不惑の夢

工藤良助という男がいる。ボサボサの髪の毛を湛えた小太りの男で、猫背に隠れた顔の下でいつも何事が呟いている。その言葉も聞こえにくくて尚且つ、滑舌も悪いので何を言っているのか他人にはよくわからない。聞き返されるのが嫌で、下を向いて喋るようになってからはや数十年、彼は自他共に認める非リア中の非リアに成り下がっていた。
服装に気を使って、彼女なるものを得ようとしたのも随分昔の事だ。何をどう着て鏡の前に立ったとしても、鏡の中の自分に言ってしまう。「頑張ってますね」と。そんな身の丈にあっていない頑張りをすてて、彼は今年不惑を迎えた。女性経験のない不惑である。不惑とはそういった人間の言葉である、と彼は想っている。それでも熱情はある。雑誌や写真、あるいはコンビニで見かける女性の、街歩く女子高生達の、素足、太もも、そして乳房。それを想うごとに、捨ててしまった劣情が彼の中で騒ぐのだ、柔らかそうな体、柔らかそうな手足。世間には女性を二人も三人も囲う男がいるという。自分と、その男の差とは一体何なのであろうか。疑問に思って鏡をみれば、その疑念も直ぐに氷解する。結局顔だ。
持って生まれた資質である。頭がいいとか喋りが上手いとか、そういったギフトの一つに顔がいい、という資質があるのだ。彼には何もなかった。だから今日もこうやってネットの海の中で、嫁をとっかえ引返して楽しんでいる。まさに、不惑である。
今日の嫁、この場合、自身を汚す意味での嫁であるが、を探してネットの海をさ迷っていたら、こんな記事をみつけた。アフィリエイトがこれでもか、と貼られた実に不快なブログであったが、その中にあった『これであなたもリア充に!魅惑の転職サイト』と蛍光色とgifをふんだんに使った広告に魅せられてしまったのだ。いつものように鼻で笑って、ページを閉じようとしたが、なぜか気になった。それは広告内にて、女子高生の制服をきた女性の長い足が点滅を繰り返していたからか、と想う。また、その足にぴったりとくっ付く靴下、自分では決して触ることの出来ない場所に張り付く、その衣類が羨ましく思えたからか、とも想う。あるいは、いつもは煌々と付いている蛍光灯の明かりがなかった所為か、とも想う。ともかく彼は、その広告に目を止め、一瞬の逡巡のあと、全てを捨てた自殺者の目で、その広告をクリックしたのであった。それは、リセットの効く、実にヴァーチャルな自殺であったが、そのときの彼の厭世観を満足させるには十分な自殺だった。暫くの時間のあと、『貴方もリア充志願者ですか?!』と酷くチープな文字で表示されたフォームが現れた。生年月日と名前、そしてメールアドレスのみの簡単なフォームである。彼はまた、口の端を引いた。そして、ままよ、と呟きながら、その全てに正確に記載をして、送信ボタンを押したのだった。
数日後、溜まりに溜まったメールボックス内のダイレクトメールを根こそぎ処分していると、見覚えのないメールが一通届いていた。中を開けると、たった一行、こう書かれている。

『貴方もこれで、リア充の仲間入り! ○○区XX町2-35』

普段の彼なら捨てるところだった。頭の奥で、戯れに送ったアフィリエイトサイトの記事の事だとわかったが、こんな酷い返信は見たことがない。明らかに詐欺で、明らかに犯罪だ。
だが、彼の不惑は極まっている。彼女はいない、仕事は派遣。彼には捨てるものがないのである。唯一心残りとして母親があったが、最近夙にボケはじめたようで、それも彼の厭世観に拍車をかけていた。
カレンダーを確認する。明日は休みである。もうしかしたら、と彼はほくそ笑む。
もしかしたら、新しい詐欺の会社かもしれない。ここで体験記などをネットにあげれば、それなりに有名になって、有名税としての彼女もできるかもしれない。幸い、自分にはネットという武器がある。
時間を確認する。午前一時を過ぎている。まあ、いいか、と彼は想った。こんな詐欺まがいのダイレクトメールを差し出す会社なんかに、定刻を守って訪問したとあっては彼の不惑が廃る。眠くなるまで嫁を漁って、自分を汚した後、寝てやろう。そうして起きた瞬間が、自分の人生のはじまりである。PC画面に照らされた彼の表情は、半年振りに歪んでいた。否、確かに笑っていた。

午後一時、指定の場所へプリントアウトした紙をもって訪れた彼を出迎えたのは、細い男であった。話をきけば、35だという。妻の話をしていたので、聞くべき話は半分になった。ひょろひょろとのびたモヤシのような男の、細い弓なりに曲げられた眼を見ながら、彼は話を聞く。こう言った。
「楽しい生活が始まりますよ。いや、何、ちょっとしたテストを受けていただきますがね」
差し出された紙に書かれた質問は実に100項目に及ぶ。うんうん、と唸りながら汚い字で文字を書き綴っているとと、彼の前にそっとお茶が出された。目の端でちら、とそれを確認すると、やはり弓なりの目をした男が言う。
「長くなりますからね、さ、それでも飲んでゆっくりと」
相槌も疎かに、出された茶に口をつけた。なかなか後味のよい、美味しいお茶だった。お茶を飲みつつ、文字を書きつつ、唸っていると視界がぼやける。目をこする。やはりぼやける。
どうしました?ともやしのような男が言う。文字が歪む。まぶたが落ちる。
「どうしました?」
やけにはっきりともやし男の声が聞こえた。騙されたのだな、と頭の隅で想った。意識が途切れた。

次に彼が目を開けた、この場合、目というものはないのだけれど、街の中だった。ふわふわとする意識の前を、人々の足が行き交っていく。これはなんだ。ぼやけた頭でそう考えた。すると頭上で声が響く。
「この靴下さー、こないだ100均で売ってて、50円にまけてくれるっていうから買ったのー!超、おかいどくじゃない?」
頭上を見上げる。そこには焦がれて止まなかった女性の足と、見たくてたまらなかったスカートの中身があった。そして自分を確認した。彼は人の姿をもう留めていない、一本の繊維となって、靴下の中に住んでいる。自分の身体が、柔らかな女子高生のくるぶしを包み込んでいる事を理解したとき、とてつもない絶頂に襲われた。かれは想う、まさに魅惑の転職だ。
舌なめずりをして、彼女の足にすがりついた。途端、頭上の女が、心底嫌そうな心地よい声を上げた。
「でもこの靴下、たまに濡れるんだよね、きもちわるくない?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?