シリーズ・うちと男節

ここ最近、アオイホノオと北野作品を交互に見てる系

によって、自分の嗜好が大分わかってきて、世に出回る

「これからは女性が活躍する時代だ!」

に完全に反論したい気分。これからは男性の何かが復興するだろう。

北野作品の格好良さは、その暴力にある。

大体、これはその他のハリウッド作品でもそうなのだけど、闘争から暴力に移るまでの、精神のタガの外れ方が、結構厚みが或る。

例えば、「ここから先に言葉は必要ない、銃で頭ぶちぬくか、金属バットフルスイングするか」までいく間の葛藤、この葛藤が結構ながい。

北野作品って、最初から「言葉は必要ない」って言ってるんだよ。というか、うちが今まで聴いてきた男の人の暴力の振るい方は確かに、そういうもんなんだよ。はじめから、言葉での解決をギリギリまで削ってるの。だから暴力の出し方に戸惑いがなくて、その一瞬に怯んで死んでしまう。

逆に言えば、目の前にいる男は、無表情で人の頭めがけて金属バットフルスイングできる男だ、と理解できていれば対処できる。というか、男性性を究極まで煮詰めた場合、畢竟そこにいきつくだろう。

私がカッコイイ、と想う男性性というのは、そういう男で、その非常識さを恐れない事自体に魅力を感じるんだ。

で、うちがまぁ所謂乙女ゲーに出てくる系の男性を指差して笑ってしまう、ってのには、その「男根」のなさにある。

男根ってこの文脈でいうと、暴力であったり、暴力を伴う狂気であったりするわけだけど、そう、乙女ゲーに登場する男性キャラって、下半身にちんこついてない気がするんだよね。ぶっといキンタマぶら下げてる気配がない。

やべえな、びびってんな、っつうときにチンポジ確かめる気概が欲しいのさ、そこに男性性の究極があるんじゃないかな。って。

まぁでもそれもメルヘンではあるよ?暴力をはらみながら、平静を装う危険な香りのする男。どこの007だよ、って話だし。

現実の男をリアルに書くんなら、最高に格好悪く、ダサく、泣き喚きながら、それでも立つ、立ちはだかる、これが一番かっこういいリアルの男性の書き方じゃないかな、って。

うちは、同人文章好きな人で、推しキャラには格好良く居て欲しいタイプなので、やはり、暴力という狂気をどうにか押さえ込んでいるキャラを書こうとしてしまう。最近だと、山姥切に麻薬作らせたい系。イイよね。ブルーメス。

正直もう、女性向け、っていうジャンル自体、ターゲットは女性、ってモノ自体が飽きられているんだよ。つまりこれから復興するのは、男性性を真正面からみた、そういうものだ。ヤクザだったり、暴力だったり、任侠だったり。

勝新太郎待望論、さ。そういえば、昨日久々に、ブラックレインを見ました。

いい映画だなあ、あれも。

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