的前に立つとみんなから注目された。いつもは後ろから2番目に位置していた僕が急にやる気を出したのだから当然だった。
注目されながら弓を引くとすごく緊張した。高鳴る鼓動を感じつつ、弓を引く。
少し手が震えていたがなんとか中てることができた。
シューマッハも、ほう。といった表情で僕を見つめていた。
その場面でも的中させることができて少し得意げな気分になったのだった。
ヤクザコーチからの教え
「一番に的前に立つ」
2
Sさんから突然聞かれた。
「緊張することは悪いことやと思ってないか?」
「それはそうですよ!だって緊張したら心臓がばくばくするし、手も震えたりするじゃないですか。悪いことに決まってますよ!」
「まあ、確かに表面的に見ればそうやな、でもな、緊張することは悪ではないんやで。」
「なぜですか?」
「そもそもなんで人は緊張すると思う?」
僕は少し考えてみたが、理由が分からなかった。
「そもそも人は動物やからな、自然界で敵に見つかって、逃げるときに緊張するようにできてるんやで、緊張したら集中力が上がって筋肉が硬くなんねんな、集中力が上がるのはプラスの要因やろ?筋肉が硬くなればパワーが増すっていうことや。」
「なるほど」
「これはノルアドレナリンという成分が体内で生成されることによる緊張症状によるものなんやけど、度が過ぎると射形に悪影響を及ぼすんやで。でも、全く緊張せずに試合に挑んでも良い結果を出すことはできん。ちょうどいい緊張状態が保たれてるっていうのが理想やな。
こんな見た目をしていながら博識である。
「わかりました。でもどうやったらそのちょうどいい緊張状態へ持っていく事ができるんでしょうか」
「それはな、『緊張している自分を受け入れる』っていうことや。」
「受け入れる、、、ですか。」
「そう、無理に緊張をほぐそうとしたり、他のことに意識を向けて逃げようとせずに、自分が緊張している状態をありのままに感じて、受け入れる。緊張すると鼓動が激しくなって呼吸が浅くなるけど、そこをグッと堪えて深呼吸するんやで。そうしたら鼓動は激しいけど気持ちは落ち着いてるっていう状態が作り出せる。それがちょうどいい緊張状態や。」
鼓動は激しいけど、落ち着いている。そんな矛盾した状態になれるんだろうか。僕は完全には理解できなかったが試してみることにした。
ヤクザコーチからの教え
「緊張している自分を受け入れる」
3
僕は焦っていた。試合まで2週間を切っている。
ここ最近中らなくて、がむしゃらに練習している所にSさんから声を掛けられた。
「ハル、気持ちが焦るのはわかるで、でも練習しすぎや。」
「練習のし過ぎですか、でも不安で、、、」
そんな時こそ休む事も大事なんやで。イチローがスランプの時の言葉を教えたるわ。」
‘‘打てない時期にこそ、勇気を持ってなるべくバットから離れるべきです。勇気を持ってバットから離れないと、もっと怖くなる時があります。そういう時期にどうやって気分転換するかはすごく大事なことです‘‘
「ていうてるんやで、あのイチローでさえ打てない時期というのがあるし、怖いと感じる場面もあるんや、お前みたいな半人前、中らん時期があって当然やろ」
言葉は悪かったが、僕はその言葉に励まされた。張り詰めていた糸が緩まった瞬間だった。中らない時期にこそ、勇気を持って弓から離れるという事が大事なんだなと感じる事ができたのだ。それから僕は練習時間を確保することにこだわるのではなく、疲れたら無理せずに休憩をとることにした。他の部員が練習しているなかで休憩するということは最初は抵抗があった。皆に置いていかれているという感覚が抜けなかった。しかし勇気を持って休めというSさんの言葉を信じて休むことに集中した。
普段は練習が終わった後に居残り練習をしているが、それも辞めてみた。試合まであまり日数が無いなかで練習を切り上げて家に帰ることにした。家に帰ってもやる事が無いので早めに夕食を済ませて寝床に入った。
ヤクザコーチからの教え
「中らない時は勇気を持って休む」
4
「で、どうやった?休めたか?」
「そうですね、焦る気持ちはありましたが、体は休める事ができました。帰ってもやる事が無いのでイメトレばかりしてました笑」
「そうか、それはよかった。どんなイメトレをしたんや?」
「弓を引いて離れ、中るとこまでイメージしてました。」
「もっと具体的にやらなあかんな」
「もっと具体的にですか?」
「そうや、教えたる」
そういってSさんは語り始めた。
「まず、覚えとかなあかんのは人にはイメージを実現化する力があるってことや。ライト兄弟って知ってるやろ」
「はい、人類ではじめて飛行機を飛ばした兄弟ですよね」
