シリーズ・うちと神楽



mixiより転載。

【駄文】神楽を思う。

2006年04月10日


九州の片田舎から都会に出てきて、もう結構な時間がたつ。

都会での一人暮らしは新鮮で、見るものすべてが新しかった。

それでも時たま故郷を思う。あのどうしようもなく辺鄙で美しく退屈だった故郷。そしてそこには私のどうしても忘れられない初恋の人がいる。

私の育った場所というのは絵に描いたようなど田舎である。

実際にこの目で見た野生動物をあげてみれば、ムササビ、コウモリ、イノシシ、うさぎ、狐、狸、鹿、キジ、おまけに加えてオオサンショウウオ。

確か小学生の時分にはホタルも飛んでいたような覚えがある。

今思えばあの村には四季折々に色があった。あらゆるところが色の洪水であふれていた。

山の上から見る地平線、その地平線に続く太陽から夕凪が私の頬をなで、雲ひとつない蒼天に深緑の山は聳え立つ。

白い雨のような桜のしぶき、透明な冷水からちらりと光る岩魚の背。掘りごたつに隠れる猫、その足元に炭火の朱。

幼い頃はそれが当たり前で退屈だった。どこにいっても本物の色が溢れていて、それが延々と続いていく毎日の一部だった。

そんな退屈な色の洪水の中で秋、一日だけそのすべてが色あせるときがある。

10月15日。午後三時。

耳を澄ませば太鼓の音が鼓膜を響かせ、私の足は浮き立つ。

学校からしおれて帰ってきたランドセルを投げ出し、私は太鼓に踊らされるように駆け出す。

神楽の始まる神社の方へ。

松山に来て、いろいろな人に聞いたけれども、「神楽」を知っている人は殆ど存在しなかった。皆口を揃えて「神輿」こそが祭りだと言う。

育ってきた環境が違うので、無理強いする事はできないが、私にとってやはり祭りは「神楽」だ。

真っ赤に燃えるかがり火の中、金色の衣が夜に舞う。

暗闇の中で赤い鬼の面がテラテラと輝いて、幼い私たちに手招きする。

神楽とは書いて字のとおり「神前で舞う舞いの事」

日本神話や、地方伝承を元にしたものが多く、各都道府県で型が違うらしい。

私が見ていたのはどうやら、黒松神楽と言われる物で(調べれば出身地も解るだろうw)演目の最後には必ず「すさのおの大蛇退治」を演じていた。

中でも幼い私達の心を捕らえて放さなかったのが「柴引き」という演目である。

真っ白い髪を振り乱し、赤地に金銀の刺繍を振りまいて、飛び出た牙、向かれた目、大きな鷲鼻の赤い面をこれでもかと近づけて、踊り狂うその様は正に圧巻である。

それだけではない。

この柴引きの鬼は必ず一人で登場、社の外で見ている人たちは、手に「柴」といわれる木を持って舞台のふちをたたくのだ。節くれだった固い柴の木を叩く音に誘われて、鬼が柴を引きに来る。

つまり鬼と綱引きで勝負をしなければならないわけだ。

鬼の面が恐ろしくて恐ろしくて、最初は柴すらもてなかった私も、だんだんと好奇心に負けて柴を手に取り縁を叩く。

私に気がついた鬼は、私を脅かすかの様に、いきなり私の目の前に走ってくる。

一目散に私は駆け出す。足がぶるぶると震えている。

あるいは、友達と一緒ならばと二人で柴を持ちまた縁を叩く。

するとどうだろう、鬼が私の柴を手に取ってくれる。

必死で応戦するも、大人の男の力に適うわけがない。

私と友人は体ごと、柴に引かれて舞台に上がる。

鬼の目の前に引きずり出されてしまった私は逃げることなどできようはずもない。何もできないまま、鬼に抱えかげられ、太鼓と笛の音が狂ったように鳴り響く中、私は鬼の戦利品になって、神前へと祭られる。

今思えば、あれは恋に等しい。

鬼を恐れ、それでも鬼に認められたいと思う。

暗い夜、小さな社に灯るかがり火、その中で舞う、赤く雄雄しく、乱暴な神の姿。

あれは正に男性そのものだ。傲慢と暴力と、破壊と雄雄しさと、力強さと気まぐれ。

少年たちはあの鬼を組み伏せるために何度も立ち向かい、少女達はあの鬼に抱かれるために、何度も臆病な手を差し出す。

圧倒的な恐怖、そして圧倒的な恥辱。

捕まった少年たちは尻を叩かれ、少女達は大人たちの笑い声の中鬼の手によって宙を舞った。

それでも私達は、あの力強い手に抱かれる事を、捕まれることをやめはしなかった。それを好奇心として片付けてしまう事は容易だが、それだけではないのだろう。

皆が皆、一様に彼に手を伸ばし、彼に近づきたい、彼に触れたいと願う。彼は傲慢な神の性質そのままに気まぐれにその中から一人を選んで己の餌食に仕立て上げる。

彼の腕の中で、私は恐怖を知った。彼の大きな手のひら、たくましい腕、大きな肩に抱き上げられて、敵わない事を悟った。

それはとてつもなく甘く優しい恐怖だ。力強くで我侭な、暖かい恐怖。

呆然と神前に小さな尻を据えられて、私は鬼が別の少女を抱きとめているのを目にする。

なぜだか足が浮き出しだって、舞台の外へかけてゆく。

あの赤い荒神が私の初恋の人で、私に性愛の種を植え付けた人物である。

祭りのあと、閑散とした社にその姿はもうない。

冬をにじませた冷たい風と散り始めた落ち葉の中で、忽然と消えてしまった私のヒーローを思う。

また一年、退屈な色の洪水の中、彼の登場を待ち続ける私の日常が始まる。たった一日の刺激的な色を思いつつ、彼の姿を描きながら。

神楽の行われる社は、いまだによく訪れる場所だ。

実家に帰れば必ず、詫びと礼をしに社へ訪れる。

今はもう感じられないけれど、昔は確かにあの村には何かが居た。

近年、開発の波に襲われてあの美しかった山々が切り開かれている。そのうち、私の見知った、何かの姿も消えるだろう。

社の神は「おんながみ」だという。

実は一度だけ、お目にかかったことがあるのだが、それを語るのはまた別の機会にしよう。



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