天国大統領選挙

ここ、天国において大統領制が試行されたのは、イースターの日、復活祭の当日であった。
天国においての復活祭は地上のそれよりも豪勢に、派手に行われるものであったので、天使、特にキューピット達は、この大人たちのエゴに甚く不満を漏らしたが仕方がない。なんといっても神が、どうしても神を辞めたい、と言い出したのである。四大天使を中心に、長きにわたる神への説得が行われたが、彼はどうしてもそれを聞き入れなかった。だが、神の威光の消えた天国などなんの意味があるだろう。神の御心に天使は背くわけにはいかない。だからその場で急遽、神の代理となる何者かの擁立が必要だった。四大天使のうち、ガブリエルはキリストを推した。キリストであるならば、神の代理も立派にこなせるだろうし、何より下界の小さく儚い者達は、キリスト自体を神と崇めている節がある。それに四大天使のうちのミカエルが反発した。神を語るものは、たとえ神に愛された神の御子、キリストであっても許されない、というのである。では、とラファエルが対案をだした。マリアにしてみてはどうだろう。聖母マリアであったれば、下界での信仰も篤い。何よりその母性が下界に満ちるならば、悲しみのうちに武器を取る人間が減るだろう、というのだ。そこにウリエルが入ってきた。マリアというならば、マクダラのマリアをおいて他にはいない。彼女はキリストの妻であるし、女性の擁立が可であるならば、彼女以外いないだろう、と言うのだ。
この四大天使達の議論は、神を背中に置き、長く長く続いたが決着を見ない。では、という事で始まったのが、天国大統領選挙であった。天国中の期待と迷惑を一心にうけて立つ、三人の候補が、天国各地で舌戦を繰り広げた。
マリアは下界での戦争を憂いている、と泣けば、戦争被害者の安らぐ魂が涙を流し、マクダラのマリアが、迫害さる女性と弱き者達を救うべきは今だ、と叫べば、主に女性の聖者達が彼女の後に連なった。
キリストは、こういった事自体が馬鹿馬鹿しい、上も下もあったものではない、と発言したが為、一部の有識者には絶大な信頼を得られたが、他の一般天使達の理解を得られなかった。
ミカエルは騒がしくなった天国を苦い顔で見つめていた。そうしてこそこそと彼らの後ろで何かを行う神に、とうとうその神性の発露である、炎に似た怒りをぶつけたのだ。

おお、主よ、いと高き場所に居られる君よ、などて貴方は御身をかえりみたまうか。

ミカエルの慟哭に似た怒りを聴いて、神は答えられた。

ああ、ミカエル、炎の如く美しく燃えたる天の火よ、お前は天にあっても地にあっても正しい者を見出せるのか

ミカエルは詰まった。けれども、ミカエルは引くことを知らない。主が天使に与えられた特性ゆえであった。

主よ、天においても地においても輝けるいと正しき者よ、高き位置に坐するは貴方をおいて他には居られません。

ミカエルの言葉に、主は深いため息をついて答えられた。

私は全であった。全であって個であった。全てをもち、全てを持っていなかった。私の中にあるものは生であり、死であった。かつてはそうであった。だが人の心は変わってしまう。個も全もない。私は人の中にあって、全でもなく死でもなくなった。生でもなく個でもなくなった。

ミカエルの目の前で、美しく輝く主の御姿が、か細く弱くみずぼらしい老人へと変わっていく。

見よ、私の姿は下界にあった。神性輝く律とした姿は下界にあった。私はその中において、業を行おう。

ミカエルの手は主の背中へ伸びた。けれども主はその言葉通り、輝く天国の階段を降り立って、悲しみと罪の蔓延る下界の中へ下りていった。

数年がたった。だが、未だに天国の大統領選挙は続けられている。今回はマリアが再選をしたらしい。下界において主は貧しい、浮浪者の老人として暮らしていた。清掃業を行い、たまに入る賃金で拙い絵を書いていた。何千ページにも置ける一つの物語を作り上げた主を、ミカエルがやっと迎えに来た。やがて主の描きたもうた絵と文章は、人々の目に晒され、その奇異さ故興味を集めることになる。

主の名前を、ヘンリー・ダーガーと言った。

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