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ベルリン移住2年が経過。この数年の自分を振り返る

今年もイースター休暇に入ったベルリン。静まりかえったベルリンで、敢えてたった一人で数日間を過ごすことにしたので、なんとなくこれまでの数年間を振り返ってみることにした。

2014年以降、私の人生はそれまでに身の回りにあったものや人間関係がすべて崩れ落ちて一気に刷新されていくような、めまぐるしい嵐の中をさまよっているような感覚の中、予測不可能に展開を繰り返し続け、その中でとにかく必死にしがみついてきた、というのが本音だ。

私は2014年秋の父の死をきっかけに、それ以前と同様の「人生の悦び」は感じられなくなっていった。自分の中の大部分が、死んでいくような感覚というべきだろうか。本当に根本部分にある、小さな小さな大事な部分を残して、すべて剥がされ裸にされていくようだった。そして2015年夏にはかつてのパートナーに別れを告げ、家も持ち物も大々的に処分し、すべてを投げ出してニュージーランドでの生活を引き払い、メキシコへと向かった。傷だらけの状態で、ただ、思うままに。

メキシコでの一年では、徹底的に孤独と向き合わされる一年だった。大家族で過ごす時間を何よりも大事にするメキシコで、単身誰も知り合いがいない状態で飛び込んでいくのは、冒険でもありながら、痛みを感じた。メキシコでは、感動や新しい自分、新しい友人、新たな世界に触れ、発見するだけでなく、とにかく「一人」の時間や空間を強要された。というよりは、敢えて自分でそれを選んでメキシコに来たわけだが、ここで自分と本気で対峙させられた。自分は一体誰で、何がしたいのか、と。どんな人生が生きたいのか、と。それを自問自答し続け模索し続ける中、メキシコで出会った美術や建築、自然や文化、そして人々が、自分に新たな悦びを与えてくれるようになった。ある程度の期間が経過すると、敢えて孤独を選んできたはずの自分が、いつの間にか新たに出会った大切な魂たちに囲まれていることに気づいたのだ。

メキシコシティでの滞在も一年が過ぎようとすると、自分の中で、「次の場所へ向かおう」と声がきこえた。(大気汚染が原因の気管支炎が数ヶ月収まらず、医者のアドバイスでメキシコシティを離れることを検討していたこともあった。)スペイン語学校の同級生だったドイツ人の友人の軽い誘いがきっかけで、自分がこれまでに貯めたマイルでどこ行きの飛行機が工面できるかを調べた。すると、フランクフルト行きの直行便がたった一席、マイルで購入可能と表示されたのだった。

よし、ドイツで勝負しよう。

音楽業界時代からずっと心にひっかかっていた、あらゆるアーティストたちが絶賛する都市、ベルリンに行こう。とにかく自分で行って確かめるんだ。

こうして、メキシコシティからドイツへと飛び、マンハイムの友人宅に数泊お邪魔したあと、電車でベルリンへと単身向かい、そのまま一週間滞在し、滞在最終日の夜には、 四ヶ月先の移民局での滞在許可証の申請アポイントメントを予約していた。

その後、ベルリンからロンドンへ友人を訪ね、さらにユーロスターに飛び乗り、訪れたパリ。
単に観光でたったの三日間滞在する予定だった。だが、人生には予想もつかない出来事が起きるもので(だから面白いのだけれど)そのわずか三日間の間に、現在ベルリンで生活を共にする今のパートナーに出会ったのだ。

その後、数ヶ月のヨーロッパ周遊を経てベルリンに拠点を定めてからも、滞在許可を無事取得までの移民局との長い戦いや、ドイツでの物事の運び方を見極め習得すること、そしてゼロからドイツ語を取得するに至るまで、ずっと「戦ってきた」というのが正直な感想だ。

そんなベルリンでの生活も二年が経過した。面白いことに、2019年に入ってから、2014年から続いてきた長い長い「戦い」のエネルギーが消えつつあるように感じる。

なんだか、これまで無意味に抱えてきた武器を肩から下ろせる状態になった、そんな気持ちなのだ。

そして、最近よく考えるようになったこと。<家族とは何か>。そして、<人生の各ステージで新たに出会う人たちの意味>だ。

父の死以降、やっと色々と心境も落ち着いてきた矢先に、昨年末から家族の意味を再度問わざるを得ないような出来事が続いた。同じ苗字を持つ、あるいは持たないにしても書類上つながっている「親族」同士のつながりと、血筋も交わらないものの、自分の中でとにかく大切な人たちのつながりに、どう優劣をつければ良いのだろう、というのが率直な疑問だ。家族って、一体なんだろう。特に、親族によって、私や家族に対し、全く心無い鋭いナイフのような言葉を投げかけてくるような体験が続いたことで、この疑問は拭い去れなくなった。

私は2011年に日本を離れて以来、どちらかといえば「日本には帰らない」という妙な意地と覚悟をもってずっと生きてきた。しかし、今の自分にとっては、日本は「自分の心が結びついた場所のひとつ」であって、自分にとって大切な魂が沢山存在している、愛すべき場所でもある。

一方、メキシコだったり、ベルリンだったり、別の地域にも、私にとって大事な魂が沢山存在している。今の自分にとっては「ベルリン」は家だし、「家族」と思える人もいる。

かつては、自分の居場所や、帰る先を一箇所に決めなくてはいけないような、そんなプレッシャーの中で生きてきた。でも今の自分には、帰りたい場所や居続けたい場所が、数カ所ある。大事な魂たちも、あちこちにいる。

今の自分にとっては、東京もベルリンも、両方とも大切な場所だ。

この数年、ベルリンと東京を行き来するたびに、二つの全く異なる世界の間に揺られる振り子のような気分だった。時たま、二つの世界の間で引き裂かれるような思いをすることもあった。どちらか一カ所でしか、まるで幸せになってはいけないと自分で決めつけていたのかもしれない。

今年は、この二つの世界を、統合させたい。両方とも、私の「世界」なのだから。
ベルリンでも東京でも、自分の愛する魂と過ごす時間を、全力で楽しもう。

そして、ベルリンと東京だけに自分を限定するのもやめたい。自分の愛する場所すべてを、統合させよう。

今年は、自分が本当に行きたい場所を巡り、全力で生きることにした。
今一番楽しみにしているのは、9月に予定しているペルー訪問。メキシコ時代に出会った友人(偶然だが、彼女は過去に日本にも住んでいたことがある)と、ニューヨークで待ち合わせ、そのまま一緒にリマへと飛び、ペルーを周遊する予定だ。

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