「そうや、今から約110年前は空気より重い機械が空を飛ぶなんてことは空想上のものでしかなかった。今では当たり前やけど、人が飛行機に乗って空を飛ぶなんていったら鼻で笑われとった時代や、そんな中でもライト兄弟は絶対にできるって思って何回も失敗しながら来る日も来る日も飛行機を飛ばす実験をしてたんやで。何が言いたいかというと、人がこんな事がしたい。って思ったことはどんどん実現化していくってことや。」
Sさんはさらに続けた。
「だから、弓を引いて中るイメージトレーニングだけじゃなくて、朝起きてから会場に着いてから、どんな準備をして的前に立って、まず予選で皆中を出して本戦に進んでからも皆中を出してから優勝する姿を想い描くんや。それで、皆と喜びを分かちあってる所までを何回も何回も鮮明になるまでイメージすることやな」
僕は圧倒されてしまった。勝つ選手というのはそんなことまで具体的にイメージしていたのだ。
「だから、体を休めている間は頭を働かしてそういうイメージトレーニングする事が大事なんやで。一流の選手は何十回も自分が勝ってる所を想像してるから強いんや、試合が始まる前から勝敗が決まってるんやで。」
ヤクザコーチからの教え
「超具体的にイメージトレーニングする」
5
次の日、昨日教わったことで疑問点があったので尋ねてみた。
「イメージトレーニングが重要なことはわかりましたが、具体的にSさんは試合前にどんなことをしていたのでしょうか」
「俺がやってた試合の前に必ず行うルーティンワークを教えたるわ。甘い飲み物を飲んだり、辛いお菓子を食べたり、基本的になんでもいいんやけど、これをやったら落ち着けるってことを見つけとくことやな。俺の場合は試合前に必ずりんごジュースを飲む事を習慣にしっとったんやで。」
怖い顔をして案外子供っぽい嗜好を持っているのだな、と思ったが口には出さなかった。
「食べ物でオススメなのはピーナッツやな、ピーナッツにはレンチンという脂肪成分が多く含まれとって、レンチンには脳の働きを高めて集中力を持続させる効果があることが証明されとる。あと、硬いものを噛むことによって集中力も高まるんやで。あと、効果が高いんは瞑想や。メリーランド大学の研究で瞑想後は不安のレベルが下がり集中力が高まることが証明されとるしな。試合前に瞑想することによって集中力を最大限に高める事ができるんやで。具体的なやり方はな、まず、息を4秒間で吸い込んで、次に8秒から16秒掛けて息を吐く。息を吐くときに雑念が頭の中からゆっくりと流れ出ていくイメージを持つと良い。
それか、落ち着いて弓を引いて、的に中る自分をイメージしても良いやろな。息を吸って吐くまでのルーティーンを3〜5回繰り返えせば1分間ぐらいで瞑想できるで。瞑想した後はスッキリとした頭で試合に臨めるで。あとは、本を読むことも効果的やな。自分が好きな小説を読んでも良いし、弓道教本なんて読んでたらかっこいいやろな笑
まー色々と言うたけど一番の目的は普段の落ち着きを取り戻すことやからな、自分が試合に向けて集中力を上げて行けるんやったらなんでもええで。ふはは!」
ヤクザコーチからの教え
「ルーティンワークを決める」
※
Sさんに教えてもらったことを実践しながら少しずつではあるが試合で中るようになり、自信を持って弓を引けるようになった。
そして、僕は夢の舞台に立った。
ゆっくりと深呼吸して、打起しをはじめる、流れるような動きで引き分けて、会へ至る。
会場には何百人もの観客らがひしめき合っているはずなのだが、僕の耳には、周りの音は何も聞こえない。いや、聞こえているはずなのだが、脳には到達していないのだろう。
心地よい筋肉の負担を感じながら、弓を引く。いつもより大きく、的だけが見えている。
5秒間、ほとんど無意識でカウントをはじめる。
もはや、中る、中らない、中てたいという自我すらもなくなってしまったかのように僕の心は、どこまでも穏やかで、澄み渡っている。
今、僕が立っているのは日本最大級の大会で、近的競技の決勝戦。
相手チームが全員離し終わり、味方チームも既に退場して同点の状況。
3人立の落ちである僕の四射目の出来事である。
会場にいる観客に注目されながら最後の1射。
1…2…3…4…5 キンッ 離したというより、力を少し緩めたら勝手に離れた。と表現する方が正しいと思う。それぐらいごくごく自然に、矢が手から離れていった。
パン!
28メートル先で心地よい破裂音が聞こえた。
そこでようやく周りの景色が見えた。
看的所の表示は、四射皆中。優勝が決まった瞬間だった。
音が戻ってきて、割れんばかりの拍手が、聞こえてきた。