シリーズ・うちと人間

丸山先生の本を読んでいる。あと100年の孤独とか、シュレディンガーの猫、量子コンピューターになる、とかが控えていて、うちの「無知」の待合室はぎゅうぎゅうなんだけど、先客が居座っててにゃーん。三島が上座で、漱石がいいて、特別席にニーチェがいるから。

人間で居ることは、嘘をつくことで、人を騙すことで、傷つけることで、争うことで、憎みあう事だー、とうちの中の誰かが言ったので、その通りだよね、といっておく。それ以外のものなんかになりたくないし、なれないのだ。

というか、俺は嘘つきだし、人を騙すし、傷つける、馬鹿だし、無知だし、むきになる、それでいいやって思う事、それでもいいやと開き直るとステキ世界開闢、天地開闢、天地のはじめのとき、弾柄はらにかむずまりまするかむろぎのみことすめみやおかひむかのたちばなのおどのあわぎはらになりませる、なぜかいつのまにか藤原の祝詞ー。

人間も人間性も全く持って、この世界にしがみつくゴミにしがすぎない、このうちも!君も!染みになるんだ、最期は、汚れて膨れて、腐敗液を垂れ流して蠅のたかるゴミになるんだよ、嗤おう!

逃げて泣いて転がり落ちて、拗ねて威張った僕らの、うちらの、俺らの、全部、全部を笑うのさ。逃げていいのだ、怒っていい、無様でいい、嗤ってくれるのなら、それでいいのだ、そこに落語と笑いの全てがある。談志はいった。

「落語ってのは、討ち入った四十七士じゃなくて、逃げたその他大勢のハナシをする」

喜劇にしろよ、喜劇に徹しろ、人生は短い、そんなに君に、君の周りに、君の嫌いなものに、敵意むき出しで楽しいのか、馬鹿馬鹿しい。


そこに一つの笑いがなければ、シニカルな笑いがなければ、何だって意味はないんだ。50年、うちは笑う。引き笑いをしよう。駄目な自分を笑おう。駄目な世界を笑おう。「笑えない」やつは置いていこう。誰が世界を救うんだって?自分の見ている世界を救うのは、どうあったって自分だけだ。


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