シリーズ・うちと序文

はじめに。

路輪一人(みちわひとり)

小学校五年の時にふと思いついたこの詩から来ています。

徒然想う毎故郷の山は青く 

分け入る度深くなる物思いの叢に似たり

 この道は寂々と虚空の蒼に続き 

我が路は延々と慎独成す己に帰する

路は、一人でいくのだ。道は。タオは一人で逝くべきだ。

道はとても複雑で我侭で、ともすれば人を傷つけかねないから、一人でゆくのだ。寂しい、寂しいと呟きながら、その呟きを抱きしめながら逝くのだ。

他人を自己の範疇に入れません。入れる必要もない。というか、絶対的に人間に備わる最終、最高の権利は、孤独であること、であろうから、ショーペンハウアーもそう言っていた。だから、世界のどこかで、女が男を踏みつけにしようが、男が女を奴隷にしようが一向に構わないし、どうでもいい。人間社会の権利だの、人権だの、とうの昔に捨て去った。私は私の為だけに生きる。

同人、を本来の意味において使っています。曰く、「文章の予行練習」

それと、ミソジニストです。どちらかといえば。女性ではありますが、喚く女性には凄まじく嫌悪感を抱きます。あと、ミサンドリーを隠してフェミニズムを語る女性は、私の中の最大の地雷です。ロリ漫画を描くキモヲタと、BLを描く腐女子の違いがよくわからない人です。どちらも美しい創作活動であるのに、いがみ合う理由がよくわかりません。あと、エロ文章には一応の情熱を燃やしています。陰核、だの、密壷、だの、セックスの表現を規制されたら私は文字を書けません。一度でいいからエロ文章書いてみろ、万人を濡らす、勃起させる、文章がどれだけ難しく、どれだけ悩ましいものか。血反吐を吐きながら書いた文章は、どうやら一定の人の間で、ミソニジー的なものらしいです。fuck。人間など所詮動物、権利も主義も主張もクソくだらない、というアナーキズムな精神で生きていますので、奇妙な権利と主義を主張されますと、ゲロが出て言葉が紡げなくなります。哀しいことです。

更に発展させまして、アウトサイダー・アートには非常に興味があります。

野十郎、ヘンリー・ダーガー、ミロスラフ・ティッシー、彼らが私の目指す孤高の頂点です。理解されたら負け、の精神で生きています。

お洒落さんではありません。文章の為に、捨てるものは殆ど捨ててしまおう、という精神で生きています。文章作成において、ノイズになる可能性の高い者は最初に捨てます。本質を隠してしまう、装飾品がその最たるものです。いらない、何も捨ててしまおう。捨てた結果残ったものが、暗澹たる人生と醜い自分でありました。本質以外の何も残らなくて、満足しています。


孤高の風、というものは虚しい。その風の音は例えるなら、祇園精舎の鐘の音です。泥の中に咲いた華を手折る為に、随分と冒険をいたしました。風俗業界にも在籍いたしました。私の20代は、幽霊として消費されました。

人を利用し、裏切り、見事なゲス人間、ウンコ製造器として充実した30代を送っておりますので、是非、お近づきにならないよう。私は、悪人でありたいので。

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