ダイヤモンドの遺言

坂東弥助は今年180歳になる。家人からも連れ合いからも、子供からも「いつ死ぬか、いつ死ぬか」と言われながら結局この年まで生きてしまった。もう孫は爺と言われる年になって、玄孫には孫がいる。自分でもいつになったら死ねるのか、と常々考えているのだが、未だ足は萎えず、耳はいい。未だに針の穴に糸を通せるし、三食しっかり白米を食べる。日に一里の散歩は欠かさないし、何故か朝も、決まった時間に目が覚める。長寿、というのはそれだけで素晴らしい事らしく、褒章や、勲章やらを押し付けられるようにもらった挙句、何故かテレビにて健康長寿の秘訣を語らされた時期もあった。だが、世間がしなびた爺様をいつまでももてはやす訳もなく、水が引くように周りから人が減っていった。少し寂しさを覚え始めた頃、やっと死ねるか、と弥助は期待したのだけれど、やはり足腰は健康で、体が死を欲しようとしない。連れ合いをなくして既に八十余年、恋の一つもしてみようか、胸を焦がす恋でもすれば自然とこの体も弱るかもしれぬ、と40過ぎの娘に手をだしたが、その娘ももう死んでしまった。人生とは、彼にとって実に儚いものである。
死にたい、死にたい、と思うほど死ねないもので、彼はもう気にしたくはないが、褒章のおこぼれに預かる孫どもが、どうしても弥助には死んでほしくないらしい。月に一度かかるかかりつけ医は天皇陛下をも診ておられる名医らしいが、弥助にとっては迷惑この上なかった。名医には違いないが、なにぶん彼の体をすみからすみまで当たりまわすので、気色が悪い。弥助は彼を「研究者様」といってはばからない。さて重い足と体を杖で支えながら、研究者様の前に座っている弥助に、研究者様がさる一つの書類を差し出した。びっくりしますよ、と笑いながら言うので鼻から息を吐き出しながら、その書類を受け取ると、びっちりと英語が書いてある。
「先生、わたしゃ英語は読めん」
とつっぱねると、研究者は笑いながらそうでしょう、と言った。
鼻持ちならん、という言葉を飲み込んで押し黙ると、研究者は興奮を隠しきれぬ様子で弥助に語った。「坂東さん、貴方の心臓、文字通り、ダイヤモンドでできているんですよ」
やっとこいつも冗談というものが理解できるようになったか、と弥助は口を開いた。
「そりゃいい。孫が喜ぶ」
表情も変えずそう言い放った弥助を見て、まだ笑顔の研究者はこう切り替えした。
「いえ、貴方の血液と心臓、その長寿の秘密をね、長年研究してきましたが、貴方の血液と心臓は一般の細胞とは全く違う。結びつき方が強固で外界の影響を受けにくいんですよ。これを学会に発表しましたらね、ダイヤモンド、と名前がついたんです。ヤスケ・ダイヤ。すごい事ですよ。坂東さん、貴方の名前は未来永劫、この世界に残るんです」
はあ、と呟いて弥助は黙った。世界などというものが、どれだけ移り変わり、どれだけ無常であるか、180年も生きれば誰でもわかる。愛しかった連れ合いは死に、恋した女も鬼籍に入った。子供の顔はとうに忘れてしまった。世界も何もかもがぐるぐるとまるで渦に巻かれたように変異しているのに、自分の名前が何かに載ったところでなんだというのか。結論して、弥助は口を開く。
「それで先生、わしゃ、いつ死ねるんかの」

研究者は、半永久的に生きることになる、全く素晴らしい、としか言わなかった。病院からの帰り道、孫の車の中で弥助は移り変わる町をじっと見つめている。隣で孫が金の話をしているが、お前の好きにすればいい、と呟いて黙った。そんなこと、と可愛らしい声を上げるが、内心はほくそ笑んでいるのだろう。
一人の家に帰り、いつもと同じように食事を作り、飯を食った。テレビは視ずに、風呂にはいり、書斎へ篭った。そして一筆の書を書いた。
翌日弥助は姿を消した。孫達が目の色を変えて弥助を探し回ったけれど、彼の姿は見つからなかった。丁寧にすられた墨で書かれた書には以下のような、遺言が残されていた。

わしの血は長く生きすぎて、とうとう石ころになってしまったらしい。ところが石ころになるような血の持ち主は畸形で、その石は実に貴重だそうだ。その石を取り合って、大切な家族が争うのは我慢がならないから、私は文字通り土の下で本物の鉱石になろうと思う。私が考えた、唯一の悲劇の幕である。尊重をしてほしい。

さて、人型のダイヤモンドはまだ、見つかっていない。

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