未完

眼球が家出をした。まず、家出を持ちかけたのは右目の方だった。 
右目は実にうんざりしていた。宿主はいつもいつもPC画面にかじりついて、網膜に入ってくるものといえば、いかがわしいアダルトサイトばかりである。 
本来の右目の役割は確かに物を見ることであるが、彼自身が見たいものは美しい風景だったり、叙情溢れる詩歌であったりしていたのだが、宿主の脳細胞はそれを全く理解していなかった。右目はいつも強制的に、女の裸体であったり、性行為であったり、はたまた人間の轢死体やら、あるいは詐欺まがいのアフィリエイトサイトであった。そんな光景を数年強制的に見せられていた。時には網膜を段々と弱らせて、弱視にしてやろうかなどと考えたがそうすると今度は、右目自身が美しい風景や、麗しい詩歌を見つめられなくなる。ゆえに彼が最後に決断した手段が、家出であった。 
とある夜、宿主が眠りに落ちた隙に、右目は眠る左目に呼びかけた。 
「おい」 
何度か呼びかけたが、左目は答えずやはり惰眠をむさぼっている。焦った右目はとうとうその体をまぶたから押し出して、左まぶたをひっぺがす。後ろ向きに寝ていた左目が、突然の光に驚いて覚醒した。「なんだ、こんな夜中に」 
眠けまなこをこすりながら、右目に呼びかけた左目であったが、彼の姿に言葉を失った。背中に視神経を引っ付けて、まぶたから体を抜いてしまっている。 
「お前どうしたんだ」 
呼びかけた左目に、いつになく真摯な右目が答える。「俺は、家出をしようと思う」 
は?と返した左目には目もくれず、右目は語りだす。 
「お前、我慢できるか。俺はもっと美しいものが見たいのだ。美しい風景をみたいのだ。美しい花や、美しい月や、美しい夜を見たいのだ」 
すると、今度は左目が言う。 
「女の裸だって、美しいじゃないか」 
左目の言葉に視線を落とした右目が答える。 
「何が美しいものか。いつもいつも裸の女が、股を広げて啼いている。そんなものの何が美しいんだ。お前は月をみたいと思わないか。月は美しい。女よりもずっと美しいぞ」 
左目は考えたが、どうも月というものを思い出せない。しかし、右目がこれほど真剣に言うのだから、恐らく美しいのだろう、と考えた。そうしたら、それを見たくなった。 
「ふむ。ではその月とやらを見に行こう」 
二人の眼球はこうして家出をした。背中に引っ付いていた視神経がもったいぶって二人を引き止めたが、二人の決意は変わらなかった。そうして月の美しさを必ず語ってやるという確約を取り付けて、二人の体を開放した。 
「じゃあ、どうするのだ」と左目がいう。 
転がっていこう、と右目が言ったので、左目もそれに賛成した。二人はベッドからころころと体を滑らせて、床へ落ちた。やがて床でも体を転がせた。細かなゴミや塵が彼らを汚したけれど、妙な開放感とk

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