シリーズ・うちとため息

皆なんであんなに、世界に期待できるんだろうな

世界が正しくなろうとしてるんじゃないか、と最近よく感じる。正しいってなんだろうと、やはりうちは考える。人に優しくすることだったり?施すことだったり?良心に背かないことだったり?

何度考えても窮屈だ。正しいって事は正しいのだから、正しいことを行う人の目は輝いている。その目が嫌いなんだ。自分の行う事を何一つ疑わない人の目。キモチワルイ。嫌悪感を感じる。それは貴方が正しくないからだ、と言われたら、「そうなんだね」と答えるしかない。それでいいと思うし。誰にも迷惑かけずに、自分のしたいことすればいいんじゃないのって腹の底から思うのだけど、違うのか。違うんだな。

世界なんかに期待しないよ、人間にももう期待しない。裏切られたときが怖いから?そうだね、それも在るかもね。誰かと何かを行うのは窮屈だ、刷り合わせなきゃいけないからね。「嫌なら見るな」は言っちゃいけないんだって、どうして?皆を気持ちよくさせなきゃ、なんにも価値はないんだって。

ぜんたいしゅぎー。わー。

ッラ・・・もぅ、アウトサイダー・アートにしょ・・・。

おでが間違ってンのかな。いやでも、あんなんなりたくない。キモチワルイ。一つの価値観を至上だっていうのは嫌だ。怖い。色々な側面が必要で、色々な側面を見ながら、人間そのものを楽しんでいったら、何もかもが茶番だって、思わないのかな、思わないんだな、きっと・・・。

今在る価値観をごっそりひっくり返される、その瞬間だけ、うちはキモチイイ。性癖の問題だよね。マイナーセクシャリティーだよ。可哀相だよ、理解されないよ、ホラ。ほら。だけど、うちはもう、理解されたいなんて思わない。なぁんにも、思わないよ。人間の中にいて、誰かに持ち上げられる、孤独を抱えられない世界だと、うちは不安になるんだよ。

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