一人断腸亭日乗 9月20日

9月だ。

いつのまにか時間が過ぎていつのまにか今年も終わってしまう。無為な私は無意味なまままた一年を生きてしまった。言祝ぐべきか言祝がぬべきか、よくはわからないけれど思考するものにとって人生とは呪いの貌を持つから僕は思考しないことにする。思考すればきっと今日の九州の空模様のように薄く曇って雨を呼ぶ。かといって晴れが好きかと言われればそうでもない。甘ったるくてのんびりとした雨の日が私は好きなんだから人生はうまくいかない。

最近はずっとデッドバイデイライト をしている。しているのか義務なのか意地なのかわからないけれどしている。楽しいのは楽しい。ただ始めるまでに少し時間がかかる。デッドバイデイライト を横目で見ながらこの間サマセット・モームの月と六ペンスを読了した。海外文学は面白いなと思ってしまったからこれから少しサリンジャーやトーマスマンなんかを読んでいこうかなって考える。ゲームする時間がなくなっちゃうじゃないか。

そう、そろそろ僕には時間がない。終わりがゆっくりと近づいてきていてその時自分がどうなるのか見当もつかない。ずっと文章を書いていつのまにか死ねたらそれは本望だと思うけれど、今生そう上手くいった試しもない。来るべき終わりに向けて何が出来るか少しずつでいい考える局面なのかなと九月の空を見ながら考える。
温泉に入ってだらしのない、太りきった肉体を横たえて痛みを取る。人生の或いは欲望の痛みを取る。そしたらまた明日から欲望のために6ペンスを稼ぐ日々が始まる。疲れたよパトラッシュ、僕はとても眠いんだ。けれども秋は恵みの季節、死の前の歓喜、冬が来て全てが祝福される前にせめて、せめて月を見ようと僕は思う。届かなかった月、ただそこにある月。それを美しいと眺めながら死んでいけたなら。西行の心地もわかるってものさ。

こいつは私のリハビリ日誌、書くことを強制され始めた私の小さな足掻き。何事も楽しまなきゃね、空、秋だよ。

空は高く空気は澄んでいるのに辺りは湿っぽい。置き去りにされた夏の只中にいるようで居た堪れない。

嗚呼、秋だ。

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